義母・宮子さまの館に居候して――数か月が過ぎた。
季節は、すっかり秋。
風が冷たくなり、庭の木々も少しずつ色づき始めている。
そのころ。
県犬養夫人《あがたいぬかいのぶにん》が――どうやら懐妊したらしい。
しかも。
その人、めちゃくちゃ見せびらかすタイプ。
わざわざお腹をさすりながら、遠回しにマウントを取ってくる。
(うざっ)
刺激しないように、なるべく顔を合わせないようにしていた。
――のに。
「ワン! ワンワンッ!!」
「ぎゃっ!?」
突然、真っ黒な犬が館に飛び込んできた。
しかも、めちゃくちゃ吠える。
廊下を走り回り、あたしの袴に噛みつこうとしてくる始末。
「まあ……困りましたね」
宮子さまは、相変わらず穏やかな声だった。
「犬屋敷へ連れて行きましょうか」
だけど。
あたしの心の中は、完全にブチ切れていた。
(――どついたろか?)
(あん? 犬鍋になりたくなければ二度と来るんじゃねえぞ?)
もちろん口には出さない。
出したら未来の皇后候補として終わる。
だから、にっこり微笑んで言った。
「野良犬のようですわ。町へお譲りしてはどうでしょう。番犬として喜ばれるかもしれません」
「あ、はい! 姫さま!」
役人が慌てて犬を抱えていく。
……ふう。
すっきり。
これで黒犬クマともお別れだ。
後ろで宮子さまが、小さく笑った気がした。
◇
侍女たちの世間話で知ったことがある。
宮子さまは、未来の義母。
――だけど同時に、異母姉妹でもあるらしい。
父は同じ。
母が違う。
だからなのか。
妙に気が合った。
宮子さまの隣に座っているだけで、不思議と心が落ち着く。
この館は静かで。
少し寂しくて。
でも、あたしはここが好きだった。
ある日。
宮子さまの希望で、館に黒猫を迎えることになった。
「名前をつけていいわよ」
そう言われて、あたしは少しだけ迷う。
――そして。
「クロエ」
高校時代の親友の名前を借りた。
金髪まじりのハーフで、いじられキャラ。
でも優しくて、放っておけない子だった。
(元気にしてるかなあ)
そんなことを思いながら、暴れ回る子猫を抱き上げる。
「にゃあっ!」
「こら、クロエ! 障子のぼるな!」
猫はやんちゃで。
でも、その騒がしさが少しだけ心を軽くした。
……今のあたし、癒やしが必要なんだよな。
◇
秋の終わり。
父が館を訪れた。
――藤原不比等《ふじわらのふひと》。
今、この国で最も力を持つ男。
そして。
あたしと宮子さまの父でもある。
その後ろには、四人の兄たち。
圧がすごい。
完全に“組の幹部会議”感ある。
兄のひとりが、美しい琵琶を抱えていた。
ラクダの文様が貝で飾られた、異国風の豪華な品。
「首皇子《おびとのみこ》が、宮子さまへ贈られたそうです」
宮子さまは琵琶をそっと撫で、寂しそうに笑った。
「皇子には……生まれてから、一度も会えていないの」
ぽつり、と落ちる声。
「会いたいわ。でも……もっと元気になってからでないと」
そう言って、寝台へ横になる。
父は、そんな宮子さまの髪を優しく撫でた。
「きっと良くなる」
兄たちは顔を曇らせる。
「赦せぬ……」
「先帝が冷たくしたせいだ」
その話は何度も聞いた。
宮子さまは、先帝から愛されず、心を病んだ。
だから藤原家は怒っている。
……というか。
毎回この話をして、結束を固めてる気もする。
すると父が、ふっとあたしを見た。
「光明子。お前のおかげで、宮子は回復している」
「え?」
「以前は一言も話さなかった。今では猫を撫でて笑う」
少しだけ。
胸が、あたたかくなった。
その時だった。
「宮子さま、お薬のお時間です」
侍女に促され、宮子さまが部屋を出る。
――そして。
空気が変わった。
季節は、すっかり秋。
風が冷たくなり、庭の木々も少しずつ色づき始めている。
そのころ。
県犬養夫人《あがたいぬかいのぶにん》が――どうやら懐妊したらしい。
しかも。
その人、めちゃくちゃ見せびらかすタイプ。
わざわざお腹をさすりながら、遠回しにマウントを取ってくる。
(うざっ)
刺激しないように、なるべく顔を合わせないようにしていた。
――のに。
「ワン! ワンワンッ!!」
「ぎゃっ!?」
突然、真っ黒な犬が館に飛び込んできた。
しかも、めちゃくちゃ吠える。
廊下を走り回り、あたしの袴に噛みつこうとしてくる始末。
「まあ……困りましたね」
宮子さまは、相変わらず穏やかな声だった。
「犬屋敷へ連れて行きましょうか」
だけど。
あたしの心の中は、完全にブチ切れていた。
(――どついたろか?)
(あん? 犬鍋になりたくなければ二度と来るんじゃねえぞ?)
もちろん口には出さない。
出したら未来の皇后候補として終わる。
だから、にっこり微笑んで言った。
「野良犬のようですわ。町へお譲りしてはどうでしょう。番犬として喜ばれるかもしれません」
「あ、はい! 姫さま!」
役人が慌てて犬を抱えていく。
……ふう。
すっきり。
これで黒犬クマともお別れだ。
後ろで宮子さまが、小さく笑った気がした。
◇
侍女たちの世間話で知ったことがある。
宮子さまは、未来の義母。
――だけど同時に、異母姉妹でもあるらしい。
父は同じ。
母が違う。
だからなのか。
妙に気が合った。
宮子さまの隣に座っているだけで、不思議と心が落ち着く。
この館は静かで。
少し寂しくて。
でも、あたしはここが好きだった。
ある日。
宮子さまの希望で、館に黒猫を迎えることになった。
「名前をつけていいわよ」
そう言われて、あたしは少しだけ迷う。
――そして。
「クロエ」
高校時代の親友の名前を借りた。
金髪まじりのハーフで、いじられキャラ。
でも優しくて、放っておけない子だった。
(元気にしてるかなあ)
そんなことを思いながら、暴れ回る子猫を抱き上げる。
「にゃあっ!」
「こら、クロエ! 障子のぼるな!」
猫はやんちゃで。
でも、その騒がしさが少しだけ心を軽くした。
……今のあたし、癒やしが必要なんだよな。
◇
秋の終わり。
父が館を訪れた。
――藤原不比等《ふじわらのふひと》。
今、この国で最も力を持つ男。
そして。
あたしと宮子さまの父でもある。
その後ろには、四人の兄たち。
圧がすごい。
完全に“組の幹部会議”感ある。
兄のひとりが、美しい琵琶を抱えていた。
ラクダの文様が貝で飾られた、異国風の豪華な品。
「首皇子《おびとのみこ》が、宮子さまへ贈られたそうです」
宮子さまは琵琶をそっと撫で、寂しそうに笑った。
「皇子には……生まれてから、一度も会えていないの」
ぽつり、と落ちる声。
「会いたいわ。でも……もっと元気になってからでないと」
そう言って、寝台へ横になる。
父は、そんな宮子さまの髪を優しく撫でた。
「きっと良くなる」
兄たちは顔を曇らせる。
「赦せぬ……」
「先帝が冷たくしたせいだ」
その話は何度も聞いた。
宮子さまは、先帝から愛されず、心を病んだ。
だから藤原家は怒っている。
……というか。
毎回この話をして、結束を固めてる気もする。
すると父が、ふっとあたしを見た。
「光明子。お前のおかげで、宮子は回復している」
「え?」
「以前は一言も話さなかった。今では猫を撫でて笑う」
少しだけ。
胸が、あたたかくなった。
その時だった。
「宮子さま、お薬のお時間です」
侍女に促され、宮子さまが部屋を出る。
――そして。
空気が変わった。

