タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

「お嬢様」

 馬車の揺れに身を任せていたキャサリンに、向かいに座るエマが静かに口を開いた。

「何?」
「クラリス様のことなのですが」
「……」

 キャサリンが窓の外に視線を向けたまま、続きを促す。

「あの方の恋愛事情が、このままでは少々寂しいことになってしまいますね」
「……。……そうね」

 嫌な感じの流れに、キャサリンは少しだけ間を置いてから応じた。

「ケヴィン殿への未練はないようですが、研究にのめりこむばかりで……その……なんと言いましょうか。色恋の気配がございません」

「研究者なんて、本来そんなものでしょう」
「お嬢様」

 エマが、じっとキャサリンを見つめた。
 その視線には、いつもの無表情の中に、かすかな圧が込められている。長年仕えた侍女の数少ない主張の形だ。

 ――はあ。

 キャサリンが胸中でため息をつく。

「何が言いたいのかしら」
「少しだけ、背中を押して差し上げてはいかがでしょう」
「私が?」
「お嬢様以外に、だれがおりますか」

 返す言葉がなかった。
 キャサリンはしばらく黙り込んでから、渋々と言った様子でうなずく。

「……。調べるだけよ」
「もちろんでございます」

 エマは満足げに、静かに目を閉じた。



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 翌日から、キャサリンとエマの地味な調査が始まった。
 クラリスの周辺に出入りする人物。研究院で彼女と話す機会の多い男性。それとなく聞きこみをしながら、エマが手帳に候補を書き出していく。

「まず一人目ですが、同じ研究院の上級研究員です。クラリス様の研究を高く評価しているとのことで……」

「既婚よ」
「……。失念しておりました」
「2人目は?」
「40を過ぎた方で、穏やかな人柄だと聞いております」
「年が離れすぎているわ」
「では3人目。若手の研究者で、院内でも優秀だと評判の……」
「クラリスと話したことはあるの?」
「それはまだないようですね」

 淡々と返すエマに、キャサリンは内心頭を抱えていた。

「……。論外ね」

 エマが静かにため息をつく。

「探そうとすると、意外にも見つからないものですね」
「当たり前でしょう。釣り合いだけで人を選べるなら、苦労しないわ」

 それ以上の言葉はなかったが、キャサリン自身もどこか乗り気でないことは、エマには最初からわかっていた。



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「こういうのはあまり趣味じゃないんだけれど……」

 研究院の近くまで足を運んだキャサリンが独り言ちていた。

「お嬢様が言い出したことではありませんから」
「……。……そうね、あなたが言いだしたのよ」
「さようでございますね」

 涼しい顔してエマが答える。
 キャサリンは内心で小さな舌打ちをしてから、視線を前に向けた。
 研究院の正門から少し離れた並木道。
 昼下がりの穏やかな陽光の中を、ちょうど見知った顔が歩いて来るところだった。
 クラリスだ。
 手には資料の束を抱え、いつもより少し早足で歩いている。その隣には、見慣れない青年の姿があった。

「……あれは」

 エマが静かに目を細める。
 同い年か、あるいは少し上か。
 飾り気のない服装に、どこかぼさぼさした髪。
 いかにも研究者という風貌の青年だった。

「何か言っているわね」

 遠すぎて声は聞こえない。
 しかし、クラリスが何かに反論するように紙の一点を指差し、青年がそれをのぞきこんで眉を寄せている。まもなく、別の箇所を指で示し返していた。

 言い合いをしているようにも見えるが、クラリスの顔は怒っていない。
 むしろ、目が生き生きとしていた。

「……」

 キャサリンは黙って観察をつづけた。
 2人が立ち止まる。
 青年が何かを熱心に説明し、クラリスがそれを聞いてから、ゆっくりと首を縦に振った。
 珍しいものを見た、というような表情だった。
 納得したくないけれど、認めざるを得ないという顔だ。
 それを見た青年が、ひどく嬉しそうに笑う。

「……。エマ」
「はい」
「あの青年はだれ?」
「少々お待ちを」

 エマが近くを通りかかった研究院の関係者に、さりげなく声をかける。短いやり取りのあと、戻って来た。

「オスカー様とおっしゃるそうです。クラリス様と同期の若手研究者で、同じ分野を研究されている方のようですね」

「同じ分野……」
「ええ。騒動のあとから、よく一緒にいるようになったと……院内でも、知らない者はいないくらいだそうです」

「そう」

 短く答えて、キャサリンはもう一度2人に目をやった。
 クラリスがまた何かに反論しているようだった。
 青年がそれを笑い飛ばして、歩き出す。クラリスが慌てて後を追いながら、まだ言い足りないように口を動かしていた。

 その横顔は穏やかそのものだった。

「……。……帰りましょうか」

 キャサリンが踵を返す。

「よろしいのですか? 声もかけなくて」
「必要ないでしょう?」
「……さようでございますね」

 エマが静かについてくる。
 帰りの馬車の中は、しばらく無言だった。

「無駄足でしたね」

 端的にエマがそう言った。

「そうね」

 キャサリンは窓の外を見たまま、短く答えた。

「申し訳ございません。余計なことを言いました」
「別にいいわ」

 少しの間があった。
 馬車の車輪――石畳を踏む音が、規則正しく響いている。

 ――アフターケアも必要ないか。

「それが一番よね」

 ぽつりとキャサリンがつぶやいた。
 自分で招いたわけでも、だれかに導かれたわけでもない。
 ただ研究の話をしているうちに、気がついたらそこにいた。そういう相手が、きっとクラリスには一番合っているのだろう。

 余計な手出しをしなくて、本当によかった。

「お嬢様」
「何?」
「うれしそうですね」
「そう……」

 キャサリンが窓に映る自分の顔を、ちらりと確かめる。

 ――まあ、悪い気はしないわね。

 それきり、2人は黙った。
 馬車は王都の通りを、ゆっくりと走りつづけた。