タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 騒動から数日後、ベアトリスがキャサリンの屋敷を訪ねて来た。
 約束を取り付けていたわけではない。
 それでも、エマが来客を告げた瞬間、キャサリンには相手が誰だかわかった。

「通して」

 応接室に現れたベアトリスは、前回とはどこか違う雰囲気をまとっていた。
 落ち着いた茶色のドレス。
 きちんと整えられた銀色の髪。
 いつもと変わらない出立ちのはずなのに、その表情が違う。

 ――ああ、そういう顔もできたのね。

 ずっと堪えていた人間が、ようやく解放されたときの安堵が体中に満ちている。

「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

 ベアトリスが丁寧に頭を下げる。

「どうぞ、座ってくださいな」

 エマが紅茶を用意して、部屋の端へと下がる。
 向かい合って座ると、ベアトリスが少しだけ迷うような素振りを見せてから、口を開いた。

「この度は……本当に、ありがとうございました」

 そこで言葉が途切れる。
 続けようとして、どこから話せばいいかわからなくなっているようだった。

「お礼を言いに来てくださったの?」
「それだけではありません」

 ベアトリスがキャサリンをまっすぐに見た。

「お礼と……それから、報告がしたくて」

 報告という言葉に、キャサリンの口元がわずかに緩む。

「聞かせてください」

 ベアトリスの話は、舞踏会の夜から始まった。
 アーサーに誘われてダンスをした、あの場面のことだ。

「驚いたんです」

 ベアトリスが静かに言った。

「アーサー様が、あんな形でいらしてくださるとは思っていなくて……。それに、踊りながら言ってくださったことが……」

「何とおっしゃったの?」

 キャサリンが問い返すと、ベアトリスの頬がほんのりと赤くなった。

「……ずっと待たせてごめんと」

 キャサリンは何も言わない。
 ベアトリスがカップを両手で包むようにして、視線を落とす。

「私、首を横に振ってしまったんです」
「どうして?」
「待っていたわけじゃないですから。でも、そのときはそれしかできなくて……」

 キャサリンはその一言の意味をゆっくりと理解した。
 待っていたと認めることは、自分の気持ちを完全に言葉にしてしまうことに等しい。ベアトリスにとって、それはまだ怖いことだったのだろう。

 だから、首を横に振った。
 待っていなかったわけではないのに。

「アーサー様は、それからなんと?」

 ベアトリスが少しだけ笑う。

「困った顔をされていました。それから笑ってもいました」
「それだけ?」

 ベアトリスがカップをソーサーに戻す。

「それだけです。……でも、翌日また会いに来てくださいました。昨日の話の続きをしようと」
「それで?」
「今度はちゃんと話せました」

 深くは聞かない。
 話せたという事実だけでも、キャサリンには十分だった。
 ベアトリスもそれ以上は語らない。
 ただ、その横顔が舞踏会のどの瞬間よりも穏やかだったので、キャサリンには結末が見えた気がした。

「では、またいずれ」

 立ち上がったベアトリスが、深く一礼する。
 扉に向かいかけて、ふと足を止めた。

「キャサリン嬢」
「なんです?」
「あの本の主人公は、最後にちゃんと幸せになれるのでしょうか?」

 恋愛小説のことだ。
 想いを打ち明けられないまま縁談を受け入れてしまった、あの令嬢のことを聞いている。
 キャサリンは少しだけ間を置いた。

「まだ私も途中までしか読んでいませんの。でも、きっとなれると思いますわ」

 ベアトリスが静かに笑う。
 もうそこに薄い磁器のような危うさはない。

「そうですね。私もそう思います」

 扉が閉まる。
 廊下の足音が遠ざかっていく。
 キャサリンはしばらく、閉じられた扉を眺めていた。

「よかったですね」

 エマが静かに言った。

「ええ」

 短く答えて、キャサリンは窓の外に目をやった。
 冬の王都に、また雪が降り始めていた。
 白く積もった屋根と、石畳。
 それでもどこか、少しだけ空が明るいようにも見える。

 ――春はもう少し遠いかしらね……。

 キャサリンはそっと息をついた。