タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 エマは幸せな夢を見ていた。まだ自分が若い頃の話だ。
 親方に怒鳴られて、肩をすくめる横顔。
 商家の扉を開けて、おずおずと入って来た姿。
 食事会でグラスを倒し、真っ赤になって布巾を探す手。
 どれも、よく覚えている。
 忘れるはずがない。
 ダライアスは、春の日差しの中で笑っていた。
 目元をくしゃりと細める、少し困ったような笑顔。
 だが、その顔が少しだけ年を取っている。
 初めて会った頃の若い職人ではない。もっと後の、ありもしない年月を重ねたような顔だった。目元には、穏やかな皺がある。仕草は相変わらず頼りない。ただし、記憶の中の声よりも、頭に浮かんだ男の声はどこか低かった。時計の部品を手に、ダライアスがほほえんでいる。

 なぜ時計なのだろうと、エマは訝しんだ。
 ダライアスはガラス職人だったはずだ。

「……」

 ダライアスはいつも部品の仕入れに苦労していた。粗悪品を売りつけられたダライアスを、自分が助けたことだってある。

 ああ、そうだった。
 ダライアスは時計職人だった。
 どうしてこんな大事なことを勘違いしたのだろう。ガラス職人は、イズルベシアから出て来た自分が勝手に目標としていた相手で、ダライアスではない。

 ダライアスは雨の日にふらりと、来客として商家にやって来たのだ。そこでダライアスからプレゼントをもらって、交際が始まった。

 だが、自分がお付き合いをする気になったのはどうしてだっただろうか。
 うまく思い出せない。
 記憶が混濁している。
 炉にくべられた火に意識を向けると、時計の音が強くなる。
 きっと夫が嫉妬しているのだろう。

『一緒の時間を刻んでいきませんか?』

 プロポーズの言葉とともに受け取った時計は、今も大事に机にしまってある。最近見ていないだけで、引き出しを開ければすぐに見つかるはずだ。結婚の記念品なのだから、なくすはずがない。

 恥ずかしい。
 たった数年でこんなにも相手のことを忘れてしまうなんて、自分はなんて薄情な妻だったのだろうか。

 それにダライアスという響きもなんだか収まりが悪い気がする。
 ダライアスという人名ではなかったのかもしれない。
 ダミアン……。そうだ、ダミアンだ。
 自分の夫はダミアンという名前だった。

「……ふふ」

 無事に思い出せると、口元に自然と微笑が浮かんだ。