「楓ー」
「なに?」
「今からご飯作んの?なに作んの」
祝日で怜の仕事が休みの日、楓もちょうど休みだった。
昼にパスタでも簡単に作ろうとしていたところに怜がやってきて、背後に立った。
「パスタ。クリームかオイル系ならどっちがいい?」
「うーん…じゃあクリームで」
「オッケー」
「俺も手伝う」
今まで言われたことのない言葉に、楓は思わず「え?」と抜けた声を出した。
怜はそんなことは気にせずにシンクで手を洗い始めた。
「なんで?」
「なんでって、なんとなく。だめ?具材切ったらいいの?」
「ゆっくりしてればいいのに」
「やりたいからやってんの。で?なにしたらいい?」
「…えっと…じゃあ、ごぼうをささがきに…できる?無理そうなら具材変えるし…」
やけにやる気な怜に少しだけ眉を顰めつつ、楓が言った。
怜は不思議そうな顔をした後スマホでなにやら検索し、キッチンのカウンターに立てかけた。画面には『ごぼうのささがきとアク抜きのやり方』と表示されている。
「分かんないならやめるって、ごぼうはやめて、ベーコンとかにしようか」
「なめんな、俺はやればできる子なんだよ」
怜はそう言って、ごぼうを手に取った。
よりによってめんどくさい食材を渡してしまった、と思いながら楓はお湯やフライパンの準備をした。
「包丁の背で軽く皮をこそげる…?こそげる?」
怜はブツブツ言いながらスマホを睨みつけて、ごぼうを水で洗っている。
普段は難しい言葉を言いながらテキパキ仕事をこなしている怜が戸惑っているのが面白くて、楓は思わず笑みを浮かべる。
「玉ねぎ切る?私やるし、そっち。まだアク抜きもしなきゃだから」
「うるさい、最後までやりきる俺は」
怜が目を細めてスマホを見つめながらそう言って、楓は笑いを堪えた。
真剣にやっているようなので、見守っていようと思い、あまり声をかけずに他の作業をすることにした。
シンクでは、怜がごぼうの泥を落とすためにタワシで強く擦る「ザリザリ」という音が響いている。
一方、楓のコンロでは、パスタを茹でるための大きな鍋からシュンシュンと蒸気が上がり始め、沸騰直前の微かな振動が蓋を揺らしていた。
「ごぼうで何のパスタができるの」
「玉ねぎと鶏ひき肉と炒めて、豆乳クリームにしようかなって」
「美味そう、やる気出てきた」
「気をつけてね、無理しないで」
怜になにかを教えるということは今までなかったので、いつもと立場が逆転したみたいで何だか楽しい。その横顔を見ながら、先日のケーキ屋での怜を思い出す。
楓を翻弄するだけして、ケーキをほとんど楓に与えて満足そうだった怜。
帰宅する時も日傘に当然のように入って、帰宅した。夕飯の後に食べたショートケーキも自分のフォークで食べさせた。
身体に触れられることはないし、何か特別なことを言われているわけでもない。
ただ、今までよりも少しだけ距離が近くて、怜の視線が少しだけ違う気がする。
それの意味はまだ考えたくはない。
「できた、水も二回変えたしこれでいんじゃない」
「っあ、ありがと」
フライパンで挽肉がパチパチと弾けているのをぼうっと見つめていた楓が、怜の言葉に慌てて返した。いつの間にかしっかりごぼうのアク抜きまで終えていたらしい怜が、得意げにザルを見せた。
「すごいすごい!できてる!」
「ごぼうを扱う人全てを俺は尊敬する」
大変だったらしい怜は、楓の手元を見て「代わる」と言った。
楓は場所を変わり、ヘラを渡した。
「ごぼうを加えて炒めますー」
「はい、いつまで?」
「ちょっと香ばしく焼き目がつくまで」
「はい」
怜はその後も楓の指示を素直に聞いて、テキパキと作業をしてくれた。
まるでレッスンで受講者を教えているような気持ちになって、楓も楽しかった。
パスタのタイマーをセットするのを忘れたという怜に、楓が麺を一本取って口に入れた。
「え、それでわかんの」
「まぁ、大体は?別にタイマーもただの目安だし」
「すっご」
そんなにすごいことをやっているつもりはないが、怜にすごいすごいと褒められることが多くて、何となく得意げな気持ちになってしまう。
キッチンでは、鍋から漂う湯気が勢いよく換気扇に吸い込まれている。
隣の広いフライパンの中では完成したクリームソースが弱火でコトコトと煮込まれている。
「もっと尊敬してくれていいよ?意地悪ばっかしないで」
「意地悪なんかしてなくない?」
楓の言葉に、怜が鍋から視線を外して言った。
そう言われると、明確な意地悪な行動は怜はしていない。ただ、楓が意地悪な意図を感じているだけで。
フライパンの中で豆乳クリームがふつふつと泡を立て、まろやかで香ばしい匂いが狭い空間に充満していく。
「…いや、」
「心外だなぁ、すっごい甘やかしてるんだけど?俺」
「いや、あの、」
使い終わったまな板を洗っている楓の両手は、泡に包まれていた。コンロの方からじりじりと近づいてくる怜の顔は、先日と同じように楽しそうだ。
「楓はあれを、意地悪だと思ってんだ?」
「その…えっと…だって、怜ちゃんニヤニヤしてるじゃん…っ」
怜は楓のすぐ横に立つと、背中を丸めて手元の皿を見つめる楓の顔を覗いた。
シャンプーの香りが、鼻先を掠めた。
「また逃げらんないね、ちょうど」
「わ、わざとなの…?」
ふ、と鼻で笑った怜が、水道のレバーを上げて、楓の手元にお湯を流した。
手元に少しだけ冷たい水が流れた後、お湯になって泡がシンクに落ちていく。
「いや?逃げられても別にいいし」
「な…んで」
「それもそれで意識だし、逃げる楓もかわいいから」
「もっ、もう、そういうこと、言わないで!」
耳が、じわりと熱くなった。
楓は濡れたまな板を強引に怜に渡して、自分の手元をタオルで拭いた。
怜から出来るだけ離れたくて、コンロの方に行ってパスタを一本口に入れると、ちょうどいいアルデンテだった。
「はい!!ここでパスタを投入します!」
「ふっ、はーい」
怜のペースに呑まれてはダメだ、気持ちをしっかり持っていないと。
そう思いながら楓は怜に指示を出すことに専念し、そうして出来上がったパスタを皿に盛ると、怜は満足げにダイニングテーブルに運んで行った。
怜が皿をテーブルに並べるのを遠目で見ながら、先ほど言われた言葉を思い出す。
うまくかわせない、私が悪いのだろうか。
ああいう時に、どう反応すれば正解なのか分からない。
コンロのところに残ったままの熱気が、むわりとまとわりついている気がして、楓は冷蔵庫を開けた。お茶を取り出す際の冷気が心地良かった。



