タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 展示会の当日は、やわらかな雪曇りだった。
 画廊の中は、外の寒さとは切り離されたように穏やかな空気が満ちている。
 壁に並んだ絵画たちが、柔らかな燭台の光を受けて静かに輝いていた。

「フィリップ様の作品は、あちらですね」

 エマが小声で告げる。
 キャサリンは軽くうなずいて、さりげなく会場を見渡した。
 来客はそれほど多くない。
 芸術に造詣の深い貴族と、研究者や文人が数名、思いおもいのペースで絵を眺めている。

 ――どこかしら……? あそこね。

 会場の奥、1枚の風景画の前に、青年が立っていた。
 未来視のおかげで、アーサーの姿はすでにわかっている。
 絵を眺めるその横顔は穏やかで、一見しただけでは、これといって引っかかるところのない人物に見えた。

 ――見かけによらないものね……。

 キャサリンはしばらく距離を置いて観察した。
 アーサーの隣に、別の来客が近づいてくる。顔見知りらしく、自然な調子で話しかけた。アーサーも微笑んで応じる。

 それだけなら、何の問題もない。
 しかし、話が少し進んだところで、アーサーが相手の言葉を遮るように自分の話を始めた。遮ったことへの自覚は、おそらくない。そのまま自分のペースで話し続け、相手が苦笑しながら相槌を打っている。

 本人は気がついていない。
 だが、受け取る側がどう感じるかは、また別の話だ。

 ――なるほど。

 この様子であれば、多少強引に声をかけても気にしないだろう。
 キャサリンは静かに歩き出した。

「素敵な作品ですわね」

 隣に並んで、同じ絵を眺めながらキャサリンが言った。
 アーサーがこちらに振り返る。見知らぬ来客に一瞬だけ戸惑いの色が浮かんだが、すぐに穏やかな表情に戻った。

「ええ。光の使い方が、なんとも……」

 それからしばらく、絵の話をした。
 アーサーは絵画に明るく、話題は尽きない。
 キャサリンは相槌を打ちながら、少しずつ会話の主導権を手元に引き寄せていく。

「あなたは、フィリップ様のお知り合いでいらっしゃるの?」
「ええ、少々。そちらこそ、エルフェルト家の方とも面識があるのですか?」
「従兄弟ですので」

 アーサーが少しだけ目を丸くした。

「これは失礼しました。アーサー・ヴォルフと申します」
「キャサリン・エルフェルトですわ」

 一礼を交わす。
 それから、ごく自然な流れで会話がつづいた。

「ヴォルフ様は、王都のご出身ですか?」
「ええ、生まれてからずっと。幼い頃はこのあたりをよく走り回っていたものです」
「それは楽しそうですわね。幼馴染などもいらっしゃったのですか?」

 アーサーの表情が、わずかに変わった。
 ほんの一瞬のことだったが、キャサリンは見逃さない。

「……ええ、まあ。昔からの知り合いが、何人か」

 歯切れが悪い。
 キャサリンは追わなかった。
 代わりに、また絵のほうへと視線を戻す。

「ハルフォード家のベアトリス嬢とも、幼馴染でいらっしゃるとか」
「……。ご存知でしたか」

 アーサーの声が、かすかに低くなった。

「ええ、少しご縁がありまして。とても静かな方ですわね。でも、本の話になると急に言葉が増えますの。そういう方って、本当は話したいことがたくさんあるのに、なかなか口にできないだけなのかもしれないと思うのですけれど」

「……」

 アーサーが黙った。
 絵を眺めているようで、その目はどこか別のものを見ているようだった。

「ベアトリス嬢は、言葉にするのがあまり得意ではありませんわね」

 キャサリンが静かに続けた。

「ええ……そうですね」

 アーサーが短く返す。
 キャサリンが、一拍置いてから言葉をつないだ。

「だから、周りの人間が少し鈍いと……気づかないまま、終わってしまうこともあるかもしれませんわね」

 沈黙が満ちた。
 アーサーが絵から目を離さないまま、じっと黙っている。
 キャサリンはそれ以上、何も言わなかった。
 言い過ぎると、種は育たない。水を撒きすぎてしまえば、育つことなく枯れてしまう。

「……。失礼ながら、キャサリン嬢はベアトリスのことを、よくご存知なのですね」

 やがてアーサーが不機嫌そうに言った。

「少しだけ。でも、知れば知るほど、もったいない方だと思いますわ」
「もったいない?」
「ええ。それだけですわ」

 キャサリンが微笑む。
 それっきり、軽く一礼してからキャサリンは場を離れた。
 フィリップの作品の前を通り過ぎたあたりで、エマが静かに横に並ぶ。

「よろしかったのですか? 直接的ではありませんでしたね」
「種を蒔いただけよ」

 キャサリンが前を向いたまま答えた。

「育てるのは、あの人自身ですもの」

 エマが小さくうなずいた。
 画廊の出口へと向かいながら、キャサリンはもう一度だけ、アーサーのほうへと視線をやる。
 青年はまだ絵の前に立っていた。
 さっきとは、少し違う顔つきをしていた。