アンネが角を曲がったとき、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
玄関の前で、男が踵を返そうとしているところだった。
飾り気のない外套に、少し疲れた肩の線。
相手が声を出すよりも前に、アンネには正体がわかってしまう。
「ヒューゴ!」
たまらなくなって大声で名前を呼ぶ。
叫んでから、少しだけしまったと思った。
相手が振り返る。
アンネの顔を見た瞬間に、ヒューゴの目が少しだけ丸くなった。
「アンネ……。どうして」
「どうしてはこっちの台詞だよ。帰ろうとしていたの?」
アンネはすたすたとヒューゴのそばまで歩み寄る。ヒューゴは一歩だけ後ずさった。
「近くを通ったのでな……。一目、顔を見ていこうかと思って」
「それで、もう帰るところだったの?」
「……。返事がないので」
「走って来たんだよ。転んだし」
言ってから、アンネは余計なことを言ったと悔やんだ。
ヒューゴとの久しぶりの会話なのに、気の利いた言葉が全然出て来ない。
アンネの足元に、ヒューゴの視線が向いた。
「怪我をしたのか?」
「平気。それより、せっかく来たんなら、少しくらい話していけば……いいんじゃないですか?」
どうやって誘えばいいのかわからない。
断言を控えようとした結果、中途半端な丁寧語になってしまった。
ヒューゴが口を開きかけて、すぐに閉じた。
言い訳を探しているのか、それとも断る理由を並べようとしているのか。
顔を見れば察しがついた。
「なんとなくだけど……もう事情は知っているよ?」
アンネは先に釘を刺した。
ヒューゴが苦笑して馬車のほうに視線を向けた。
「パトロンとして失格だな」
「そんなことない!」
アンネはぶんぶんと首を横に振る。
力強く否定するアンネに、ヒューゴは反応に困ったようで、しばらくの間、静かな時間が流れた。 通りを行き交う人の声が遠くに聞こえる。
「ひとつだけ、聞いてもいい?」
アンネが顔を上げた。
ヒューゴは視線をどこかへ逸らしたままだ。
「最近、連絡がなかった理由を……あなたの口から教えて」
答えはない。
代わりに、ヒューゴは黙ったまま、アンネの隣に並んで立った。玄関の扉に背を預け、空を見上げる格好だ。
「……まだ言えない」
決意の色を帯びた静かな声だった。
「まだ……」
「ああ。いずれ必ず話す。もう少しだけ待ってほしい」
アンネは少しの間、ヒューゴの横顔を見つめた。
全然大丈夫じゃないと思った。
前に会ったときよりも、もっとヒューゴは疲れている。問題を抱えこんだまま、1人だけで動いているのだろう。
言いたいことは山ほどあった。
なんで一人で抱えているのか。
なんで打ち明けてくれないのか。
もっと頼ってほしい。
頼りない存在かもしれないけれど、この人の力になりたいという気持ちは誰にも負けていないつもりだ。
弱音を聞きたい。
知らないほうがずっとずっと怖い。
でも、今日は別のことを言おうとアンネは決める。
「わかった……待つよ」
ヒューゴの喉が、息を飲むように動く。
すかさず、アンネはつづけた。
「でも、そのときは私もヒューゴの隣にいたい。一緒に怒ったり、泣いたりしたいの。1人で全部終わらせてから、報告だけするみたいなのはやめて。私たちってそんなに他人じゃないでしょう?」
沈黙。
ヒューゴが、ゆっくりとアンネのほうを向いた。
「……ああ。必ず」
その後も何度か、ヒューゴは口を開こうとしていたようだったが、結局は何も言わなかった。ほどなくして、今度こそ本当に踵を返す。
「発表会、楽しみにしている」
「……うん」
アンネは玄関の前で、遠ざかる背中を見送った。
角を曲がって、姿が見えなくなる。
絶対にヒューゴに聞こない距離になってから、アンネはそっと息を吐いた。
「一緒に怒ったり、泣いたりしたいか……」
自分で言った言葉を、小声でくり返してみる。
キャサリンのアドバイスに従って、素直になろうと努めてみたはいいものの、やりすぎだった気がしてならない。
「恥ずかしいやつ……」
玄関の扉に額をあて、アンネは微動だにせずに悔やんだ。
通りを行く人が、不思議そうな顔で自分を見ている気がしたが、それどころではなかった。
嫌われてしまっただろうか。
面倒な女性と思われはしなかっただろうか。
「……ヒューゴ」
今さっき別れたばかりなのに、もう会いたくなっている。
いるはずもないのに、後ろを振り向きそうになる。
そんな自分に気がついて、慌ててアンネは玄関の扉にもう一度頭を預ける。だが、勢い余って激突し、かなりの痛みを覚えることになった。
玄関の前で、男が踵を返そうとしているところだった。
飾り気のない外套に、少し疲れた肩の線。
相手が声を出すよりも前に、アンネには正体がわかってしまう。
「ヒューゴ!」
たまらなくなって大声で名前を呼ぶ。
叫んでから、少しだけしまったと思った。
相手が振り返る。
アンネの顔を見た瞬間に、ヒューゴの目が少しだけ丸くなった。
「アンネ……。どうして」
「どうしてはこっちの台詞だよ。帰ろうとしていたの?」
アンネはすたすたとヒューゴのそばまで歩み寄る。ヒューゴは一歩だけ後ずさった。
「近くを通ったのでな……。一目、顔を見ていこうかと思って」
「それで、もう帰るところだったの?」
「……。返事がないので」
「走って来たんだよ。転んだし」
言ってから、アンネは余計なことを言ったと悔やんだ。
ヒューゴとの久しぶりの会話なのに、気の利いた言葉が全然出て来ない。
アンネの足元に、ヒューゴの視線が向いた。
「怪我をしたのか?」
「平気。それより、せっかく来たんなら、少しくらい話していけば……いいんじゃないですか?」
どうやって誘えばいいのかわからない。
断言を控えようとした結果、中途半端な丁寧語になってしまった。
ヒューゴが口を開きかけて、すぐに閉じた。
言い訳を探しているのか、それとも断る理由を並べようとしているのか。
顔を見れば察しがついた。
「なんとなくだけど……もう事情は知っているよ?」
アンネは先に釘を刺した。
ヒューゴが苦笑して馬車のほうに視線を向けた。
「パトロンとして失格だな」
「そんなことない!」
アンネはぶんぶんと首を横に振る。
力強く否定するアンネに、ヒューゴは反応に困ったようで、しばらくの間、静かな時間が流れた。 通りを行き交う人の声が遠くに聞こえる。
「ひとつだけ、聞いてもいい?」
アンネが顔を上げた。
ヒューゴは視線をどこかへ逸らしたままだ。
「最近、連絡がなかった理由を……あなたの口から教えて」
答えはない。
代わりに、ヒューゴは黙ったまま、アンネの隣に並んで立った。玄関の扉に背を預け、空を見上げる格好だ。
「……まだ言えない」
決意の色を帯びた静かな声だった。
「まだ……」
「ああ。いずれ必ず話す。もう少しだけ待ってほしい」
アンネは少しの間、ヒューゴの横顔を見つめた。
全然大丈夫じゃないと思った。
前に会ったときよりも、もっとヒューゴは疲れている。問題を抱えこんだまま、1人だけで動いているのだろう。
言いたいことは山ほどあった。
なんで一人で抱えているのか。
なんで打ち明けてくれないのか。
もっと頼ってほしい。
頼りない存在かもしれないけれど、この人の力になりたいという気持ちは誰にも負けていないつもりだ。
弱音を聞きたい。
知らないほうがずっとずっと怖い。
でも、今日は別のことを言おうとアンネは決める。
「わかった……待つよ」
ヒューゴの喉が、息を飲むように動く。
すかさず、アンネはつづけた。
「でも、そのときは私もヒューゴの隣にいたい。一緒に怒ったり、泣いたりしたいの。1人で全部終わらせてから、報告だけするみたいなのはやめて。私たちってそんなに他人じゃないでしょう?」
沈黙。
ヒューゴが、ゆっくりとアンネのほうを向いた。
「……ああ。必ず」
その後も何度か、ヒューゴは口を開こうとしていたようだったが、結局は何も言わなかった。ほどなくして、今度こそ本当に踵を返す。
「発表会、楽しみにしている」
「……うん」
アンネは玄関の前で、遠ざかる背中を見送った。
角を曲がって、姿が見えなくなる。
絶対にヒューゴに聞こない距離になってから、アンネはそっと息を吐いた。
「一緒に怒ったり、泣いたりしたいか……」
自分で言った言葉を、小声でくり返してみる。
キャサリンのアドバイスに従って、素直になろうと努めてみたはいいものの、やりすぎだった気がしてならない。
「恥ずかしいやつ……」
玄関の扉に額をあて、アンネは微動だにせずに悔やんだ。
通りを行く人が、不思議そうな顔で自分を見ている気がしたが、それどころではなかった。
嫌われてしまっただろうか。
面倒な女性と思われはしなかっただろうか。
「……ヒューゴ」
今さっき別れたばかりなのに、もう会いたくなっている。
いるはずもないのに、後ろを振り向きそうになる。
そんな自分に気がついて、慌ててアンネは玄関の扉にもう一度頭を預ける。だが、勢い余って激突し、かなりの痛みを覚えることになった。

