キャラメリゼ ワンルーム

 
 
 
 
 



「お前、なんか変なこと言っただろ」
「何も言ってないよマジで。ていうか、楓ちゃんって可愛いな」

その言葉に思わずじとりと三浦を見る。
そういう意味でないのは分かっているが、軽く流せる言葉ではない。

「からかうなよ?」
「なんで何もしねーの?蓮見ならどうにでも出来るだろ」

知ったように言う三浦に、ため息をついて返す。

「どうにもしねーよ、妹だから」
「なんで?別に法律的にも倫理的にも、問題ないじゃん」

言い返そうとして三浦の目を見て、真面目に言っていることが分かる。
だから、こいつには知られたくなかった。



————……初めて楓と会ってから二年ほど。中学二年生になった楓の勉強を、楓の家の近くの商業施設の、フードコートで見ていた時だった。

「結婚するのかな、怜ちゃんのパパとお母さん」
「さぁ、どうだろうな」

商業施設のフードコートは、土曜日の昼間なだけあって賑わっていたが、奥の方には空席があった。
四人席の端には、食べ終えたファーストフードのトレーと包み紙が置かれていた。

再婚も遠くないだろうと思っていたが、確かな情報ではないので楓には伝えない。
シャープペンシルをカリカリと走らせるその動きを目で追う。

最初は、可哀想だなと思っていた。
楓は何も気づいていないが、もし結婚することになったら、きっと町田の俺の家に来ることになる。そうなると、友達とも離れて志望校もこちらになるだろう。
俺はもう成人して、意思さえ持てばどうにでもなるが、楓はまだ未成年。どうしても大人の都合に振り回されて、可哀想だ。

「…怜ちゃんは、寂しくない?」
「俺は全然。男だしな」
「…そっか」

楓は髪の毛が邪魔なのか、手首に引っ掛けてあった黒いゴムで長い髪の毛を結んだ。
さらりとまっすぐ伸びた前髪が、目に少しだけかかっている。
あちこちから子供の笑い声や食器の触れ合う金属音が聞こえてくる。

「どうした?多分、まだすぐは結婚しないと思うよ」

するなら、楓の進学のタイミングに合わせるだろう。
今のタイミングでは友達と離れて中学が転校になるし、楓のことを第一に考えているようだから、それくらいの配慮はするだろう。
だからこそ、早く言ってあげないと、志望校によっても問題の傾向は違うだろうに。

そう思って言うと、楓はパッと問題集から顔を上げた。

「そうなの?」
「いや知らないけど、多分ね。俺は親父とそういう話しないから」

楓は「なーんだ」と再び問題集に目を向けた。
俺の前には、楓が作ってきてくれたスノーボールというクッキーが置かれている。
綺麗にラッピングまでされていて、丸く形成されたそれは口の中に入れると、アーモンドの風味がして美味しい。

「…本当のお父さんのことは、もう忘れた方がいいの?」

楓が「まぁ、三歳の頃に亡くなっちゃったから、全然覚えてないんだけどさ」と言った。

「そりゃ、忘れなくていいだろ。別物だよ。別に無理に親父を好きになれとも思わないし」
「…お母さんは、忘れてないよね?」

楓のシャーペンが、コリ、と数式を書く途中で止まった。


「忘れてないと思うよ。まぁ、人の気持ちっていうのは複雑だからさ」
「…うん」
「楓の本当のお父さんも、まだ好きで大事だけど、俺の親父のことも好きって気持ちは、矛盾するように感じるけど、同時に存在するの」
「…そうだよね」
「でも、楓は楓だから、お母さんと同じようにそう思わなきゃいけないわけじゃないよ」
「…そうなの?」

楓が顔を上げた。
土曜日のフードコートは、家族連れでザワザワとしていた。
今記入している問題集は、少し先の部分だ。俺と一緒にいる時は勉強をしていれば親が安心すると知っていて、楓はいつもそれを持ってくる。少し先の部分まで進んでいるのは、それだけ俺と会っている時間が長いということだ。

「うん。だから俺の親父が嫌なら、それはそれでいいんだよ。楓の気持ちは楓だけのものだから」
「ふふっ、嫌じゃないよ。怜ちゃんのパパ優しくて好きだよ」
「それならいいけど」
「お父さんをよく知らないから分かんないけど、新しいパパになってくれるのは、嬉しいよ」

楓が嬉しそうに笑った。
初めて会った時より少しだけ成長して、身長も伸びた。
服装も少しめかし込むようになって、年頃の女の子だなと思う。
六つも離れた俺に懐いてくれて、親の再婚にもいい顔をして、納得しようとして、気丈に振る舞っている。

「…人の気持ちは複雑で、変わるから。途中でも、どんなタイミングでも、楓が嫌だってなったら、いつでも俺に言いな」
「?分かった」

楓のお母さんに、目元がそっくりだ。
ぱっちりとした二重が、少し長めの前髪から覗いていて、きっと同じように成長していくのだろう。
素直で人懐っこい性格は、きっと周囲にも好かれているだろう。それだけに、少しだけ心配にもなる。

「…ないと信じてるけど、もし俺の親父が変なことしたらすぐ俺に言っていいし」
「?」
「…俺は男だけど、絶対、楓に変なことしないから、安心して」
「うん?分かったよ?」

中学生だから、彼氏ももういるのかもしれない。
でも恋愛の話は聞かないし、部活の話が多いから、まだなのかもしれない。
いきなり男が家に二人も増えたら、怖いかもしれない。


「気持ちは変わるって言ったけど、俺は、変わんないから」
「そうなの?」


「妹」ができるかもと聞いた時は、めんどくさそうだと思った。
今更、どう接したらいいんだとも思った。女子は、元々そんなに得意ではなかったから。

「うん、俺が守ったげるから、ずっと」
「ありがと、怜ちゃん」

だけど楓は、素直で、明るくて、いつもニコニコしていて、この子と家族になれるなら、楽しそうだと思わせてくれた。
きっと俺の親父も、楓のお母さんも、物分かりが良い楓に救われている。

「だから、なんかあったら俺に言いな」
「なんか?」
「うん。何でも言っていいから」
「分かった!」

だから、楓が居心地良く過ごせるように、俺はできる限りのことをしてやろう。
この純粋で可愛らしい女の子が、このまま、育っていけるように。

そう、二十歳の時に、誓った————…。




脳裏に浮かんだあの時の気持ちを、再度思い返す。
今となっては、あの時の自分の言葉が、自分の首を絞めることになるとは思わなかった。

「法律とか倫理とかじゃなくて、俺の問題だよ。楓も、困るだろ」
「困るの?」

目の前の三浦が、なんてことのないようにそう言う。
怜はため息をつきながら、楓が入れてくれたコーヒーを啜った。

「困るだろ、兄にいきなり、そういう目を向けられたら」
「え?でも楓ちゃんも意識してるじゃん」

三浦の言葉が、一瞬だけ理解できなかった。
日本語としては耳に入ってきているのに、脳がその言葉を読み解けない。

「は?」
「一方通行なら困るかもだけど、楓ちゃんがその気なら、むしろ良くね?」
「その気…?」

手の中のマグカップが、少しだけ揺れる。
コーヒーの黒い水面には、天井の無機質な照明が白く反射している。鏡のように静かだったはずの水面が、円状に微かに震え、光の輪が不規則に歪んだ。

「え?気づいてなかったの!?お前が!?」
「…どういうこと」

声が掠れて漏れた。
まさか、そんなわけがない。

「楓ちゃん、めちゃくちゃ蓮見のこと意識してるだろ。あれはどう見ても兄に対してじゃなくね?」
「…そんな、わけ」

楓は、昔から距離が近くて。
近くに来るたびに、可愛らしく成長して、いつの間にか膨らんでいった気持ちを抑えるのに必死で、「兄」だからという免罪符だけを頼りに、そばにいることを赦《ゆる》された存在だから。

「…そんなに鈍かったっけ?あれ見て、自分のこと好きなのかもって思わねーの?」

好きと認識することすら、許されない。
そんな単語を介して、楓を見てはいけない。


「ありえない…」


心臓が、バクバクと早鐘を打っている。
息が浅く口から漏れる。
手のひらが、じわりと温かくなった。

違う、俺は、手を出してはいけない。

あの時に、そう、約束したから。