タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

「その辺にしてみてはいかがでしょうか? お声の調子が悪うございます。それ以上無理をすれば、ますます喉を痛めますわ」

 夫人が勢いよくキャサリンのほうに顔を向ける。
 発言の主を睨みつけようとしたのだろうが、そこにいる人物がキャサリンであることに気がつくと、忌々しそうに顔を歪ませた。

「キャサリン・エルフェルト……。これはグリーンフィールド家の問題。公爵家の出張る幕じゃないだろうさ」

「家族の問題とおっしゃるならば、せっかくの発表会を私物化するのはお控えくださいな」

 キャサリンは言いながら、会場全体を見渡した。
 レイチェルの行動といい、夫人の行動といい、とてもプライベートな内容とは言えない。そのことに夫人も自覚があるのだろう。表立ってはキャサリンに反駁することができないでいた。

 夫人の視線が、会場全体を値踏みするようにめぐる。
 どうにか言い訳が思いついたのか、夫人の口が開かれるも、言葉が発されるよりも前に動きが止まった。

「……」

 口から、かすれた息だけが漏れる。
 夫人が、自分の喉に手をやった。
 困惑と冷や汗が顔に表れている。

「飲んではいけないものを飲んでしまったのかもしれませんね?」

 夫人がキャサリンを凝視した。
 その目には焦りの色が差している。

「……っ」

 会場がざわめく。

「ちょっと!」

 不自然な沈黙に耐えかねたようで、レイチェルが急かすように夫人に声をかけていた。
 動揺の中で、夫人の手が再び懐へと伸びる。

 ――エマ?

 2つめの小瓶だ。
 訝しんだキャサリンがエマに視線を向ける。
 侍女は小さく首を横に振っていた。

 ――事前に作っておいたものじゃないってことね。

 恐らくは、余った材料で土壇場に予備をこしらえたのだろう。つまり、夫人は喉の調子が悪いのは、単に解毒薬の効きが悪かったと考えているのだ。

 夫人が今、手にしているほうの解毒薬にはダフネ草が混ざっていない。
 本物の毒消しだ。
 使わせてはいけない。
 だからこそ、キャサリンは高笑いして夫人を見下した。

「服用した解毒薬こそが不調の原因だというのに、この上まだ喉を壊そうとされるのですか? あなたはご自分で取り違えたのですよ、毒を混ぜるべき小瓶をね」

 しゃがれた声で夫人が応じる。
 無理やり音を出しているために、その声はひどく聞き取りづらかった。

「ふざけるな! 私は確かに、あの小娘とダフネ草を分けあった。なのに、どうして私だけが――」

 そこまで言ってから、夫人が口を閉じた。
 自分が何を口走ってしまったのか、夫人も気がついたのだろう。
 しかしキャサリンは逃がさない。

「ダフネ草を分けあったとおっしゃいましたね」
「……っ」
「では確認させていただきたいのですが……それはアンネ嬢の喉のためでしたか。それとも、あなた自身のためでしたか」

 夫人の口が開きかけ、閉じた。
 どちらと答えても、自分を追い詰めるだけだ。
 アンネのためだと言えば、夫人に症状が出るはずがない。自分のためだと言えば、アンネと分けあう必要がない。どう答えたところで、アンネにダフネ草を飲ませたことを認めることになってしまう。

「別に、どちらでも構いませんわ」

 キャサリンが静かに続ける。

「いずれにしても、あなたはアンネ嬢にダフネ草を飲ませたことを、ご自身の口でお認めになりました」

 静寂が落ちた。
 エマが書類を手に持ち、前へと進み出る。

「ダフネ草の新芽は乾燥させると無臭になり、外見の似た別のハーブとは区別がつきません。咽喉に対して強い作用を及ぼすものであり、声楽家にとっては天敵にあたります。たとえ微量であっても混入させることは許されません。本日、それをアンネ様に勧めた方がいらっしゃいます」

 エマがそこで言葉を切った。
 続きを言う必要はない。
 だれもが夫人のほうを向いていた。夫人は懐の小瓶を握りしめたまま、一言も発せずにいる。声が出ないのか、出す言葉がないのかは、もはやどちらでもよかった。

「証言ならば、こちらに」

 エマが布包みをそっと開く。
 中には小さな書状が一通。薬草の特定と作用について記した、専門家としての証言だった。

「薬師のリディア・ウルペッカ様の確認を経ております」

 リディアの名前は、すでに新薬の件で王都に知れ渡っている。その言葉の重さを知らない者は、この場にはいないだろう。

 夫人が小瓶を口に運ぼうとした、その瞬間にぴしゃりとキャサリンが告げる。

「それを飲んでも無駄ですわよ。お手元のものは、昨夜のうちにエマが入れ替えてあります」

 夫人の手が、ぴたりと止まった。
 小瓶を握ったまま、顔から色が失われていく。先ほどまであった焦りは、いつの間にか凍りついたような絶望に変わっていた。

 逃げ道がない。
 証言がある。
 自白がある。
 解毒薬が使えないことはキャサリンの出まかせだが、そんなことは夫人にわかるはずがない。
 夫人の膝が、小さく震えていた。

 ――詰みね。

 もはや夫人を見ている必要はない。
 あとは然るべき者が適切な事後処理をするだろう。キャサリンは1人の王子を頭に思い浮かべながら、夫人から視線を外した。

 歯噛みしたレイチェルが、ゆっくりとその場を離れていく。劣勢と悟って、逃げ出すつもりに違いなかった。

「どこへ行くのですか、レイチェル嬢?」

 キャサリンの言葉に、レイチェルが足を止めた。
 今度はキャサリンがヒューゴを見やる。
 自分でけりをつけなさいと伝えたつもりだった。
 うなずいたヒューゴが、レイチェルに近づいていく。その手には、折り畳まれた何枚かの紙が見えた。