「勝手に開けんなって」
「だって三浦さんはいい人だしいいじゃん」
「ちょっと仕事ついでに愚痴を聞いて」という三浦の襲来に、楓がまたしても気軽にオートロックを開錠してしまったところだった。
押し問答をしていると、玄関からピンポーンと再びチャイムが鳴り、怜がため息をつきながら「俺が出るから」と言ってリビングから出て行った。
楓は夕飯作りの途中だったので、キッチンに戻って弱めていた火を戻した。
「楓ちゃーん、こんばんは!」と元気に入ってきた三浦に、「こんばんは、三浦さん。ご飯食べて行きますか?」と返した。
「えっいいの!?ちょっと期待してたけど、本当にいいの!?」
「マジで図々しい」
怜が吐き捨てるように言って、ソファに座った。三浦は同じくソファに座るも、楓のいるキッチンの方を振り返っている。
「量とか、俺が食べて楓ちゃんの分が足りなくなったりしない?」
「全然、明日のお昼に怜ちゃんが食べれるしと思っていつも多めに作ってるので」
「ほぇー、なんか奥さんみたいだね!?」
「やっぱ今すぐ帰って」
怜が瞬時に三浦の首元のシャツを掴んで言うと、三浦が「ウソウソ!微笑ましくて意地悪を言いました!大人しくしてます!」と慌てて言った。楓はそれを見ながら笑みを返す。
怜はこちらを見ていない。良かった、動揺はきっと伝わっていない。
「飯の後の方がいい?仕事の話」
「俺、今日十九時から会議なんだよね」
「マジ?一時間?」
「うん」
「じゃあ楓ちゃんとテレビ見て待ってる」
「なんで?」
怜から事前に会議の時間を聞いていたので、休みだった楓はそれに合わせて夕食を作っている。時計はまだ十八時。鍋の中では、唐揚げの衣がパチパチと軽快なリズムを刻んでいる。この調子なら間に合いそうだ。
「怜ちゃん、唐揚げもう出来てるから、三浦さんと一緒に先に食べて」
「えっ、唐揚げ!!」
「楓は?」
コンロの前に立つと、リビングの怜の顔は見えない。換気扇の音に混ざって遠くから声が聞こえてきて、これくらいの距離が今の自分にはちょうどいい。
「私はもうちょっとお弁当用にも揚げておきたくて。揚げたての方が美味しいから、先にどうぞ」
「楓ちゃんって家庭的で女性として素晴らしいよね、イッタ、なんで蓮見叩くの!」
楓がダイニングの棚に揚げていた唐揚げを置くと、こちらまで来ていたらしい怜がそれを取ってテーブルに並べた。
油の中の唐揚げをひっくり返して、ご飯と汁の茶碗を出し、ご飯をよそう。
「茗荷《みょうが》はお嫌いじゃないですか?」
「茗荷!?居酒屋でしか食ったことないかも!」
「お味噌汁に入れると美味しいので、お嫌いじゃなければ」
「スッゲー!お願いします!」
刻んだばかりの茗荷を味噌汁に落とすと、温かい湯気と共に、特有の清涼な香りがふわりと立ち昇る。
余熱で火が入るくらいが、風味が逃げなくてちょうどいいと祖父に教えてもらった。
「いただきまーす!」
「なんでお前と向き合って食べなきゃいけねーんだよ…」
怜がぶつくさ言う声が聞こえてきて、楓は口元が緩む。
第二弾の唐揚げが揚げ終わり、網の上に乗せる。
「うっま、茗荷の味噌汁うっま!!」
「良かったです」
さて、唐揚げを揚げ終わったものの、このままだと怜の隣に座って食べることになりそうだし、油の処理を先に終わらせておこう。
そう思ってキッチンの下でビニール袋を探していると、怜が「楓もあったかいうちに食べな」とこちらにやってきて、茶碗を取り出した。
「あ、うん…」
「ご飯、どれくらい食べる?」
「あ、えっと、ちょっとで…」
怜が「これくらい?」とよそった茶碗を見ながらコクコクと頷くと、味噌汁も同じようにしてテーブルに持って行ってくれた。
「全部めっちゃ美味い、これを毎日食べられる蓮見が死ぬほど羨ましい」
「だろ」
「もー牛丼とうどんと蕎麦とカップラーメンは飽きた」
テーブルにつくと、三浦が口いっぱいに唐揚げを頬張りながら楓に言った。
三浦がいてくれるおかげで、隣に座る怜をそこまで意識しなくても良さそうだとホッとする。
「いつでも来てくださったら作りますよ」
「マジ!?俺本気にしちゃうよ!?」
「楓、余計なこと言うな」
怜に隣から小突かれて、楓は曖昧に笑い返す。
どちらかというと、今の自分にはその方が助かる。
「お盆は楓ちゃんは休み?何かしたの?料理スタジオで働いているって聞いたけど」
「三日間だけ。実家に帰ったんですけど、怜ちゃんも一緒に来てくれました」
「エッ」
「楓…」
また余計なことを言ったらしい、何を言っていいのか悪いのか、楓にはよく分からなくて難しい。怜は諦めたような声で名前を呟くと、黙々と味噌汁を飲んだ。
「でももう、ご両親は離婚されたんでしょ?」
「はい、でも母も祖父母も、怜ちゃんのこと好きなのでおいでって。一緒に泊まりました」
「エッ!?」
「…楓」
三浦が今度は動きを止めて、目を丸くして驚いた。
え、これも言ってはダメだったか?そう思った途端、三浦が口に入っていた唐揚げをゴクンと飲み込んで言った。
「一緒に泊まったって一緒に寝たってこと!?」
三浦の言葉に「あ」と言葉が漏れる。そうか、あの言い方だとそんなふうに解釈されてしまうのか。慌てて否定しようとすると、隣から怜の落ち着いた声が響いた。
「変な想像すんな。一軒家だから部屋が余ってて、貸してもらったの。一緒には寝てねーよ」
「あーなるほど、ビビったー」
恥ずかしい気持ちでいっぱいで、楓は曖昧に笑いながら食べ進めた。早く食べ終わって、キッチンの方に逃げてしまいたい。
「…じゃあ俺、会議行くけど。楓に絶対、変なこと言ったりなんかしたりすんなよ」
「するわけねーじゃん、いってら」
少し準備があるからと、食べ終えた怜がシンクに食器を置くとそう言い残して、険しい顔をしながらリビングから出ていった。
三浦はソファでくつろいでいて、自由にチャンネルを変えてテレビを見ている。
怜がリビングから出ていった後、シンクに溜まった食器を眺めた。どこから片付けようか考えていると、再びリビングの扉が開いた。
何気なく視線を送ると、怜が一直線に楓の方に来て、耳元でこそりと囁いた。
リビングの雑音を掻き消すように低く、楓の耳の奥にまるで直接触れるかのように、柔らかく響いた。
「風呂は、俺が会議から戻ってきてから入りなよ」
「え?」
少しかがむようにして、怜は楓の耳元で言った。
咄嗟に感じた距離や吐息よりも、言われた言葉に反応してしまって、間抜けな声が自分から漏れた。
「だから、いつも楓、ご飯の後風呂に入るじゃん。まだやめときなってこと」
「え、わかった…」
楓が返事をすると、怜は頷いてまた足早にリビングから出て行った。
バタン、と扉が閉まる音がして、その言葉の意味を考える。
お風呂、そりゃ三浦さんをリビングに一人にしないから元々入る気はなかったけど、なんでいきなり?わざわざ戻ってきてまで言うことだった?
そう考えて、以前怜に言われた、『いい奴かもだけど、男だから』という言葉を思い出す。
ああ、そういうこと?
そんなことを言いに、わざわざ?
怜ちゃん、過保護すぎるよ。
今更、囁かれるように吐息がかかった耳が熱い。
無意識に手のひらが耳元に伸びて、じんわりと温かいそこに触れた。
困る、私、こんなの。
蛇口を捻った水が、手のひらに当たって冷たかった。
シンクの水がポタリと落ちて、水の入った茶碗に波紋を広げていった。
それをぼうっと見つめながら、しばらく耳を押さえていた。



