タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 そして、再びその日が訪れた。
 王立魔導研究院、発表会場。
 前回と同じ場所。
 同じ顔ぶれ。
 違うのは、ただ一つ。
 胸の奥は、不思議なほどに静かだった。

「クラリス様、本日は発表を? 楽しみにしておりますわ」

 声をかけられ、クラリスは軽く微笑んだ。

「ええ、その予定です」

 視線を巡らせる。
 エミリアを見つけた。
 今までの自分ならば、そこに浮かんでいる微笑を、自分のためのものだと信じられたが、今はもう違った。

 あの微笑は、クラリスからすべてを奪えるという自信と、その余裕から来ているものだったのだ。

「やはり、キャサリン嬢の言うとおりだったのね……」

 確信した。
 まだほんの少し、心に迷いがあったのだが、もう揺らぐことはない。
 今日ここで、エミリアを叩きのめすのだ。
 そのための餌なら、すでに撒いてあるのだから。



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「それでは、次の発表者――」

 進行役の声が響く。
 錚々たる顔ぶれが集う中、壇上の中央に立つ一人の少女は、みなの期待の視線を一身に浴びていた。

「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」

 澄んだ声が会場に響く。
 クラリスの視線が、客席の一角へと向く。
 そこには誇らしげに腕を組む婚約者ケヴィンの姿がった。
 今にして思えば、なんとも胡散臭い態度だ。
 言葉には出さず、クラリスは小さく息を整える。

「それではこれより――」
「お待ちください」

 発表を始めようとした瞬間に、凛とした声が空気を切り裂いた。
 ざわりと会場が揺れる。
 ゆっくりと落ち着き払った態度で、クラリスは振り返る。
 自分の妹であるエミリアが立っていた。

「……。エミリア」

 小さな失望と、大きな喜びの混じり合った声音で、クラリスが名前を呼ぶ。
 クラリスのことなど気にせず、エミリアは薄い笑みを浮かべて、ゆっくりと壇上へと歩み寄って来る。

「お姉様。その発表は、代わりに私が行いますわ」
「どういうこと?」
「そのままの意味です」

 エミリアはにこやかに微笑む。

「だって、その研究は、もともと私のものですから」

 静寂。
 不自然な沈黙が会場を包む。
 だが、次の瞬間にはざわめきが爆発していた。

「何を言っているの?」

 しっかりとした声で、クラリスが問い返す。
 クラリスの態度が気に入らないようで、エミリアは少し不満げだった。
 だが、趨勢は変わらないと思いなおしたらしい。
 エミリアは威嚇するようにクラリスに迫った。

「お姉様こそ、人の研究データを勝手に盗むのはやめていただきたいものですわね」
「研究を盗む? 私が?」
「ええ、そうです。証拠もございますわ」

 差し出されたのは、分厚い研究記録。
 見覚えのある紙束だった。
 しかし、その表紙に記されてあるはずの名前は、自分のものではない。
 これもすでに知っている。

「エミリア・レーヴェルと、ここにちゃんと書いてあるでしょう?」

 クラリスが堂々と対応しているためだろう。
 どよめきはあまり広がらない。
 ただし、会場の視線は一点へと集まっていた。

「では、お願いします」

 クラリスは悠然とエミリアに場を譲った。
 釈然としないようだったが、まもなく自信に満ちた笑みを浮かべて会場に向きなおる。
 対するクラリスのもとには、婚約者のケヴィンが駆けつけていた。

「努力家だと思っていたが……他人の成果に手を出すとはな。見損なったぞ」
「……」
「このような不正を働く者を、我が家に迎えることはできないな」
「そうですか」
「ここにクラリス・レーヴェル、お前との婚約を破棄することを宣言する」

 言うだけ言って、ケヴィンが去っていった。
 妹を選ぶだなんて馬鹿な人。
 そんな小さな雑感を抱いた程度で、取り乱すことはおろか悲しむことさえクラリスはしない。

「本日は、新たな魔導理論について発表させていただきます」

 借り物の力を使ったエミリアの発表が始まった。
 流れるような説明。
 整った理論。
 一見すれば、完璧に見える内容だ。
 会場の反応も上々。
 さすがに、一部が正規のものだけあって手ごたえが違う。

「おお……」
「これは興味深い」

 名のある研究者たちも熱心にうなずいている。
 実際には理解していない貴族たちも、周りの様子をうかがって、要所で感心したふりをしている。

「さすがだ、エミリア嬢」

 満足げにケヴィンが微笑んでいた。



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 発表が終わり、会場を拍手が包んだ。

「素晴らしい……!」
「これほどの成果とは……」
「確かに、これではクラリス嬢が横取りしたくなるのも納得ですな」

 賞賛の嵐だ。
 いやがおうにもエミリアの評価は高まっていく。
 莞爾としたエミリアの微笑み。
 当然だ。
 まるですべてがうまくいっているかのように、そう錯覚しているに違いない。
 大成功。
 だれだってそう誤解する。
 心の中で、クラリスが静かに笑った。
 用意された成功だと知っていれば、とても恥ずかしくて笑えはしない。
 これは仕組まれた偽りの勝利なのだから。

「それでは、質疑応答に移りましょう」

 司会の一言で、空気が少し引き締まった。
 壇上のエミリアは、余裕の表情を崩さない。
 彼女からすればウイニングランに等しい。

「では、私から一つ」

 一人の研究者が、手を挙げた。
 白髪の老人。
 王立研究院でも名の知れた人物だった

「この理論における、魔力循環の安定性についてなのですが……」

 穏やかな口調。
 しかし、その内容は核心を突くものだった。

「ええ、それについては――」

 エミリアが答えようと資料を見返す。
 そして、一瞬、言葉に詰まった。

「……」

 ほんのわずかな間だったが、クラリスは見逃さない。
 その違和感は老人にも伝染する。

「どうしましたかな?」
「い、いえ……問題ありませんわ」

 すぐにエミリアが取り繕う。
 笑顔を崩さなかったのは、並みの度胸ではないことの証明だろう。こんなことをしでかすくらいなのだから、その点は最初から別格だったのかもしれない。

 しかし、理解していないことは明白だ。
 あの質問の意味を、エミリアは正しく理解できていない。

「この理論では、特定条件下で魔力が逆流する危険性があると思うのですが……」

 追撃が飛ぶ。
 その質問を皮切りに研究者たちが、今一度クラリスの発表を見返しはじめた。
 別の研究者からも手が挙がる。

「その点はどのように対処されているのですか?」
「それは……」

 エミリアの指先がわずかに震えた。
 会場の空気が、少しずつ変わっていく。
 小さな波紋が、次第に大きなものへと広がっていく。

「……。問題はありませんわ」

 エミリアは言い切る。
 しかし、その声からは先ほどまでの余裕が失われていた。

「理論上、完全に制御可能です」

 白髪の研究者が目を細める。

「ほう。その制御式を説明していただけますね?」

 エミリアの口が完全に止まった。
 その顔からは血の気が引いている。
 毒を仕込ませた張本人であるキャサリンは、それを遠くから満足げに眺めていた。

 ――無理よね。だって、そこには答えがないんだもの。

 その欠陥はクラリスの手によって、意図的に仕込まれたものだ。
 表面だけをなぞった者では、決してたどり着けはしない。

「どうされたのです?」
「まさか、説明ができない……」
「この結論は嘘っぱちか?」

 ざわめきは大きくなっていく。
 疑念がちゃんとした形を持ちはじめていた。
 その中で、クラリスが静かに息を吐く。

「……ふぅ」

 計画どおりだ。
 舞台は整った。
 クラリスがキャサリンに目を向ける。

 ――終わらせてあげなさい。

 キャサリンも力強いうなずきを返す。
 クラリスがゆっくりと壇へと向かっていく。
 その先に待つ結末は、すでに決まっていた。