キャラメリゼ ワンルーム

 
 
 
 
 
「楓ってさぁ、これにいつもサラダとかスープとか、副菜とかつけてくれてんじゃん」
「うん?まぁ同時にやるし」
「すげーよ、ほんとに」

テーブルに着くと、怜がフォークとスプーンを楓に渡した。。
お礼を言いながら受け取り、「いただきます」とそろって手を合わせた。
怜がたまにぼそりと「うまっ」と言いながら食べ進めている。
楓は先ほどの怜の言葉を意識しないようにしながら、無言でパスタをくるくると巻いていた。

しばらく怜は美味しそうに食べ進め、多いかなと思っていた量を完食した。
楓も残っているソースをスプーンで口に運んでいると、怜が満足そうに言った。

「やー、美味かった。楓のご飯ってなんでこんな美味いの」
「ありがと…」

そう言って怜の顔を見ると、口元に白っぽいソースが付いているのを見つける。

「ついてるよ」
「え?」

怜がぺろりと舌でそれを舐めようとするが届かなくて、楓が「反対だよ」と言うと、怜が身体をテーブル越しに顔を突き出して言った。

「楓、取って」
「え」

怜は真顔で楓を見ていた。
怜のペースに呑まれてはダメだ、と思ったのに。前まではこんなことなにも思っていなかったはずだし、そんなことでいちいち動揺していては悔しい。

楓の親指が、怜の唇の端にある白いソースをなぞる。
怜は抵抗せず、楓の動きに身を任せたまま、至近距離から楓の瞳をじっと見つめ返していた。

湿った指先をティッシュで拭う、カサッという乾いた音が、食べ終えたばかりの静かな食卓に響き渡った。


そしてそれを黙って見ていた怜が、楓の口元に指を近づけた。

「……」

何となく、その近づいてきた指先を見ていた。

怜の親指の腹は少しだけ硬く、楓の柔らかい下唇を押しつぶすようにゆっくりと移動した。
指先が唇の中央に差し掛かったとき、怜はわずかに力を込めた。

そこに留まったままの指先に息がかかり、触れている場所から、心臓の鼓動が直接伝わってきそうなほどの静寂が二人を包み込んだ。

そうして離れていった指先を、怜がぺろりと舐めた。

「…つい、てた?」
「いや?ついてなかった」
「っえ!?」

せっかく、動揺していない顔ができたと思ったのに。
楓が怜を見つめると、先ほど指先をぺろりと舐めた唇が、少しだけ歪んだ。

「俺が触りたかっただけ」
「っ最近の、怜ちゃん、おかしくて、困る…っ」

私の、知っている怜ちゃんじゃない。
そうかと思えば今までみたいなお兄ちゃんな時もあって、何でもないような顔もして、そうしていきなり、男のひとみたいになって。

「困ってんの?なんで?」
「なんでって…こないだから、変なこと言ったり、したり…」

聞いたところで、それを受け止める準備など、なにもできていないのに。

「へえ、俺ってなに言ったっけ?」
「…え、」
「覚えてないから、教えてよ。俺、どんな変なこと言った?」

そうやって、私の感情をぐちゃぐちゃにして、楽しそうにするだけして、私の、気持ちなんかお構いなしみたいにして。
怜が肘をついて、身体を机に乗り出すようにした。
間に机があることに安心して、悔しくて、ぐちゃぐちゃな気持ちがはち切れそうで、楓は思わず勢いよく言葉を漏らす。

「言ったじゃん!逃げてもいいとか、可愛いとか、デートとか!」
「ちゃんと覚えてんだ、えらい」
「ばかにしないで!」

楓の顔を見て、怜は真顔になった。
しばらく空っぽになった皿を見つめて、少しだけ息を漏らして言った。

「馬鹿になんかしてない。全部本当だけど、楓が困るようには、言ったかも。それはごめんな」
「…なんで意地悪するの…」

怜は少しだけ困ったようにして、眉を下げた。
なにそれ、どうして怜ちゃんが、そんな顔をするの。


「…嫌?元の俺の方がいい?」
「元の…って?」
「楓が、俺のこと何にも思ってなかった頃の、俺」


怜ちゃんのことを、何にも思ってなかった頃?
気兼ねなく甘えられて、距離が近いのも気にしないで良くて、奢ってもらえるのが当たり前みたいに、思っていた頃?


「…そんなの、むりだもん」


怜が元に戻ったって、自分の気持ちが前と同じになるわけがない。
意地悪そうに笑うことも、楽しそうに笑うことも、意外と外ではスマートだったりするんだってことも、顔を赤くする私を見つめる、少しだけ熱のこもった、顔——…。


「…無理なの?」
「……」
「ねぇ、楓」

そんなふうに、名前を呼ばないでほしい。
それだけで、目が合わせられなくなるの。
見たくない、筋肉がないっていうくせに腕にはうっすら筋が入っていることも、だるそうな目元が、たまにスッと細まって、伏せるように、見下ろすように私を見ることも。

でも、それ以上知りたくはない。

「…」
「…楓がかわいくて、つい意地悪しちゃうけど、からかってるつもりはないよ」
「……」
「楓が嫌じゃないなら、それは良かったよ」


落ち着いていて、少し掠れたような、柔らかい声。
それが聞こえてくるだけで、安心してしまうのは、もう長年の癖なのだろうか。


「…いじわるは…しないでよ…」
「……善処する」


怜がそう言いながら、ふっと口元を緩めた。

「なんで、笑うの…」

少しだけソースが皿に残って、皿の白とソースのクリーム色が、混ざり合っている。
音のないリビングには、自分の心臓が身体に血を巡らせているのが分かって、どくどくという鼓動が小さく響いている気がする。

怜が椅子を引いて立ち上がった。
怜の影が楓の膝の上にある空の皿を暗く覆い、食卓の上の明かりが彼の背後から楓の顔を照らした。

その動きを思わず目で追ってしまうと、怜が楓の頭に優しく手を乗せた。
ふわりと重みが増して、髪の毛がカサリと擦れる音がした。


「…かわいくて」


戻れない。
もうとっくに、私の知っている怜ちゃんじゃない。