少年吸血鬼はハンターの未亡人に愛を捧げる


イェーガー家の林檎の木は本邸と離れの間に植えられている。

ナタリアは義兄夫婦と義母が住む母屋には普段は出入りしていなかったが、それでもやはり亡き夫の思い出がそこかしこに溢れていた。

一度、ヴェネディクトが満開の林檎の枝を手折ってキッチンに活けてくれた事があった。

改めて見ると美しい庭だ。

昨日見たフォグリア家の整然と整えられた様子とは真逆の、野趣溢れた庭だ。

元々この家が建つ前からの自然を残したままだという。

林檎の木は、そこに鳥が種を落として生えてきたように荒っぽい樹形で、庭の他の木々と同じく奔放に枝を広げていた。

林檎の木の傍らには、以前小さな池があったと聞いていた。

確かにそこには池の名残だろう、大小の石が丸く並んでいる。

そして誰かがその池の思い出に浸るためか、林檎の木の下は草が刈られ、素朴なベンチが置いてある。

(いつ見ても素敵な場所だわ)

林檎の木は、明るい庭で心地よい風に枝をそよがせていた。

花はまだ咲き始めで、つぼみの方が多かった。

風に散らされた花びらを目で追っていると、本邸のグランドフロアの窓から、部屋の主である義母アリシア・イェーガーがじっとこちらを見ていることに気がついた。

「お義母様!」

(お母さま、瘦せてしまわれたわ……お体が悪いのかしら?)

彼女はヴェネディクトの葬儀の日、息子の遺体と同じ位白い顔で被せられる土を見つめていた。

今日彼女の顔を見たのはその日以来になる。

ベスの話によると、義母アリシアはそれ以来全く家から出なくなったという。

ナタリアと目が合うと義母は激しい勢いでカーテンを引いた。

それでも彼女を訪ねようかと足を踏み出した時だった。

「ナタリア!何をしている⁉︎」強い口調で声をかけて来たのは、半年ぶりに姿を見る義兄のギルバートだ。

ヴェネディクトの柔らかい風貌とは違い、体格が良く肩幅も張っている。
クセのある黒髪に囲まれたがっしりした眉骨の奥でヘーゼルの瞳が鋭い。

ヴェネディクトが麦畑でリュートを引く音楽家だとしたら、ギルバートはどの首を切り落してやろうかと考えている、美しい戦士だろう。
それほど張りつめた雰囲気の男だ。

「ギルバート」

「ここで何をしている⁉ 君は母屋に泊まるよう指示したはずだが」

林檎の木を通り過ぎると、ナタリアがヴェネディクトと暮らしていた離れの裏口に行く事ができるのだ。

この義兄は自分を監視しているのかとナタリアは不気味で不快な気分になった。

「林檎の花が満開と思って見に来たんです」

ナタリアが言うとギルバートは憎らしげに、林檎の木と義母アリシアがカーテンを引いた窓を見た。

その様子から、ギルバートはナタリアに母親と接触して欲しく無いのだろうと思った。

ギルバートとアリシア親子には何か確執があるとヴェネディクトから聞いていたのだが、あの母親はヴェネディクトに対してもどことなくそっけなかった。

まるで預けられた親戚の子を持て余しているように見えた。

ギルバートの父親は、彼が子供の頃に亡くなって、その後すぐにアリシアはハンターと無関係の男性と再婚し、ヴェネディクトが生まれた後に離婚したと聞いている。

ナタリアは後で知った事だが、ギルバートの実父は吸血鬼との戦いに敗れて死んだのだという。

ギルバートとアリシアの親子関係の確執は、母親の再婚と関りがあるのではないかとナタリアは憶測している。

「ナタリア、一体何のために戻って来たんだ?」

「忘れ物をしたんです」

「そんなもの、連絡すれば送ってやったのに」

ギルバートは絶対にしてくれないであろう事を言ってナタリアを憎らし気に見た。

「ありがとうございます。ですが少しヴェネディクトの思い出に浸りたくなったものですから」

「フン、死人の事など思い出して何になるんだ」

ギルバートがが冷たく言い放ったので、ナタリアは心が凍りついて砕けような気持ちになったが、彼の前でいつもしているようにぎこちない笑みを顔に貼り付けた。

「ギルバート、やっぱり私は自分の家に泊まりたいのですが、よろしいでしょうか?」

だが、彼は貴族とは思えない不機嫌な舌打ちをして首を横に振った。

「いいや、私は今日取引先に呼ばれていて遅くなる。君はエリーゼの話し相手として本邸の方に泊まれ。部屋はエリーゼが用意してくれた」

ナタリアはギルバートの陰鬱な目つきにザワッと肌を粟立たせた。

(お腹の大きい妻をダシに使うなんて、これで断っては私が自分を悪者のように感じるじゃないの⋯)

「分かりました」

ナタリアはそれ以上粘らず素直に応じたが、あまり付き合いのなかった義兄の本性に心中で顔をしかめた。

(ギルバートがここまで意地の悪い人だとは思っていなかったわ。きっとヴェネディクトが守ってくれていたのね)

今までも亡き夫の愛情と誠実さを疑ったことはなかったが、ナタリアが感じていた以上の献身をヴェネディクトは捧げていてくれたのだ。

昨夜アルフォンス・フォグリアに出会ってから少し乾いたような気がしていた涙が、またナタリアの目尻に浮かんだ。