癒えない火傷が作った二人だけのケアプラン

 朝の光が差し込む老人ホームの玄関。
愛斗と由香の二人は、明るい声でスタッフや入居者たちに挨拶を交わした。
そのまま愛斗は更衣室へ向かい、手早く制服に袖を通す。
準備を整えてから事務所に顔を出し、一日の業務開始を告げた。 愛斗の仕事はまず入居者たちを部屋へ迎えに行くことから始まった。
一人ひとりに声をかけ、車椅子を慎重に操作して茶の間へと誘導する。
全員が揃ったところで車椅子のブレーキを固定し、朝食の介助に入った。
 食後のケアを終え、入居者たちをそれぞれの居室へ送り届ける。
一息つこうと廊下に出たその時、隣の部屋から嫌な物音が響いた。
 愛斗が慌てて駆けつけると、そこには由香が床に尻もちをついて座り込んでいた。
「大丈夫ですか、由香さん!」
 愛斗が必死の形相で駆け寄ると、由香は少し困ったように笑って答えた。
「うん、平気。……ちょっと、蹴られた拍子にバランス崩しちゃって」
 愛斗は彼女にそっと手を差し伸べ、ゆっくりと立ち上がらせた。そのまま、手を出した男性入居者の方を向き、毅然とした態度で注意を促す。
男性はバツが悪そうに謝罪し、由香は「いいですよ」と優しくそれを許した。
 その後、二人は連れ立って休憩室へと向かった。
「本当に大丈夫ですか? 由香さん」
 パイプ椅子に腰を下ろすと、愛斗は心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
「うん、平気だってば」
「蹴られたところ、痛くないですか?」
「大丈夫だよ、このくらい」
「……よかったです。でも、無理だけはしないでくださいね」
 愛斗の言葉に、由香は「うん」と短く頷いた。
 少しの休息を経て、愛斗は再び仕事に戻った。夕方まで忙しく動き回り、ようやく一日の業務が幕を閉じる。
帰宅の準備を終え、愛斗が施設を出ようとしたその時だった。由香が隣に並び、少し照れくさそうに「今日、うちに寄っていかない?」と彼を誘い車に乗り由香の家に行った。

二人は由香の家へと帰り、その扉をくぐった。
「お邪魔します」
 案内されるままリビングへ進むと、愛斗は促されてキッチンに隣接したテーブルの席についた。由香は手際よく動くと、淹れたてのカフェラテを愛斗の前に置いた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。ねえ、愛斗くん。もしよかったら、夜ご飯も食べていかない?」
 不意の誘いに、愛斗はぱっと表情を明るくした。
「はい! ぜひ食べて帰りたいです」
「ふふ、決まりね」
 
 それからしばらくの間、二人はとりとめもない会話を楽しんだ。由香がキッチンに立ち、愛斗はそれを見守るように待ち時間を過ごす。包丁の音や香ばしい匂いが漂うなか、三十分ほど経った頃、ようやく料理が完成した。

 今日のメニューは、ふっくらと焼き上がったハンバーグに、濃厚なコーンスープ。そして炊きたてのご飯だ。
「いただきます」
 声を揃えて箸をつける。愛斗は一口ハンバーグを頬張ると、その美味しさに目を丸くした。
「由香さん、このハンバーグめちゃくちゃうまいです!」
「よかった。頑張って作った甲斐があったわ」
 和やかな空気のなか、二人は会話を弾ませながら夕食の時間を堪能した。
 食後、由香が食器を片付けようと席を立った時のことだ。愛斗はすかさず彼女の手元からスポンジを奪おうとした。
「由香さん、ここは俺がやりますよ」
「いいの、私にやらせて」
 そんな微笑ましい譲り合いをしていた、その時だった。視界の端で黒い影が動くのが見えた。
「あ、ゴキブリ……!」
 由香が短い悲鳴を上げ、反射的に愛斗の胸に飛び込んだ。愛斗は驚きながらも、倒れそうになる彼女をしっかりと腕の中で受け止める。