「次の角を左です。あとは真っすぐ行けば、あなたの通りに出ます」
「ありがとうございます。助かりました」
「二度はありませんよ」
「……善処します」
道を覚えるなんてことは日常に必要な行為だろう。そんなものに善処という言葉を使ってもらいたくなかったのだが、困ったように笑うダライアスを見ていると、何も言えなくなってしまう。
エマは軽く会釈をして、今度こそ自分の帰る方向へ向かう。
「また、お会いできますか?」
背中越しにかかった声に、エマは振り返らないまま答えた。
「ご縁があれば」
嬉しそうな声が聞こえた気がしたが、もうエマは歩きだしていた。
✿✿✿❀✿✿✿
数日後、ダライアスが商家に現れた。
その日は朝から雨が降っていた。
細い雨で、石畳を濡らす音も静かだ。客足は少なく、エマは帳簿の整理をしながら、店先の様子に目を配っていた。
扉が開く。
小さな鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
顔を上げたエマは、そこで一瞬だけ手を止めた。
ダライアスだった。
いつものように少し所在なさげな顔をして、濡れた外套の端を気にしている。
「……。納品でしょうか」
そんな予定はなかったはずだが、自分が誤っているのかもしれない。念のために尋ねてみる。
「あ、いえ。今日はその……納品ではなく」
歯切れが悪い。
いつも悪いが、今日は一段とひどかった。
「ほかにご用件が?」
「はい。あなたにあります」
ダライアスは胸元から布に包まれた小さなものを取り出した。
手のひらに乗るほどの大きさだ。丁寧に包まれているが、どこか不格好で、端が少しだけずれている。
「これを」
差し出された包みを、エマは見つめた。
「……私に?」
「はい」
ダライアスは真剣な顔でうなずく。
冗談ではないらしい。
「受け取る理由がありません」
「先日、道を案内していただいたお礼です」
エマはしばらく包みを見つめてから、結局はそれを受け取った。
今はまだ仕事中だ。
この場で押し問答を続ければ、いずれは店の奥にいるミリアムが顔を出す。そうなると面倒なことになるのは目に見えていた。
布を開く。
中にあったのは、小さなガラス細工だった。
花の形をしている。
淡い薄桃色の花弁に、透明な葉が添えられていた。大きさは指先ほどで、髪飾りにするには少し小さく、置物にするにはやや繊細でもったいない。
光を受けると、花弁の内側でかすかな色が揺れる。
単純な飾りではない。見る角度によって、春の空のようにも、朝焼けのようにも映るよう工夫が施されていた。
「これをあなたが……?」
「はい」
ダライアスは緊張したように背筋を伸ばした。
「まだ売り物にはなりません。親方には、花びらの厚みが揃っていないと言われました」
ダライアスの謙遜ではないのだろう。花弁を指先で持ちあげれば、実際に揃っていない部分が見られる。
だが、決して不格好ではない。
自然な花自体、均一ではないのだ。未熟な技量から来る歪みは、むしろガラス細工を本物のように見せていた。
「なぜ、これを?」
「ドレスは、作れませんので……」
顔を上げたエマがダライアスのほうを見うある。
ダライアスは、ごく真面目な顔で続けていた。
「お好きな色なのかと思いまして」
言葉がすとんと胸の奥に落ちた。
この男は鈍い。
道にも迷う。
会話の間も悪いし、注意がひとつのことにしか向かない。職人としても、まだまだ半人前だ。
それでも確かに自分のことを見ようとしてくれている。
露骨な好意とは呼べないものだが、もう少しばかり気を許してもいいのかもしれない。
貴族だった頃の名残。
手放したはずの憧れ。
自分でも見なかったふりをした、ほんの小さな未練。
それを馬鹿にせず、慰めにもせず、ダライアスは形にして差し出して来たのだ。
「ありがとうございます。助かりました」
「二度はありませんよ」
「……善処します」
道を覚えるなんてことは日常に必要な行為だろう。そんなものに善処という言葉を使ってもらいたくなかったのだが、困ったように笑うダライアスを見ていると、何も言えなくなってしまう。
エマは軽く会釈をして、今度こそ自分の帰る方向へ向かう。
「また、お会いできますか?」
背中越しにかかった声に、エマは振り返らないまま答えた。
「ご縁があれば」
嬉しそうな声が聞こえた気がしたが、もうエマは歩きだしていた。
✿✿✿❀✿✿✿
数日後、ダライアスが商家に現れた。
その日は朝から雨が降っていた。
細い雨で、石畳を濡らす音も静かだ。客足は少なく、エマは帳簿の整理をしながら、店先の様子に目を配っていた。
扉が開く。
小さな鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
顔を上げたエマは、そこで一瞬だけ手を止めた。
ダライアスだった。
いつものように少し所在なさげな顔をして、濡れた外套の端を気にしている。
「……。納品でしょうか」
そんな予定はなかったはずだが、自分が誤っているのかもしれない。念のために尋ねてみる。
「あ、いえ。今日はその……納品ではなく」
歯切れが悪い。
いつも悪いが、今日は一段とひどかった。
「ほかにご用件が?」
「はい。あなたにあります」
ダライアスは胸元から布に包まれた小さなものを取り出した。
手のひらに乗るほどの大きさだ。丁寧に包まれているが、どこか不格好で、端が少しだけずれている。
「これを」
差し出された包みを、エマは見つめた。
「……私に?」
「はい」
ダライアスは真剣な顔でうなずく。
冗談ではないらしい。
「受け取る理由がありません」
「先日、道を案内していただいたお礼です」
エマはしばらく包みを見つめてから、結局はそれを受け取った。
今はまだ仕事中だ。
この場で押し問答を続ければ、いずれは店の奥にいるミリアムが顔を出す。そうなると面倒なことになるのは目に見えていた。
布を開く。
中にあったのは、小さなガラス細工だった。
花の形をしている。
淡い薄桃色の花弁に、透明な葉が添えられていた。大きさは指先ほどで、髪飾りにするには少し小さく、置物にするにはやや繊細でもったいない。
光を受けると、花弁の内側でかすかな色が揺れる。
単純な飾りではない。見る角度によって、春の空のようにも、朝焼けのようにも映るよう工夫が施されていた。
「これをあなたが……?」
「はい」
ダライアスは緊張したように背筋を伸ばした。
「まだ売り物にはなりません。親方には、花びらの厚みが揃っていないと言われました」
ダライアスの謙遜ではないのだろう。花弁を指先で持ちあげれば、実際に揃っていない部分が見られる。
だが、決して不格好ではない。
自然な花自体、均一ではないのだ。未熟な技量から来る歪みは、むしろガラス細工を本物のように見せていた。
「なぜ、これを?」
「ドレスは、作れませんので……」
顔を上げたエマがダライアスのほうを見うある。
ダライアスは、ごく真面目な顔で続けていた。
「お好きな色なのかと思いまして」
言葉がすとんと胸の奥に落ちた。
この男は鈍い。
道にも迷う。
会話の間も悪いし、注意がひとつのことにしか向かない。職人としても、まだまだ半人前だ。
それでも確かに自分のことを見ようとしてくれている。
露骨な好意とは呼べないものだが、もう少しばかり気を許してもいいのかもしれない。
貴族だった頃の名残。
手放したはずの憧れ。
自分でも見なかったふりをした、ほんの小さな未練。
それを馬鹿にせず、慰めにもせず、ダライアスは形にして差し出して来たのだ。

