幼なじみの救命士は、再会した初恋の私を今度こそ逃がさない 〜拒否権なしの溺愛同居〜

その日の夜。 
遥希は、寝る準備をしている芽依子に、声をかけた。
    
「めい、明日は遅番やったな」
「うん、はる兄は仕事でしょ?」 

冷蔵庫に貼ってある芽依子のシフト表を見る。
しばらく口元に手をあてて、考え込む遥希。
お互いの連絡先や職場は把握している。 

「狙うなら、俺の勤務中やろな……」

このマンションから、消防署までは歩いて五分ほどにある。
最悪、全力疾走できる距離感だ。
     
「めい」  
「?」         
「逃げる場所、ちゃんと覚えてる?」
「うん」

飲み物を取りに隣にやってきた芽依子をじっと見る。
柔らかな長い髪を一房掬い、芽依子の口から聞くまで指先で遊ばせる。 
芽依子は意図を読み取り、気恥ずかしいながらも見上げる。 
 
「・・・・・・はる兄のところ」
「うん。俺んとこに、逃げて来い」
 
遠慮するなという遥希の無言の圧が、伝わってくる。 
杞憂に終われば――というほど楽観できない相手だと思っていた。 

次の日の朝、出かける直前にも、遥希は念押しを欠かさなかった。
「なんかあったら、俺んとこに逃げて来い」、その言葉をお守りに、芽依子は勤務先へと向かった。

「お疲れ様でした、帰り道気をつけてね」
 
守衛に軽く会釈して、通用口を後にする。
すでに空は夜の顔になり、分厚い雲のせいで月明かりもない。 
ぱらぱらと少ない人数ながらも、退勤していく人がいるのは心強い。
人並みに紛れて、芽依子も駅まで歩いていく。
 
何度か後方を確認しているが、今のところその気配は感じない。

帰る方向の電車に乗り、席に座りやっと一息つく。
最近、湿度が高くなってきて、ねっとりとした湿度が纏わりつく。 
額に張り付いた前髪を流しつつ、スマホを見ると雨降り予報が届いていた。  

(・・・・・・傘ないから、急いで帰ろう)
 
最寄り駅で降りると、タイミング悪く小雨が降り始める。
少し早足でマンションまで急ぐ。

角を曲がってマンションが見えたその時。
      
「芽ー依ー子」

後ろから、自分を呼ぶ声。
振り返らなくても、誰かなんて分かりきってる。 
 
「・・・・・・たつお・・・・・・先輩」
「会いたかったよ、芽依子」

人当たりの良いあの笑顔でスーツ姿の江崎が、立っていた。
アルコール臭が、雨に濡れたアスファルトの匂いに混じり漂う。
気持ち悪さと恐怖に、吐き気が込み上がってきた。  
江崎は、笑顔のまま、手を広げて芽依子を見る。
 
「今から一緒にご飯に行こう」
「いえ、結構です……」
「この前のこと気にしてる?大丈夫、俺は怒ってないから」
 
そう言いながら、目だけが笑っていない。
 
(なんで、先輩が「怒ってない」っていうの?)

噛み合わない会話に、芽依子は少しずつ後退りしていく。
     
「救急隊だっけ?呼ばれたら来るだけだろ。そんな男のどこがいいんだよ」

芽依子は一瞬、足が止まった。 
 
「俺のほうが芽依子のことをよく知ってるし、相応しいだろ。何てたって学生からの付き合いだ」
 
はる兄がどれだけ頑張って今の職種についたか、どれだけ体を張ってみんなを救っているのか、とか何も知らないくせに。

こんな男を選んで付き合ってたのか……と思うと自分の節穴さに腹立たしい。
芽依子は、毅然とした表情で江崎を見据える。
   
「達雄先輩、私と別れて下さい」
「は?……」
「別れます……もう、あなたとは付き合えません」
「……おまえっ……」

江崎の体と声が、怒りのあまり戦慄く。
 
「お前から別れるとか、ふざけんじゃねー!」
「芽依子ぉっ!!許さねえぞ!!お前は俺の女なんだよっ!!!!」
「っっ……!」
  
芽依子は言葉を待たずに、全力で駆け出した。
小雨に濡れた髪や服が、張り付くのも構わず、ただひたすら走り続ける。
 
「待てよっ!!このアマぁぁ」

(はるにぃっ・・・・・・!!助けてはる兄っ!!)

​肺が焼けるように熱い。
パンプスが脱げて足の裏が痛くても、背後に迫る男の怒鳴り声に比べればどうってことなかった。

(――はる兄のところに行くって、頼るって選んだのは、あたし)