タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 さらに1週間の月日が経った。
 レナは約束をたがえず、必ず週に2回ソフィアの研究室を訪れた。
 来るたびに、レナの記録帳は厚くなっている。
 産地ごとの魔力活性値。
 保存方法による変化。
 土壌サンプルと、植物の魔力特性の相関。
 お世辞にも几帳面とは言えない字だったが、その内容はソフィアの目から見ても驚くくらい、着実に積み上がっていた。

「ホーちゃん先輩、見てください」

 レナがノートを広げる。
 自分への呼び方は言っても直さないので、だいぶ前に諦めた。

「北部産の月草、乾燥させたやつと生のやつを比べたら、やっぱり差が出ました。生のほうが活性の立ち上がりが早いけど、持続時間は短い」

「予測どおりね」

 ソフィアが数値を確認しながら答える。

「水分が蒸発する過程で、魔力の揮発も起きているのかもしれないわ。次は乾燥速度を変えて試してみましょう」
「急速乾燥って熱を使います?」
「うーん、熱は余計な要素が増えちゃうんじゃないかな。風乾のほうがいいと思う」
「なるほどですね」

 レナがまた走り書きをする。
 ソフィアもその様子を眺めながら、自分の記録帳に数値を書き写した。
 きっと、レナのデータが揃えば、使えるものになるだろう。
 そんな予感がした。

「先輩。これって、クラちゃん先輩にも見せてもいいですか? この間の報告書の件もあったので、一応聞いておこうかなと思って」

「……あなたが直接持っていくつもり?」
「駄目ですか?」
「駄目ではないけど……。私から話を通しておくわ。その後にしなさい」
「ありがとです」

 レナがぺこりと頭を下げる。
 それから少し間があって、また顔を上げた。

「先輩って、最近顔色がよくなりましたね」

 相変わらず唐突だった。
 そして、余計な点も変わらない。

「……いいから、研究に戻りなさい」

 レナが記録帳に目を戻す。
 ソフィアも視線を手元に落とした。



✿✿✿❀✿✿✿



 問題が発覚したのは、その翌朝だった。
 研究室に来たレナの顔が、珍しく強張っている。
 いつもは入るなり、見せびらかすように記録帳を広げるというのに、今日は入り口で立ち止まったまま動こうとしない。

 さすがに不自然だ。

「どうしたの?」
「……。データが一部なくなっていました。保管棚に入れておいたノートが一冊、別のものになっていて……」

「別のもの?」
「白紙……です」

 ただごとではない。

「気がついたのはいつ?」
「今朝です。昨日の夜まではあったはずなので、たぶん夜のうちに……」

 ソフィアの中で怒りの炎が生まれた。
 先日、廊下でレナに嫌がらせをしていた研究員たちの顔が脳裏に浮かぶ。
 激情が溢れそうだった。
 それをどうにか、ソフィアは冷静な頭で抑制する。
 今は感情よりも先に、頭を動かさなければならないはずだ。

「差し替えられた分のデータは、他に控えがあるかな?」
「一部は手帳に書き写してありますけど……全部じゃないです」
「どのくらい失った?」
「北部産のサンプルの記録が、約3週間ほど」

 3週間。
 レナが丹念に積み上げてきたデータだ。
 ソフィアは一瞬だけ目を閉じた。

「わかったわ。今日は実験を休んで、覚えている範囲でいいから、記憶を書き起こしなさい。記録の再現に使える時間は全部そこにあてること」

「……。でも先輩、犯人は」
「それは私が動く」

 きっぱりと言った。
 レナが目を丸くしてソフィアを見る。

「……ホーちゃん先輩が?」
「あなたは研究を続けなさい」

 ソフィアがコートを手に取った。

「私のことは心配しなくていいわ」



✿✿✿❀✿✿✿



 ソフィアはまず、研究院の規則書を取り寄せた。
 分厚い冊子だ。
 普段は誰も読まない。
 こんなもの読むだけ無駄だからだ。
 やたらと細かいルールを制定したがる変人が、ほとんど自己満で作ったものだ。もちろん、そこにはいくらかの正義感もふりかけられている。

 しかし、ソフィアはそれを端から丁寧に読んだ。
 読みこんだ。
 探しているのは、研究データの管理と保護に関する条項。
 30分ほどで、目的の箇所を見つける。

『研究員の正式な記録物に対する無断での持ち出し・改変・汚損は、倫理規定の第7条に抵触する。見習い研究員の記録物も、正式に登録されたものである場合は同等の保護対象とみなす』

 どうしてこの業界の人間は、こうも回りくどい言い方をするのが好きなのか。
 ソフィアはむっとしながらも、なんとか文章をかみ砕いた。

「……登録」

 すぐに、ソフィアはレナの記録帳が、正式に登録されたものなのかを確認した。
 もちろん、されていない。
 見習いに登録の手続きを教える者などいないからだ。

「ここを突かれたのね……」

 登録されていなければ、保護対象にならない。
 つまり、規定の上ではなかったことにできるわけだ。
 計算されている。
 もっとも、相手がそこまで知ったうえでのことなのかは、甚だ疑問ではあるが……。

「……今からでもできることをしなくっちゃ」

 ソフィアはペンを取った。
 まず、レナの記録帳の正式な登録申請書を書く。
 さすがに日付は遡れないが、以降のデータは保護対象にできる。
 次に、審査の申し立てを書類にとまとめる。
 書き始める前に、一度だけ手が止まった。

「……。キャサリン嬢なら、きっと」

 もっとうまくやっていただろう。
 そう思った。
 だが、すぐにソフィアは首を横に振る。
 今は関係ない。
 自分がレナを守るのだ。
 ペンを動かし、淡々と事実だけを書いていく。
 感情は入れない。
 差し替えられた記録帳の状態。
 発覚した日時。
 前日までデータが存在していたことの証人。
 廊下での出来事との関連性。
 たっぷりと2時間かけて、書類を書き上げた。