暗い。
そこはあまりにも暗かった。
「ここは……。どこだ……?」
ジェームズ殿下は重い瞼を持ちあげた。
いったいどれくらい意識を失っていたのだろう。
視界に広がったのは石造りの天井。
そして、ひび割れた壁。
鼻をつくのは、かび臭さ。
そして、湿った空気。
牢だった。
「……ッ」
ようやく、すべてを思い出す。
舞踏会。
婚約破棄。
暴露。
「ば、馬鹿な……。この僕が……こんなはずでは!」
掠れた声が牢屋の中をむなしくこだました。
ありえない。
あれは完璧な計画だった。
証拠も、証言もすべて揃っていた。
なのになぜ、自分が牢に入れられているのか。
「どうしてあいつが、おめおめと外にいるのだ!」
脳裏に浮かぶのは1人の女。
キャサリン・エルフェルト。
婚約破棄を告げた瞬間の表情が脳裏に焼きついて離れない。
動揺もせず、ただ静かに自分を見下すように立っていた姿が、忘れられなかった。
不愉快だ。
「ありえない。最初から、知っていたとでもいうのか……」
そんなはずはない。
そんなことあるはずがないのだ。
未来を知っているだなんて、そんなことあってはならない。
「クソがッ!」
自分の拳が痛むのも気にせず、ジェームズ殿下は床に叩きつけていた。
鈍い痛みが走る。
しかし、それすら苛立ちを増幅させるだけだった。
✿✿✿❀✿✿✿
「起きているようだな」
どれくらい時間が経っただろうか。
昼も夜もないせいで、時間の感覚がわからない。
鉄格子の向こうから、ジェームズ殿下に声がかかった。
顔を上げる。
そこに立っていたのは実弟だった。
「……ルシアン」
「兄上と呼びたいところだが……」
第二王子は淡々とした表情で告げた。
「今のあなたに、その資格があるかは疑問だな」
「――ッ! 貴様!」
言葉に詰まる。
かつては見下していた相手だ。
自分のあとを、ただついて来るだけのひよこだったはずだ。
それなのに、いつの間にこんなに大きくなったというのか。
その体がひどく巨大なものに見えて仕方がなかった。
まるで立場が正反対ではないか。
ジェームズ殿下の刺すような視線には応えず、ルシアン殿下は淡々と事務をこなしていく。
「処分が決まった」
「……。処分……だと?」
不吉な予感が、すさまじい速度で背筋を這いあがって来る。
「王位継承権の剥奪。及び、全財産の没収」
「なっ」
「加えて、辺境領への永久追放だ」
「そんなはずがあるか! 僕はこの国の王太子だぞ!」
刑罰が重すぎる。
告げられた言葉が次第に、現実味を帯びていく。
やがて、それは一つの結論を導いた。
「……。……貴様か?」
「はて」
「貴様だな、ルシアン! 貴様が手を回して、この僕の罪を重くしたんだなぁあああ!!!」
「……」
「この僕にこんな真似をして、ただ済むと思うなよ……」
「だとしたら、どうすると言うのだ?」
「王族としての僕の権力をすべて使って、必ず貴様に辛酸を舐めさせてやる。後悔するぞ……!」
芝居がかった仕草で、ルシアン殿下が指を振る。
「いつまでも王族の気分でいられては困る。もはやお前は王子ではない。ただのジェームズだ」
ルシアン殿下の訂正に、ジェームズは目を見開いた。
「ただのジェームズに過ぎないお前に、何ができると言うんだ?」
その一言で、すべてが終わってしまった。
膝から力が抜ける。
崩れ落ちるように、壁に手をついた。
さっきまでの威勢はもうジェームズに残されていない。
「……そ、そんな。馬鹿な。……僕は王族だぞ」
うわごとのようにジェームズが妄言をくり返す。
「そんなこともわからないのか?」
ルシアン殿下が、憐れむようにわずかに眉をひそめる。
「そんなこと……?」
「自分が何をしでかしたのかだ」
「……。僕はただ……僕は」
言葉がつづかない。
自分の思い通りにしたかっただけだ。
気に入らない婚約者を排除し、気に入った女を隣に置く。
王族として当たり前のふるまいをした。
それを許される立場にいるからこそ、そうしただけだ。
それの何が悪い。
「……。キャサリン嬢は」
その名前に、ジェームズの体がびくりと反応する。
「最後まで、お前を糾弾しなかった」
「……。は?」
「単に事実を示してみせたにすぎない」
静かな声。
しかし、それが今は何よりも重たい。
「お前は彼女によって破滅させられたのではない。ただの自業自得だ」
「……ッ」
「安心しろ、ジェームズ。この国はお前に代わって、私が導いてやる」
最後までジェームズは何も返すことができなかった。
✿✿✿❀✿✿✿
数日後。
ジェームズは、護送されていた。
ただのジェームズになったとはいえ、国民は国民である。
ほかの罪人と変わらぬもてなしは受けられる。
もっとも、それは王族だったジェームズには、耐えがたいほどの屈辱であったが。
「……っ」
粗末な馬車。
安っぽい護衛の兵士。
かつての華やぎはどこにも存在しない。
「水だ」
差し出された水差しを、ジェームズは無言で受け取る。
だれも自分に敬語を使うことはない。
『僕は王族だぞ!』
そう叫びだしたかった。
だが、叫んでみても何も変わらないことは、いくらジェームズでも理解していた。
周りから失笑を買うだけだ。
「……」
元、王族。
その事実が、今さらのように胸に突き刺さった。
幌の外を見れば、見慣れた王都の景色が緩やかに遠ざかっていく。
戻ることは二度とないのだろう。
「……。ミレイユはどうなったんだ?」
ぽつりとつぶやく。
「知らんな。興味もない」
素っ気ない答えが返って来た。
それきり会話は終わる。
自分が周りにとって、どうでもよい存在になったのだと痛感した。
「……はは。……」
乾いた笑いが漏れる。
すべてを失ったのだ。
地位も、名誉も、何もかもを……。
「……。キャサリン」
名前を口にする。
ふと女性のことを思い出した。
その少女は、幼い頃から、ずっと隣にいた。
いつも自分を支え、どんなときでも疑うことなく自分を信じてくれていた。
「なぜ、あの時……」
いったい何が気に食わなかったのだろう。
どうして証拠を捏造してまで、キャサリンを追い詰めなければいけなかったのか。
わからない。
……わからない。
すべてが白い靄の中に包まれてしまっていて、もはやジェームズは自分で考えることができなかった。
どうして自分はあんなにも簡単に切り捨ててしまったのだろう。
キャサリンはきっと自分のことを信じてくれていたのに。
「……クソ」
今さらだった。
すべてが遅すぎた。
「もし、もしも……もう一度機会があるならば」
空虚な妄想を抱き、ジェームズはすぐに否定した。
そんなものあるはずがない。
「はは……あはは」
ジェームズが乾いた笑いをくり返す。
兵士は気味悪そうな視線を向けただけで、決して話しかけようとはしなかった。
馬車は進む。
ただ遠く、遠く離れた場所へ。
✿✿✿❀✿✿✿
「ミレイユ……ミレイユ、何をしている。早く僕を助けに来い。……ミレイユ。キャサリン、お前でもいいぞ。だれかいないのか。僕は……僕を助けに……僕は王族」
辺境領にて、精神に異常を来したジェームズは衰弱。
それからわずか2年で命を落とした。
病死だった。
そこはあまりにも暗かった。
「ここは……。どこだ……?」
ジェームズ殿下は重い瞼を持ちあげた。
いったいどれくらい意識を失っていたのだろう。
視界に広がったのは石造りの天井。
そして、ひび割れた壁。
鼻をつくのは、かび臭さ。
そして、湿った空気。
牢だった。
「……ッ」
ようやく、すべてを思い出す。
舞踏会。
婚約破棄。
暴露。
「ば、馬鹿な……。この僕が……こんなはずでは!」
掠れた声が牢屋の中をむなしくこだました。
ありえない。
あれは完璧な計画だった。
証拠も、証言もすべて揃っていた。
なのになぜ、自分が牢に入れられているのか。
「どうしてあいつが、おめおめと外にいるのだ!」
脳裏に浮かぶのは1人の女。
キャサリン・エルフェルト。
婚約破棄を告げた瞬間の表情が脳裏に焼きついて離れない。
動揺もせず、ただ静かに自分を見下すように立っていた姿が、忘れられなかった。
不愉快だ。
「ありえない。最初から、知っていたとでもいうのか……」
そんなはずはない。
そんなことあるはずがないのだ。
未来を知っているだなんて、そんなことあってはならない。
「クソがッ!」
自分の拳が痛むのも気にせず、ジェームズ殿下は床に叩きつけていた。
鈍い痛みが走る。
しかし、それすら苛立ちを増幅させるだけだった。
✿✿✿❀✿✿✿
「起きているようだな」
どれくらい時間が経っただろうか。
昼も夜もないせいで、時間の感覚がわからない。
鉄格子の向こうから、ジェームズ殿下に声がかかった。
顔を上げる。
そこに立っていたのは実弟だった。
「……ルシアン」
「兄上と呼びたいところだが……」
第二王子は淡々とした表情で告げた。
「今のあなたに、その資格があるかは疑問だな」
「――ッ! 貴様!」
言葉に詰まる。
かつては見下していた相手だ。
自分のあとを、ただついて来るだけのひよこだったはずだ。
それなのに、いつの間にこんなに大きくなったというのか。
その体がひどく巨大なものに見えて仕方がなかった。
まるで立場が正反対ではないか。
ジェームズ殿下の刺すような視線には応えず、ルシアン殿下は淡々と事務をこなしていく。
「処分が決まった」
「……。処分……だと?」
不吉な予感が、すさまじい速度で背筋を這いあがって来る。
「王位継承権の剥奪。及び、全財産の没収」
「なっ」
「加えて、辺境領への永久追放だ」
「そんなはずがあるか! 僕はこの国の王太子だぞ!」
刑罰が重すぎる。
告げられた言葉が次第に、現実味を帯びていく。
やがて、それは一つの結論を導いた。
「……。……貴様か?」
「はて」
「貴様だな、ルシアン! 貴様が手を回して、この僕の罪を重くしたんだなぁあああ!!!」
「……」
「この僕にこんな真似をして、ただ済むと思うなよ……」
「だとしたら、どうすると言うのだ?」
「王族としての僕の権力をすべて使って、必ず貴様に辛酸を舐めさせてやる。後悔するぞ……!」
芝居がかった仕草で、ルシアン殿下が指を振る。
「いつまでも王族の気分でいられては困る。もはやお前は王子ではない。ただのジェームズだ」
ルシアン殿下の訂正に、ジェームズは目を見開いた。
「ただのジェームズに過ぎないお前に、何ができると言うんだ?」
その一言で、すべてが終わってしまった。
膝から力が抜ける。
崩れ落ちるように、壁に手をついた。
さっきまでの威勢はもうジェームズに残されていない。
「……そ、そんな。馬鹿な。……僕は王族だぞ」
うわごとのようにジェームズが妄言をくり返す。
「そんなこともわからないのか?」
ルシアン殿下が、憐れむようにわずかに眉をひそめる。
「そんなこと……?」
「自分が何をしでかしたのかだ」
「……。僕はただ……僕は」
言葉がつづかない。
自分の思い通りにしたかっただけだ。
気に入らない婚約者を排除し、気に入った女を隣に置く。
王族として当たり前のふるまいをした。
それを許される立場にいるからこそ、そうしただけだ。
それの何が悪い。
「……。キャサリン嬢は」
その名前に、ジェームズの体がびくりと反応する。
「最後まで、お前を糾弾しなかった」
「……。は?」
「単に事実を示してみせたにすぎない」
静かな声。
しかし、それが今は何よりも重たい。
「お前は彼女によって破滅させられたのではない。ただの自業自得だ」
「……ッ」
「安心しろ、ジェームズ。この国はお前に代わって、私が導いてやる」
最後までジェームズは何も返すことができなかった。
✿✿✿❀✿✿✿
数日後。
ジェームズは、護送されていた。
ただのジェームズになったとはいえ、国民は国民である。
ほかの罪人と変わらぬもてなしは受けられる。
もっとも、それは王族だったジェームズには、耐えがたいほどの屈辱であったが。
「……っ」
粗末な馬車。
安っぽい護衛の兵士。
かつての華やぎはどこにも存在しない。
「水だ」
差し出された水差しを、ジェームズは無言で受け取る。
だれも自分に敬語を使うことはない。
『僕は王族だぞ!』
そう叫びだしたかった。
だが、叫んでみても何も変わらないことは、いくらジェームズでも理解していた。
周りから失笑を買うだけだ。
「……」
元、王族。
その事実が、今さらのように胸に突き刺さった。
幌の外を見れば、見慣れた王都の景色が緩やかに遠ざかっていく。
戻ることは二度とないのだろう。
「……。ミレイユはどうなったんだ?」
ぽつりとつぶやく。
「知らんな。興味もない」
素っ気ない答えが返って来た。
それきり会話は終わる。
自分が周りにとって、どうでもよい存在になったのだと痛感した。
「……はは。……」
乾いた笑いが漏れる。
すべてを失ったのだ。
地位も、名誉も、何もかもを……。
「……。キャサリン」
名前を口にする。
ふと女性のことを思い出した。
その少女は、幼い頃から、ずっと隣にいた。
いつも自分を支え、どんなときでも疑うことなく自分を信じてくれていた。
「なぜ、あの時……」
いったい何が気に食わなかったのだろう。
どうして証拠を捏造してまで、キャサリンを追い詰めなければいけなかったのか。
わからない。
……わからない。
すべてが白い靄の中に包まれてしまっていて、もはやジェームズは自分で考えることができなかった。
どうして自分はあんなにも簡単に切り捨ててしまったのだろう。
キャサリンはきっと自分のことを信じてくれていたのに。
「……クソ」
今さらだった。
すべてが遅すぎた。
「もし、もしも……もう一度機会があるならば」
空虚な妄想を抱き、ジェームズはすぐに否定した。
そんなものあるはずがない。
「はは……あはは」
ジェームズが乾いた笑いをくり返す。
兵士は気味悪そうな視線を向けただけで、決して話しかけようとはしなかった。
馬車は進む。
ただ遠く、遠く離れた場所へ。
✿✿✿❀✿✿✿
「ミレイユ……ミレイユ、何をしている。早く僕を助けに来い。……ミレイユ。キャサリン、お前でもいいぞ。だれかいないのか。僕は……僕を助けに……僕は王族」
辺境領にて、精神に異常を来したジェームズは衰弱。
それからわずか2年で命を落とした。
病死だった。

