育成ナースたちがそれぞれ片付けを始め、シミュレーションルームの空気が少しずつ落ち着いていく。
すると。
「指導者組、ちょっとええですかー」
森崎さんの声。
私たちは自然とそちらへ集まった。
斉賀さん。
神波さん。
さっきまで育成メンバーへ向けていた柔らかい空気とは違う。
今度は“教える側”だけの空気だった。
森崎さんはテーブルへ分厚いファイルを置く。
「これ、来月までのフライトスケジュールです」
そう言って、一人一人へ資料を配っていく。
私は受け取ったファイルを開く。
びっしり並んだ予定。
ICU勤務。
シミュレーション。
症例カンファレンス。
そして——実機搭乗。
想像以上に詰まっていた。
「……すごい」
思わず小さく呟く。
すると隣で神波さんが笑う。
「日本初のプロジェクトやからねぇ」
「病院側も本気や」
斉賀さんは静かにスケジュールを眺めていた。
その表情は真剣そのもの。
すると森崎さんが壁へ寄りかかりながら口を開く。
「多分みんなもう分かってると思いますけど」
その瞬間。
空気が少し締まる。
「シミュレーションには限界あります」
さっきまでより低い声。
現場の声だった。
「もちろん基礎固めには大事です」
「でも」
森崎さんはゆっくり私たちを見る。
「本物の現場は、あんな綺麗ちゃいます」
誰も口を開かない。
「音もある」
「血もある」
「家族の泣き声もある」
「想定外なんか普通に起こる」
その言葉が重く落ちる。
私は自然と、これまで見てきた現場を思い出していた。
崩れる家族。
止まるモニター。
飛び交う声。
現場は、いつだって綺麗じゃない。
すると森崎さんが続ける。
「だから」
「現場で、たくさん教えたってください」
静かな声だった。
でも。
そこには確かな信頼があった。
「技術も」
「空気も」
「怖さも」
「全部です」
その言葉に、指導者たちの表情が変わる。
神波さんも。
斉賀さんも。
みんな同じ顔をしていた。
“育てる側”の顔。
すると神波さんが一言。
「かなり大変になりますね」
森崎さんが笑う。
「そらそうですよ」
「でも日本の救命変える第一歩なんで」
その言葉に。
空気が少しだけ熱を帯びた。
日本初のプロジェクト。
全国から集められた人材。
そして育てるのは、未来のフライトナースとフライトドクター。
責任は重い。
でも。
だからこそ意味がある。
すると森崎さんが私を見る。
「一ノ瀬さん」
「はい」
「明後日、実機乗ってもらいます」
「え?」
思わず聞き返す。
すると森崎さんは当然みたいに頷いた。
「育成組にも、まず“本物”見せたいんで」
「現場同行です」
その瞬間。
少しだけ空気が変わる。
「はい」
実機。
つまり本当のフライト。
シミュレーションじゃない。
本物の救急現場。
私は小さく息を吐く。
胸の奥が静かに熱くなる。
——ついに。
大阪での、本当のフライトが始まる。

