エマの様子に変化があった。
そのことにキャサリンが気づいたのは、ダライアスの命日から数日経ってからのことだった。
最初は、本当に些細な違和感にすぎなかった。
紅茶の香りはいつもどおりで、部屋の整え方にも乱れはない。朝の支度も、来客の予定の確認も、使用人たちへの指示も、すべて滞りなく済まされている。
それでもどこか、侍女の態度に違いを感じた。
「エマ」
「はい、お嬢様」
返事はすぐに返って来た。
遅れてはいない。
いつもどおりの速さだった。
キャサリンは書類から目を上げる。エマは窓のそばに立っていた。
手に銀の盆を持ったまま、視線だけを中庭へ向けている。
春の光が、庭の若葉を淡く照らしていた。
冬の間に枝だけになっていた木々は、少しずつ緑を取り戻している。風が吹くたび、柔らかな葉がさざめき、薄い影が窓辺に揺れた。
エマはじっと、変哲もない光景を見つめている。
「……エマ?」
「はい」
もう一度呼ぶと、今度こそエマは何事もなかったかのように振り返った。
顔にあるのは普段と変わらない無表情だ。
とても貴族だったとは思えない、いつもの立ち姿。
「最近、よく外をご覧になるのね」
「……。そうでしょうか」
エマは首を傾げた。
本当に自覚がないようだ。
「ええ。少なくとも、私の記憶にあるあなたは、窓の外より私の手元を見る時間のほうが長かったわ」
「申し訳ございません」
「責めているわけではないのよ」
キャサリンはペンを置いた。
口元が自然と緩む。
「春ですもの。気もそぞろになることくらい、あるでしょう」
その言葉に、エマはわずかに目を瞬かせた。
「春……」
「違うの?」
問い返すと、エマは少しだけ黙った。
それから、ごく小さく首を横に振る。
「いえ。そうなのかもしれません」
その声音は、いつもより少し柔らかかった。
キャサリンは一瞬だけ返す言葉を失い、やがて静かに息を吐く。
――そう。
エマにも、ようやく春が来たのかもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥に淡い安堵が広がった。
ダライアスの命日を過ぎても、エマはいつもどおり働いていた。無理をしているのかもしれないと気にしていたが、どうやらそればかりでもないらしい。
いつ出会ったのかは不透明だが、心あたりがないわけでもなかった。きっと、あの日エマを町へ出したことは間違いではなかったのだろう。
少なくとも、この数日のエマは沈んでいると言うよりも、どこか心ここにあらずといった様子だ。恋と呼ぶには、あまりに控えめな差異だったが、エマほど落ち着いた大人なら燃え上がることもないのかもしれない。
「何かよいことでもあった?」
「どうでしょう……」
エマは少し考えるように目を伏せた。
普段なら、こんな問いにはすげない返事をしているはずだ。
だが、今は答えを探している。
「……少し、懐かしい方にお会いしました」
――懐かしい?
エマの妙な発言に、キャサリンは片眉を上げた。
「どなたか知り合いが王都に?」
「いいえ。知り合いではございません」
即答だった。
だが、その言い方にはわずかに不自然さがある。
「では、いったい……?」
「町で、少し親切にしていただいた方です」
淡々とエマは答える。声に浮ついたところは見られない。だが、キャサリンにはエマが言葉を慎重に選んでいるように見えた。
しばらくエマを見つめたあとで、キャサリンが口元を緩ませる。
「そう……」
「何か?」
「いいえ。あなたにも、そういうことがあるのだと思って」
「私にもとは……」
「なんでもないわ」
エマがわずかに怪訝そうな顔をする。
その反応が、いつもより少しだけ人間らしく見えて、キャサリンはますますおかしくなった。
そのことにキャサリンが気づいたのは、ダライアスの命日から数日経ってからのことだった。
最初は、本当に些細な違和感にすぎなかった。
紅茶の香りはいつもどおりで、部屋の整え方にも乱れはない。朝の支度も、来客の予定の確認も、使用人たちへの指示も、すべて滞りなく済まされている。
それでもどこか、侍女の態度に違いを感じた。
「エマ」
「はい、お嬢様」
返事はすぐに返って来た。
遅れてはいない。
いつもどおりの速さだった。
キャサリンは書類から目を上げる。エマは窓のそばに立っていた。
手に銀の盆を持ったまま、視線だけを中庭へ向けている。
春の光が、庭の若葉を淡く照らしていた。
冬の間に枝だけになっていた木々は、少しずつ緑を取り戻している。風が吹くたび、柔らかな葉がさざめき、薄い影が窓辺に揺れた。
エマはじっと、変哲もない光景を見つめている。
「……エマ?」
「はい」
もう一度呼ぶと、今度こそエマは何事もなかったかのように振り返った。
顔にあるのは普段と変わらない無表情だ。
とても貴族だったとは思えない、いつもの立ち姿。
「最近、よく外をご覧になるのね」
「……。そうでしょうか」
エマは首を傾げた。
本当に自覚がないようだ。
「ええ。少なくとも、私の記憶にあるあなたは、窓の外より私の手元を見る時間のほうが長かったわ」
「申し訳ございません」
「責めているわけではないのよ」
キャサリンはペンを置いた。
口元が自然と緩む。
「春ですもの。気もそぞろになることくらい、あるでしょう」
その言葉に、エマはわずかに目を瞬かせた。
「春……」
「違うの?」
問い返すと、エマは少しだけ黙った。
それから、ごく小さく首を横に振る。
「いえ。そうなのかもしれません」
その声音は、いつもより少し柔らかかった。
キャサリンは一瞬だけ返す言葉を失い、やがて静かに息を吐く。
――そう。
エマにも、ようやく春が来たのかもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥に淡い安堵が広がった。
ダライアスの命日を過ぎても、エマはいつもどおり働いていた。無理をしているのかもしれないと気にしていたが、どうやらそればかりでもないらしい。
いつ出会ったのかは不透明だが、心あたりがないわけでもなかった。きっと、あの日エマを町へ出したことは間違いではなかったのだろう。
少なくとも、この数日のエマは沈んでいると言うよりも、どこか心ここにあらずといった様子だ。恋と呼ぶには、あまりに控えめな差異だったが、エマほど落ち着いた大人なら燃え上がることもないのかもしれない。
「何かよいことでもあった?」
「どうでしょう……」
エマは少し考えるように目を伏せた。
普段なら、こんな問いにはすげない返事をしているはずだ。
だが、今は答えを探している。
「……少し、懐かしい方にお会いしました」
――懐かしい?
エマの妙な発言に、キャサリンは片眉を上げた。
「どなたか知り合いが王都に?」
「いいえ。知り合いではございません」
即答だった。
だが、その言い方にはわずかに不自然さがある。
「では、いったい……?」
「町で、少し親切にしていただいた方です」
淡々とエマは答える。声に浮ついたところは見られない。だが、キャサリンにはエマが言葉を慎重に選んでいるように見えた。
しばらくエマを見つめたあとで、キャサリンが口元を緩ませる。
「そう……」
「何か?」
「いいえ。あなたにも、そういうことがあるのだと思って」
「私にもとは……」
「なんでもないわ」
エマがわずかに怪訝そうな顔をする。
その反応が、いつもより少しだけ人間らしく見えて、キャサリンはますますおかしくなった。

