タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 数日後、キャサリンは再びハルフォード侯爵家を訪ねていた。前回よりも、ベアトリスの表情が柔らかい。警戒心が薄れているのがわかった。

「先日の続きを読みましたの」

 キャサリンが本を取り出すと、ベアトリスが少しだけ目を輝かせた。やはり本の話になると、この令嬢は別人のように言葉が増える。

 しばらく話が弾んだあと、キャサリンはさりげなく切り出した。

「そういえば……女主人公の令嬢が縁談を受け入れてしまったのは、本当に言葉にすることが怖かったからだと思いますか?」

 ベアトリスが少し考える顔をした。

「……どういう意味ですか?」
「想いを伝えることへの恐れとおっしゃっていたでしょう? でも、ひょっとしたらもう一つ、別の理由があったのかもしれないと思って」

「別の理由……」
「自分の気持ちに、まだ名前をつけていなかったのかもしれません。だから動けなかった」

 ベアトリスが黙った。
 カップを両手で包むようにして、視線をテーブルに落としている。

「気持ちに名前をつけるというのは……怖いことですよね?」

 キャサリンが静かに引き取る。

「ええ。それを認めてしまえば、もう知らないふりはできなくなりますもの」

 ベアトリスが、ゆっくりと顔を上げる。
 かすかな動揺があった。

「……。キャサリン嬢はどうしてそれを」
「本の話ですわ」

 キャサリンが微笑む。
 ベアトリスがまた視線を落とす。しばらくの沈黙のあとで、ベアトリスがつづけた。それはほとんど独り言に近い。

「……アーサー様は……。今も、よく笑う方ですか?」

 キャサリンは答えない。
 ベアトリスが我に返ったように、小さく首を振る。

「すみません……。変なことを言いました」

 キャサリンが首を横に振った。

「別に、変ではないと思いますわ」

 ベアトリスはそれ以上、何も言わなかった。ただ、その頬がほんのりと赤くなっていたことを、キャサリンは見逃さなかった。

 ――自覚したかしらね……?

 今日のところは、ここまでにしておこう。
 キャサリンが立ち上がりかけたとき、ベアトリスが小さく口を開いた。

「もしも、自分の気持ちに名前をつけてしまったとして……それでも、どうにもならないことは、あるのでしょうか」

「あるかもしれませんわね」

 キャサリンが即座に返す。
 ベアトリスはすがるようにキャサリンを見つめた。

「でも、どうにもならないかどうかは、動いてみないとわかりませんわ」

 ベアトリスが黙ったまま、小さくうなずく。
 その顔はどこか泣きそうにも見えた。

 ――まあ、大丈夫でしょう。

 屋敷をあとにした馬車の中で、キャサリンは静かに息を吐く。

「筋道に乗りましたね」

 エマが言った。

「そうね……」

 だがキャサリンの表情は、晴れやかとは言いがたかった。何かが引っかかっている。言葉にはならないが、どこかに見落としがあるような気がした。