あと二ヶ月ほどで私、仙石ヒスイは二十八歳の誕生日を迎える。
大学を卒業して入った家電量販店カツラカメラ。
私は都内にある大きなお店で、レジスタッフとして働いている。
落ちてきた胸元まで伸びた暗い茶色の髪に触れ、レジ前を通るお客さんへ声かけをしていた。
「いらっしゃいませー」
ここはテレビやオーディオ機器を扱うフロアーで、平日はそこまでお客さんが多くない。
テレビ番組や広告だけが流れる、比較的穏やかな売り場。
営業の社員である三つ年上の鏑木さんが、テレビコーナーからレジにいる私の方を見てにっこり笑うのが見えた。
私は小さく手を振って答えた。
鏑木さんは私の彼氏。付き合って三カ月たつ。
彼は今年の四月、この店に異動してきた人だ。
私の歳もとしだから結婚も……って思ってるけど、さすがにまだ三か月だからそういう話はしていない。
鏑木さん、女性アイドルが大好きでそれで意気投合したんだよね。
私も子供の頃からアイドルが大好きだったから。
いつか私たちふたりの最推しである女性アイドルグループ「つばき坂二十六」の握手会に一緒に行こうって話してる。きっと楽しいだろうなぁ。
ひとり、彼氏との推し活を妄想していると、一緒にレジに入っている年上の女性社員が言った。
「あ、鏑木さんだ。ねえ仙石ちゃん、鏑木さんのところ、この間生まれたんですってー」
生まれた。の意味が分からなくって、私は首を傾げて思わず隣にいるその女性へと目を向ける。
「え、生まれたって?」
「私も知らなかったんだけど鏑木さん結婚してるんだって。奥さんは仕事でアメリカに住んでいて、出産でご実家に帰ってきてるって。すごいよね、奥さん。外資系企業の……」
私の耳に、それ以上の話は全然入ってこなかった。
それから二ヶ月以上がたった十月十八日土曜日。昨日、二十八歳の誕生日を迎えた。
上司に直談判した私は、都内のお店から地方都市の翠玉市にある店舗に異動になった。
異動を申し出たとき、フロア長、ビビりちらかしていたな……
「すみません、異動したいです、いいから異動させてくださいお願いします。前に言ってましたよね、どこかのお店で社員探してるって」
「急にどうしたの、異動って。そんなに急にいわれ……」
「嫌です、異動させてください! 知らないうちに不倫していたんです、むりですいやです! ケガラワシイです!」
って主張したら、ドン引きしつつも何とかしてくれた。
「ちょうど翠玉店のエンタメコーナーが社員探してるからそこでよければ。仙石さん、地元だしちょうどいいよね?」
ということで、異動先が決まった。
そこはカツラカメラ発祥の地にある本社下の店舗だ。
もともと数年都内で働いたら、実家がある地元に戻るつもりだったからちょうどよかった。予定よりちょっと早くなったけど。
出勤初日。
私は黒の綿パンに白のブラウス、会社指定の灰色のベストを着て、緊張で顔がこわばるのを感じながら、店長の元を訪れていた。
五十手前くらいだろうか。
ニコニコ顔の男性店長は私を見て言った。
「仙石さん、いらっしゃい。急な異動で申し訳ないねえ。エンタメコーナー、今社員がひとりだけで。これからクリスマスを迎えるのにさすがにこれじゃあまずいと人を探していたんだけど、いくら声かけても嫌がられてねぇ……」
そう言われて私はひきつった笑みを浮かべる。
だって、異動を願い出たのは私だし。
でもエンタメコーナーって何するんだろう。
うちのお店じゃあゲームや玩具を扱っていたと思うけど、フロアが離れていたから詳しくは知らない。日によってはすごい騒ぎになるとは聞いたことがあるくらいだった。
「今日、『攻殻騎士シュリエッタ』のプラモの発売日で整理券配っているんだよねー。他にも新作あるから忙しいと思う」
シュリエッタのプラモ、って言葉を聞いて私は思わず総毛だつ。
そうか、プラモも玩具なんだ。
私の脳裏に、幼い日の過ちが蘇る。
壊れてしまった白いプラモ。泣いて声をあげる、幼なじみの少年の姿。
『ヒスイちゃんなんて嫌いだ!』
もう二十年も経つのに、幼なじみが作ったプラモを壊してしまった事実はずっと、私の中で傷として残っている。
それ以来その子とはぎくしゃくしてしまって、妙な距離ができてしまった。
私はそんな自分の感情を押し殺して、店長に言った。
「そんなに忙しいんですか?」
「あぁ、うん。君は家電製品のレジスタッフしかしたことないよね。年末年始や新生活のときとか忙しかったと思うけど、もしかしたらその比じゃないかも」
「そう……なんですか?」
ちょっと混みようが想像できなくて、私は首を傾げた。
どれだけ忙しいんだろう。
土日でも黒物フロアはすごく混むってないしな。全然想像できない。
「うん、レジは大丈夫だよね。とりあえずスタッフが少ないから、いきなりレジ打つことになるけどよろしく!」
そう笑う店長の笑みがちょっと怖かった。
オープン時間の十時過ぎ。
エスカレーターを上ってくるお客さんたち。駐車場の入口からなだれ込んでくるお客さんたち。
何十人、っていうお客さんが売り場に走ってくる。
その様子を、私は文字通り目を丸くして見つめた。
ちょっとどういうこと?
なにあれ、だって整理券配ってるんだよね。なんであんなに必死な顔して売り場になだれ込んでくるの?
内心ひいていると、レジにお客さんがやってきて、整理券を差し出した。
「い、いらっしゃいませ」
言いながら、私は整理券を受け取って、レジの後ろの棚から商品を探す。そこにある名前に小さな胸の痛みを覚えた。
『攻殻騎士シュリエッタ』
店長が言っていた通りのプラモシリーズの名前が書いてある。これは昔から人気のロボットアニメだ。
プラモが出るってことは今でもアニメやってるのかな。
そう思いながら私は整理券に書かれた商品名とバーコードの数字を照らし合わせて、商品を用意する。
「お待たせいたしました。これでお間違えないですか?」
「大丈夫です」
それから会計をして、レジ待ちの人たちをみると、何人も並んでいることが分かった。
すごい……こんなに並ぶんだ。
私は手を上げて、次のお客さんを誘導する。
「お次のお客様、こちらどうぞー!」
四台並ぶレジはフル稼働。
それでも列は長く続いている。
これ、忙しい時の黒物家電のレジよりあるいみ酷いような気がする。っていうか、新年の福袋販売の時みたい。
それから一時間近くレジを打ちっぱなしだったと思う。
ふつうの会計はいいけど、ゲーム機の会計とかわかんないし、予約もわからない。
エンタメコーナーわからないことが多すぎる、なにこれ異世界?
ゲームソフトとかカードゲームとか、種類多すぎでしょ。
「すみません、これ特典あるはずなんですけど」
「あ、も、申し訳ございません、少々お待ちください」
私はお客さんに言われて慌てて特典探したりして、あたふたしていた。
こんなにレジうつの、すごく久しぶりなんだけど。
そう思いながら私は次のお客さんを呼んだ。
「お待たせいたしました」
「すみません、これお願いします」
私と同い年くらいかな。白い帽子をかぶった青年が整理券を出してくる。
さすがに一時間以上レジを打ってきたから慣れてきて、すぐに目的の商品を探しあて、お客さんにそれを見せる。
「こちらでお間違えないですか?」
「はい、大丈夫です」
そう言いながら、彼は私にスマホの画面を見せてくる。
それは、ポイント会員証のアプリ画面だった。
「ポイント会員証確認いたしますね」
そう笑顔で言いながら、私はハンドスキャナーでポイント会員証をスキャンする。
するとレジ画面にお客様情報が表示された。
『赤月聖那』
その名前を見て、私は思わず手を止めてしまう。
幼稚園から高校まで一緒だった幼なじみの男の子。
プラモが大好きで、でも私がプラモを壊しちゃったからそれ以来距離ができてしまった子。
「……あかつき……せな?」
声に出して名前を言ってしまい、私は慌てる。
やばいどうしよう。わずかに指先が震えてしまい、思わずレジのキーボードに置いた手をぎゅっと握りしめる。
私はスタッフ。相手は客。いくら知り合いでも仕事中、話しかけるのはまずいって。しかも名前言ってしまうとかありえないから。
そう思った時には遅かった。
青年は私の名札に気が付いて、驚きの声を上げた。
「……せんごく……ヒスイ、ちゃん?」
名字しか書かれていない名札を見て、彼は正確に私の下の名前を呼んだ。
大学を卒業して入った家電量販店カツラカメラ。
私は都内にある大きなお店で、レジスタッフとして働いている。
落ちてきた胸元まで伸びた暗い茶色の髪に触れ、レジ前を通るお客さんへ声かけをしていた。
「いらっしゃいませー」
ここはテレビやオーディオ機器を扱うフロアーで、平日はそこまでお客さんが多くない。
テレビ番組や広告だけが流れる、比較的穏やかな売り場。
営業の社員である三つ年上の鏑木さんが、テレビコーナーからレジにいる私の方を見てにっこり笑うのが見えた。
私は小さく手を振って答えた。
鏑木さんは私の彼氏。付き合って三カ月たつ。
彼は今年の四月、この店に異動してきた人だ。
私の歳もとしだから結婚も……って思ってるけど、さすがにまだ三か月だからそういう話はしていない。
鏑木さん、女性アイドルが大好きでそれで意気投合したんだよね。
私も子供の頃からアイドルが大好きだったから。
いつか私たちふたりの最推しである女性アイドルグループ「つばき坂二十六」の握手会に一緒に行こうって話してる。きっと楽しいだろうなぁ。
ひとり、彼氏との推し活を妄想していると、一緒にレジに入っている年上の女性社員が言った。
「あ、鏑木さんだ。ねえ仙石ちゃん、鏑木さんのところ、この間生まれたんですってー」
生まれた。の意味が分からなくって、私は首を傾げて思わず隣にいるその女性へと目を向ける。
「え、生まれたって?」
「私も知らなかったんだけど鏑木さん結婚してるんだって。奥さんは仕事でアメリカに住んでいて、出産でご実家に帰ってきてるって。すごいよね、奥さん。外資系企業の……」
私の耳に、それ以上の話は全然入ってこなかった。
それから二ヶ月以上がたった十月十八日土曜日。昨日、二十八歳の誕生日を迎えた。
上司に直談判した私は、都内のお店から地方都市の翠玉市にある店舗に異動になった。
異動を申し出たとき、フロア長、ビビりちらかしていたな……
「すみません、異動したいです、いいから異動させてくださいお願いします。前に言ってましたよね、どこかのお店で社員探してるって」
「急にどうしたの、異動って。そんなに急にいわれ……」
「嫌です、異動させてください! 知らないうちに不倫していたんです、むりですいやです! ケガラワシイです!」
って主張したら、ドン引きしつつも何とかしてくれた。
「ちょうど翠玉店のエンタメコーナーが社員探してるからそこでよければ。仙石さん、地元だしちょうどいいよね?」
ということで、異動先が決まった。
そこはカツラカメラ発祥の地にある本社下の店舗だ。
もともと数年都内で働いたら、実家がある地元に戻るつもりだったからちょうどよかった。予定よりちょっと早くなったけど。
出勤初日。
私は黒の綿パンに白のブラウス、会社指定の灰色のベストを着て、緊張で顔がこわばるのを感じながら、店長の元を訪れていた。
五十手前くらいだろうか。
ニコニコ顔の男性店長は私を見て言った。
「仙石さん、いらっしゃい。急な異動で申し訳ないねえ。エンタメコーナー、今社員がひとりだけで。これからクリスマスを迎えるのにさすがにこれじゃあまずいと人を探していたんだけど、いくら声かけても嫌がられてねぇ……」
そう言われて私はひきつった笑みを浮かべる。
だって、異動を願い出たのは私だし。
でもエンタメコーナーって何するんだろう。
うちのお店じゃあゲームや玩具を扱っていたと思うけど、フロアが離れていたから詳しくは知らない。日によってはすごい騒ぎになるとは聞いたことがあるくらいだった。
「今日、『攻殻騎士シュリエッタ』のプラモの発売日で整理券配っているんだよねー。他にも新作あるから忙しいと思う」
シュリエッタのプラモ、って言葉を聞いて私は思わず総毛だつ。
そうか、プラモも玩具なんだ。
私の脳裏に、幼い日の過ちが蘇る。
壊れてしまった白いプラモ。泣いて声をあげる、幼なじみの少年の姿。
『ヒスイちゃんなんて嫌いだ!』
もう二十年も経つのに、幼なじみが作ったプラモを壊してしまった事実はずっと、私の中で傷として残っている。
それ以来その子とはぎくしゃくしてしまって、妙な距離ができてしまった。
私はそんな自分の感情を押し殺して、店長に言った。
「そんなに忙しいんですか?」
「あぁ、うん。君は家電製品のレジスタッフしかしたことないよね。年末年始や新生活のときとか忙しかったと思うけど、もしかしたらその比じゃないかも」
「そう……なんですか?」
ちょっと混みようが想像できなくて、私は首を傾げた。
どれだけ忙しいんだろう。
土日でも黒物フロアはすごく混むってないしな。全然想像できない。
「うん、レジは大丈夫だよね。とりあえずスタッフが少ないから、いきなりレジ打つことになるけどよろしく!」
そう笑う店長の笑みがちょっと怖かった。
オープン時間の十時過ぎ。
エスカレーターを上ってくるお客さんたち。駐車場の入口からなだれ込んでくるお客さんたち。
何十人、っていうお客さんが売り場に走ってくる。
その様子を、私は文字通り目を丸くして見つめた。
ちょっとどういうこと?
なにあれ、だって整理券配ってるんだよね。なんであんなに必死な顔して売り場になだれ込んでくるの?
内心ひいていると、レジにお客さんがやってきて、整理券を差し出した。
「い、いらっしゃいませ」
言いながら、私は整理券を受け取って、レジの後ろの棚から商品を探す。そこにある名前に小さな胸の痛みを覚えた。
『攻殻騎士シュリエッタ』
店長が言っていた通りのプラモシリーズの名前が書いてある。これは昔から人気のロボットアニメだ。
プラモが出るってことは今でもアニメやってるのかな。
そう思いながら私は整理券に書かれた商品名とバーコードの数字を照らし合わせて、商品を用意する。
「お待たせいたしました。これでお間違えないですか?」
「大丈夫です」
それから会計をして、レジ待ちの人たちをみると、何人も並んでいることが分かった。
すごい……こんなに並ぶんだ。
私は手を上げて、次のお客さんを誘導する。
「お次のお客様、こちらどうぞー!」
四台並ぶレジはフル稼働。
それでも列は長く続いている。
これ、忙しい時の黒物家電のレジよりあるいみ酷いような気がする。っていうか、新年の福袋販売の時みたい。
それから一時間近くレジを打ちっぱなしだったと思う。
ふつうの会計はいいけど、ゲーム機の会計とかわかんないし、予約もわからない。
エンタメコーナーわからないことが多すぎる、なにこれ異世界?
ゲームソフトとかカードゲームとか、種類多すぎでしょ。
「すみません、これ特典あるはずなんですけど」
「あ、も、申し訳ございません、少々お待ちください」
私はお客さんに言われて慌てて特典探したりして、あたふたしていた。
こんなにレジうつの、すごく久しぶりなんだけど。
そう思いながら私は次のお客さんを呼んだ。
「お待たせいたしました」
「すみません、これお願いします」
私と同い年くらいかな。白い帽子をかぶった青年が整理券を出してくる。
さすがに一時間以上レジを打ってきたから慣れてきて、すぐに目的の商品を探しあて、お客さんにそれを見せる。
「こちらでお間違えないですか?」
「はい、大丈夫です」
そう言いながら、彼は私にスマホの画面を見せてくる。
それは、ポイント会員証のアプリ画面だった。
「ポイント会員証確認いたしますね」
そう笑顔で言いながら、私はハンドスキャナーでポイント会員証をスキャンする。
するとレジ画面にお客様情報が表示された。
『赤月聖那』
その名前を見て、私は思わず手を止めてしまう。
幼稚園から高校まで一緒だった幼なじみの男の子。
プラモが大好きで、でも私がプラモを壊しちゃったからそれ以来距離ができてしまった子。
「……あかつき……せな?」
声に出して名前を言ってしまい、私は慌てる。
やばいどうしよう。わずかに指先が震えてしまい、思わずレジのキーボードに置いた手をぎゅっと握りしめる。
私はスタッフ。相手は客。いくら知り合いでも仕事中、話しかけるのはまずいって。しかも名前言ってしまうとかありえないから。
そう思った時には遅かった。
青年は私の名札に気が付いて、驚きの声を上げた。
「……せんごく……ヒスイ、ちゃん?」
名字しか書かれていない名札を見て、彼は正確に私の下の名前を呼んだ。
