タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 婚約を断ってから、2週間が経った。
 ベアトリス・ハルフォードは今日も書斎にいた。
 朝に来て、夜に帰る。
 いや、ここは自分の家だから、帰るという表現は正しくない。
 ただ、一日の多くをここで過ごしているというだけのことだ。

「……」

 ページをめくる。
 手の中にある本は、あの恋愛小説だ。
 キャサリンと話すきっかけになった、金色の文字が表紙に刻まれた一冊。
 だいぶ前に読みおえたのだが、先日から読みなおした。
 女主人公の令嬢は、まだ想いを打ち明けられない。縁談を受け入れた相手との生活を、どこか遠いものとして眺めながらも、日々、幼馴染の青年のことを考えていた。

 自分と少し似ているだろうか。
 ベアトリスは苦笑しかけて、でも途中でやめた。
 似ているようで、だいぶ違う。自分はちゃんと言葉にすることができた。

「よく降りますわ……」

 窓の外では、雪がまた積もり始めていた。
 王都の冬は長い。
 それでも、軒先に落ちた雪の端が、昨日よりも少しだけ解けているのをベアトリスは知っていた。



✿✿✿❀✿✿✿



 その日の午後、アーサーが訪ねて来た。
 約束はしていない。
 エドワードとの婚約が解消されてからというもの、アーサーはこうして時折、特に理由もなくベアトリスの屋敷に顔を出すようになっていた。

「また来たんですか?」

 書斎に通しながら、ベアトリスが聞く。
 以前の自分ならば、こんな直球な言い方はできなかったかもしれない。もっと遠回しに、もっと控えめに、相手の機嫌を損ねないような言葉を選んでいたはずだ。

 アーサーは意外そうに眉をひそめた。

「忙しかったか?」
「そういうわけではありませんが……」

 ベアトリスが椅子に腰をおろすと、アーサーもその向かいに座った。テーブルの上には、さっきまで読んでいた本がある。

 アーサーの視線が書籍に止まった。

「また読んでいたのか、それ」
「はい、もう一度だけ改めて読んでみようと思いまして」
「……。どんな話だ?」

 ベアトリスは少しだけ考えてから、答えた。

「言葉にするのがちょっぴり臆病な、婦女子のお話です」

 アーサーが黙る。
 その沈黙の意味を、ベアトリスは深く考えない。

「……。貸してくれるか? せっかくなら俺も読んでみたい」

 アーサーが本に手を伸ばす。
 ベアトリスはその手を軽く押さえた。

「まだ読んでいる途中ですから」
「……それもそうだな」

 アーサーが手を引いた。
 そこで終わりかと思ったが、アーサーはもう一度口を開く。

「一緒に読んでもいいか」

 ベアトリスの動きが止まった。
 顔を上げると、アーサーは別に深い意味はないという顔で窓の外を見ている。

「……」

 以前のアーサーなら、そんな提案はしなかった。
 自分が読みたいと思えば本を持ち帰り、都合のいいときに返しに来る。
 それだけだった。

「駄目なら、別にいい」

 窓の外を向いたまま、アーサーがつぶやく。
 ベアトリスはしばらく黙ってから、本をテーブルの中央に置いた。

「どうぞ……。でも途中からですよ」
「いいさ。俺はお前ほど読書子じゃない」

 アーサーが本を手に取る。
 ページをめくる音だけが、しばらく書斎に満ちた。
 二人の間に言葉はないが、沈黙が苦ではなかった。
 幼い頃からそうだった。
 この人といると、黙っていることが不思議と楽だった。
 それはきっと、今も変わっていない。