誰も動かない。
誰も息をしない。
その数秒が、異様に長く感じた。
「状態が変わりました」
その言葉に。
橘の肩がびくっと震える。
森崎も、無意識に拳へ力を入れていた。
高城先生が立ち上がる。
「……どういう状況ですか」
スタッフが資料を握りしめたまま答える。
「肺挫傷による酸素化低下が強く、現在かなり不安定です」
「出血コントロール継続中」
「外科から、ICU側へECMO準備要請が入りました」
その瞬間。
ICU師長の顔色が変わった。
「ECMO……」
つまり。
それだけ呼吸状態が危険ということ。
会議室が静まり返る。
看護部長が小さく口元を押さえた。
院長も険しい顔のまま黙っている。
森崎は視線を落とした。
頭の中に浮かぶのは、数時間前の紗凪だった。
ヘリの中で笑っていた。
「今日暑いですね」
そう言っていた。
いつも通りだった。
それなのに。
今は。
オペ室で、生きるか死ぬかの状態になっている。
「……っ」
喉の奥が焼ける。
でも。
そんな感情を押し込めるように、高城先生が即座に指示を出した。
「ICU、ECMO受け入れ準備」
「人工呼吸器再確認」
「輸血ライン確保」
「術後すぐ上げられるようにしておいてください」
「はい!」
ICU師長がすぐ立ち上がる。
空気がまた“現場”へ戻る。
感情より先に、動く。
それが救命だった。
すると。
今まで俯いていた橘が、震える声で言った。
「……私も、ICU入ります」
全員の視線が向く。
橘は目を真っ赤にしたまま顔を上げた。
「一ノ瀬さんの受け入れ、私もやらせてください」
その声は掠れていた。
でも。
逃げてはいなかった。
西国先生が静かに橘を見る。
数秒の沈黙。
そして。
「……来い」
短く言った。
「今のお前に必要なのは、目逸らさないことだ」
橘の喉が小さく上下する。
「……はい」
涙を堪えながら頷く。
その姿を見ながら、森崎は静かに息を吐いた。
紗凪なら、多分同じことを言う。
逃げるなって。
現場から目を逸らすなって。
その時だった。
ブブッ——
会議室の机に置かれていたPHSが鳴る。
全員の視線が集まる。
高城先生が即座に取った。
「はい、高城です」
数秒。
その表情が変わる。
「……分かりました」
通話を切る。
静まり返る会議室。
高城先生がゆっくり全員を見渡した。
「オペは継続中」
誰も息をしない。
「……ただ」
その一言で、空気が凍る。
「かなり厳しい状態です」
誰かが、小さく息を呑んだ。
橘が俯く。
森崎は目を閉じた。
そして。
誰より冷静だった西国先生だけが、静かに前を見たまま呟いた。
「一ノ瀬は、簡単には死なない」
低い声だった。
でも。
そこには確かな願いが込められていた。

