君が終わる夏

まだ途中ですが長くなりそうですし、キリが良いので投稿します。
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耳を(つんざ)く蝉の声と、陽炎の中で(はしゃ)ぐ2人の少年。
 また、あの夢だ。その夢は日増しに鮮明になっていく。無音だったはずがいつの間にか音が響き渡り、彼らの話声も聞こえるようになっていった。
 しかしそれでもまだ、彼らの話す内容までは聞き取る事が出来ない。顔も徐々に輪郭がはっきりしてきてはいるのだが、依然ぼやけたままだ。
 
 この夢は、一体俺に何を見せようというのか。
 そんな事今の俺に分かるはずもなく、ただゆっくりとベッドから体を起こした。

 7月27日、この日は一ノ瀬、広瀬と共に海へ行くと約束した日だ。現在時刻は午前9時過ぎ、朝の身支度を済ませ朝食も食べ終えたのだが、待ち合わせ時刻はいつも通り午後1時なのでだいぶ時間が余る。俺はその持て余した時間を有効活用すべく、とあるノートを取り出した。
 その名も"一ノ瀬考察ノート"だ。おかしな名前だがそんな事今はどうでもいい。
 一ノ瀬が何故死のうとするのか、俺と過ごす期限が何故"夏の終わりまで"なのかは前回の公園デートで少なからず理解出来た。勿論ノートにもバッチリ記載済みだ。この際だから一応お(さら)いでもしておこうか。
 一ノ瀬が死のうとする理由、それは彼女自身"会いたい人がいるから"だと言っていた。その人物は死ななければ会えない人物……つまり既にもうこの世にはいない人物という事だ。そして彼女が俺に言った"夏の終わりまでに生きたいと思わせて"というあの言葉。この"夏の終わりまで"という期限もまた重要な事柄であり、それに関してはこの村そのものが深く関係しているのだ。
 
 俺達が住んでいるここ、青滝村には少し変わった風習がある。それは夏の始まりを知らせる"初夏祭り"を6月5日に、夏の終わりを告げる"晩夏祭り"を8月20日に毎年執り行う決まりがある。この村にとって夏という季節はそれ程特別なものなのだ。何故夏という季節が特別なのか……それはこの村に伝わる言い伝えが関係している。
 この村で、夏の始まりとされている6月5日から夏の終わりとされている8月20日、この期間は"土地神様の導きにより、死者が戻ってくる期間"だとされている。つまり、この村は夏の間中ずっとお盆みたいなものなのだ。何故そうなったのか、それは何十年も前の出来事が関係している。
 簡潔に言うと、大昔のこの村の夏はかなり悲惨だったらしく、毎年でかい災害や飢饉に見舞われ夏を越せず亡くなる方が大勢いたんだとか。それで昔の人達は、悲劇を繰り返させないために平和と安寧を土地神様にお祈りするために初夏祭りを、無事に夏を越せた喜びを土地神様に感謝するために晩夏祭りを執り行うようになったらしい。ここだけ聞くとただの神頼みのように聞こえるが、実際はその祭りを開けるようになるまで村人達は何年もの間、皆で力を合わせて危機を乗り越えていったのだそうだ。そうして皆で得た平和な村を、死者達が生前味わえなかった平和な夏を、祭りの始まりと終わりまでの間楽しんで貰いたい……この2つの祭りには、土地神への感謝以外にもそういった願いが込められているそうだ。
 しかし、中にはそういった風習を不気味がる者もいる。それは主に学生等の若年層だ。だがそれは仕方のない事だと思う。夏の間中死者と共に過ごす等、多感な時期に(いささ)か厳しいものがある。世間一般の短いお盆の期間でさえ、"海に行ったら無数の手に引きずり込まれる"なんてオカルト話があるというのに……。俺もオカルト話は得意じゃないから、この村の夏の時期はハッキリ言って苦手だ。
 でもだからこそ、なのだろうか。この村の夏の時期に、一番叶えたい願い事を土地神様にお祈りすると、願い事が叶う等という子供騙しが存在するのは。まったく、おかしな話だと思う。悲惨な状況下にあったこの村を救ったのは、他でもない村人達本人だ。それなのに土地神様、土地神様と……一体土地神が村人達に何をしてくれたと言うのか。しかし、村人達には土地神という拠り所があったからこそ、この平和を実現出来たのかもしれない。結局のところ、いつの時代も神とは信じるだけで人々の力の源となるのだろう。案の定、この時期は俺よりも小さな子供達が土地神様にお願い事を叶えて貰うんだ〜!なんて可愛らしく(はしゃ)いでいる姿を度々目撃する。夏休み前、一ノ瀬と下校している時にも同じ光景を目にした。そういえば、その子供達の一連のやり取りを見ていた一ノ瀬は、何か物思いに(ふけ)っているようだった。
 彼女は、土地神に何かを願ったのだろうか。亡くなった人物にもう一度会いたいと願ったのだろうか。それを叶えて貰えなかったから、死を選んでしまったのだろうか。なら何故俺に"生きたいと思わせて"と願ったのか。

 本当は、死にたくなんかなかったんじゃないのか……?
 誰かに、止めてほしかったんじゃないのか……?

 今日は、更に詳しく聞かせて貰えるだろうか。もう少し、彼女に踏み込めるのだろうか。
 どれだけ考察しても、結局一ノ瀬本人から聞く以外に正解に辿り着く方法は無いのだ。俺はその後、只管(ひたすら)時間が過ぎるのを待つ事しか出来なかった。

 ――
 
 午後1時、待ち望んだ約束の時間。俺は一ノ瀬と広瀬との待ち合わせ場所である最寄り駅に来ていた。青滝村から出ずとも海を見る事は出来るのだが、俺達が住んでいるのは山側であるため、海へ行くには電車やバスに乗る必要がある。広瀬(いわ)く、電車の方が早いし"旅"って感じでワクワクするとの事で、今回は電車を選択したのだそうだ。俺そっちのけで海へ行く事を決めた一ノ瀬と広瀬だったが、待ち合わせ時間の10分前には到着している俺とは違い、当の2人は時間ギリギリになって(ようや)く姿を現した。
 「間に合ったー!遅刻するかと思ったよ……」
 「広瀬さん足早い……私もうくたくた……」
 「……お前たち、いつも俺より遅く来るけど、今日はいつにも増して遅いな。これ逃したら次来るの2時間後なんだぞ。まぁ遅刻はギリしてないからいいけど」
 「ごめんごめん、私達から誘ってるのに。次はもっと早く来るからさ」
 「あたしが寝坊したのが悪いんだよ。2人共ごめん。今度はちゃんと目覚ましいっぱい用意しておくから!」
 この不思議な関係も夏休みの間だけだろうが、それでも当たり前のように"次"の話をしてくる2人のせいで、まるでずっと続くかのように錯覚してしまう。広瀬はともかく、一ノ瀬に付き合っているのは俺がこの暑い夏から抜け出すためなのだ。それだけは絶対に忘れてはいけない。今日こそはもっと一ノ瀬の死について聞かせて貰わねば……。そう固く決意し、数分後に到着した電車へと乗り込んだ。

 「見て見て!牧場!牛がいっぱいいる!」
 広瀬がまるで子供のように(はしゃ)ぐ。座席に膝立ってまで背後の車窓から見える景色に夢中になるだなんて……と、呆れる俺とは違い、一ノ瀬は微笑ましそうに広瀬の様子を眺めていた。(はた)から見れば優しい姉と無邪気な妹のように映るのではないだろうか。
 「ふふっ 広瀬さんって本当に可愛いよね」
 「いや、俺達もう高校生だぞ?さすがに子供過ぎる気がするんだけど」
 「本当は可愛いと思ってる癖に、素直じゃないね天谷君」
 「おい、何を根拠に言ってんだよ……」
 一ノ瀬の発言にも呆れつつ、しかしどうにか会話を広げられないかと模索してみる。
 「一ノ瀬は電車、乗り慣れてるのか?」
 とりあえず当たり障りのない言葉を吐いてみる。思わぬところで会話が発展するかもしれない。
 「んー?別に、乗り慣れてるなんて事はないよ。乗ったのは小学校以来かな」
 「その割には落ち着いてるな」
 「天谷君だって。結構電車慣れてるっぽいけど?」
 「俺も別にそんなに乗った事ある訳じゃないが、少なくとも広瀬みたいにはならないかな」
 「ちょっと!さっきから馬鹿にし過ぎじゃない!?」
 そう言いながら広瀬は不服そうに体を元の正面を向く体制に戻した。どうやら自分1人だけ(はしゃ)いでいるのが段々恥ずかしくなってしまったみたいだ。
 「そりゃ馬鹿にするだろ……今時そんなに電車から見える景色に夢中になる高校生なんかいるかっての」
 「つまんない男だね、天谷」
 そのつまんない男にカフェで告白(まが)いの事をしてきたのはお前だろと内心ツッコミながら、彼女達との会話に花を咲かせていく。あまり役立つ情報は無いか……と思っていたその時、一ノ瀬は少し意味深な言葉を吐いた。
 「しかし海……楽しみだな。小学校の時以来だよ」
 「ふーん……だいぶ久しぶりなんだね」
 「うん、私お兄ちゃんいたんだけどさ、お兄ちゃんと2人で海行ったりしてたよ」
 「へぇ~!一ノ瀬さんお兄さんいたんだ!」
 「意外だった?」
 「うん、勝手に一人っ子だと思ってた!」
 一ノ瀬と広瀬の会話が先程より更に盛り上がっていく。一方の俺はと言うと、その横で1人首を傾げていた。

 ……なんだろうか、この違和感は。
 一ノ瀬のセリフ、"お兄ちゃんがいたんだけどさ"という部分が引っ掛かって仕方がない。

 ……"いたんだけど"?
 いた……居た……?何故、過去形なんだ?それはもう既に"居ない"という事ではないのか?いや、考え過ぎだろうか……。
 だがこの違和感をこのままにしてはいけない気がして口を開こうとしたのだが、一ノ瀬と広瀬の会話が早くも別の話題へと移ってしまった。そのため俺は何も言えず、ただ黙って彼女達の会話を聞いていた。

 ――

 電車に揺られ約15分、目的地である海へと到着した。今日は運良く天気は快晴、そのため海水浴客の数はそれなりだ。だがここには海の家等大層な物は一切無いので、各々バーベキューセットを持ち寄って楽しんでいるようだった。一方の俺達はただ海へ行くという計画しか立てていなかったため、発案者である広瀬にこれからどうするのかを尋ねてみた。
 「ごめん、実はあたしも海に行く事しか考えてなかった!前の公園みたいにぶらぶら駄弁ろっか?」
 まぁそうだろうなとは思っていた。水着等の海水浴セットだって持ってきていないのだ。まぁここの海は遊泳禁止だから、持ってきていたとしても泳ぐ事は出来ないのだが。さてどうしようかと考えていると、突然一ノ瀬が靴を脱いで裸足で駆け出した。
 「ねぇ!綺麗な貝殻探そうよ!一番綺麗なの見つけた人が優勝ね!」
 そう言って水際まで行き貝殻を漁り始めた。広瀬ならまだしも、一ノ瀬がそんな子供染みた事をするとは。呆気に取られていると広瀬も裸足で駆け出していた。
 「天谷!ビリ決定!」
 広瀬にそう叫ばれ、ムキになった俺は彼女達同様年甲斐もなく貝殻探しへと駆け出していた。

 早く、この暑い夏が終わりますように。
 どれだけそう願っていても、時間は思ったようには進んでくれなかった。
 
 今、この時までは。
 
 貝殻探しから始まり、結局は優勝者なんて出ないまま、気付けば3人で波と戯れていた。
 時間は、あっという間に過ぎさった。

 「もう3時になるって。早いね……電車何時だっけ?」
 「3時35分……その次が5時20分だ」
 「うーん……あと1時間くらいここに居たいけど、5時過ぎまで居るのはキツイね。35分の電車に乗ろうか」
 「あーあ。何で時間ってもっとゆっくり進んでくんないのかなー?」
 「……」
 俺的にはこれ以上ゆっくり進まれては困る。しかし、今日はいつもよりも時間が早く進んだ気がした。
 ……それ程、我を忘れてしまっていたのだろうか。あの子供染みた、くだらない時間で。
 
 だとすれば、これは非常に……良くない。
 
 "一ノ瀬に付き合っているのは、俺がこの暑い夏から抜け出すため"
 それだけは絶対に忘れてはいけないと、先程決意したばかりなのだから。
 
 「天谷君?どうしたの?」
 「ん?あ、いや……」
 一ノ瀬が俺の顔を覗き込む。もしや顔に出てしまっていただろうか?慌てて何でもない風を装うとした……のだが。
 「隙あり!」
 視界が突然ぐらつき、ばしゃん!という音が盛大に鳴る。その後、じわじわとズボンが濡れていく不快な感触が続く。どうやら俺は尻餅をついたらしい。いや、"つかされた"が正解か。着替えなんて持ってきていないというのに。
 「広瀬ぇ~~!!」
 「きゃぁああ!!」
 俺をこんな目に合わせた広瀬の腕を掴み、仕返しとばかりにそのまま勢いよく引き倒す。俺の時以上にでかい水しぶきが上がった。
 「ちょっと!あたし全身ずぶ濡れじゃん!どうしてくれんの!」
 「先にやったのはそっちだろ!」
 「天谷はズボンだけじゃん!あたし全部!」
 「関係ない!先にやった奴が悪い!」
 「あはは!帰るの大変じゃん2人共!風邪引いちゃう!」
 一ノ瀬が楽しそうに手を叩いて笑っている。それを見て広瀬はニヤっと笑った。まさか……。
 「えい!」
 「うわぁ!」
 ばしゃん!……広瀬と同じく全身ずぶ濡れな一ノ瀬の出来上がりだ。
 「ちょっと……ちょっと!」
 「これで3人お揃い!いや、違うな……天谷はズボンだけだから、天谷をもっと濡らさないと!」
 「おい!」
 広瀬が俺に対して思い切り水を掛け、それを見た一ノ瀬も何故か広瀬同様に大量の水を掛けてくる。おかげで俺も全身ずぶ濡れだ。
 「よし!ホントのホントにお揃い!」
 「よしじゃねーよ!電車乗る時濡れて迷惑になるから座席座れねーだろ!」
 「あ!」
 「あ!じゃねーよ!」
 「なら私達3人仲良く立つしかないね!」
 「座らなくても床濡れて迷惑だけどな!」
 「あーあ!天谷があたしらをずぶ濡れにしなきゃ迷惑掛けるの天谷1人だけだったのになぁ~!」
 「一ノ瀬をずぶ濡れにしたのは広瀬だし、大体戦犯は広瀬だろ!」
 「あははは!」
 俺と広瀬のこのやり取りで、一ノ瀬は先程より更に楽しそうに笑っていた。こうも楽しげだと、"一ノ瀬の死について更に詳しく聞かせて貰う"という目的は達成出来そうにない……が、こんなしょうもない事でここまで楽しめるのなら、案外一ノ瀬と過ごす夏は何事も無く平和に終わってくれるのかもしれない。もしそれが実現したならば、それは俺1人では絶対に成し得なかった事で、だからこそ改めて広瀬の存在の有難みを思い知った。
 「……広瀬、ありがとうな」
 本当に、無意識だった。無意識に広瀬への感謝の言葉が口を()いていた。
 「……へ?何が?」
 「天谷君?ずぶ濡れにされたのがそんなに嬉しいの?」
 「あ、いや……そうじゃなくて」
 「そんなに嬉しいならもっとずぶ濡れにしてあげよっか?」
 「いや違う、そうじゃなくて……っておい!聞けよ!」
 結局俺は電車が来る時間まで、2人の野蛮な女から水責めを食らう羽目になった。

 ――

 「う~体が塩臭い、早く帰ってシャワー浴びたい」
 「俺の方がシャワー浴びたい気持ち強い」
 「いやいや、あたしの方がシャワー浴びたい気持ちもっと強い」
 「いや俺の方がもっともっと強い」
 「いやあたしの方が上だから、マジで」
 「本当に仲良いね、2人共」
 ずぶ濡れのまま電車に揺られ、ようやく最寄り駅へと戻って来る事が出来た。もうさっさと帰りたい、シャワー浴びたい。それが俺達の電車内での会話だった。まったく意味のある会話をしなかったため、次の予定の話し合い等何も出来ていなかった。せめて別れ際に少しでも話し合いが出来れば……そう思い、俺は視線を横の広瀬から、俺達より先に降りた一ノ瀬の方へと向けた。一ノ瀬は俺達に体を向けながら後ろ向きで歩いており、それをすぐさま注意しようと口を開きかけた。
 その時、俺は目を疑った。一ノ瀬の背後、青白い顔で佇む1人の少年が、ただ俺の目をじっと見つめていたのだ。その少年の目を見つめ返した瞬間、途端に連日見た夢の映像がフラッシュバックした。それは、今までのぼやけた視界がまるで嘘かのように、全てが完璧なまでに鮮明な光景……。
 そうだ、夢に出てくる少年2人の正体……1人は子供の頃の俺。そしてもう1人は、この目の前の少年だ。それを理解した途端、無意識に俺の口から言葉が漏れていた。
 「翔太(しょうた)……」
 「え……?天谷、翔太って誰?目の前に居るのは一ノ瀬さんだよ?」
 広瀬が困惑した顔で俺を見ている。広瀬には彼が視えていないのだ。
 
 何故見えていないのか……それはつまり、彼が――
 
 「……翔太?翔太って言ったの?天谷君」
 その声にハッとして、一ノ瀬に視線を向けた。そして彼女の目を見た時、俺は驚愕した。
 一ノ瀬は驚く程、虚ろな目で俺を見ていた。その目には既視感がある。一ノ瀬の自殺を目撃した日、あの日と同じ目をしていた。
 一ノ瀬はゆっくりと後ろを振り返り、キョロキョロと辺りを見回す。どうやら一ノ瀬にも、彼は視えていないようだった。
 「……やっぱり、視えない……私には、視えない……」
 「い、一ノ瀬さん……?」
 「どうして……私に会いに来てくれてるのに、私は視てあげる事も出来ないの」
 「おい、一ノ瀬」
 一ノ瀬は俺達の声が聞こえていないのか、ブツブツと独り言を呟いている。俺達が乗ってきた電車の向かい側から別の電車が来ているようで、カンカンカンと不快な警報音が鳴っている。それも相まってか、この目の前の光景は、あまりにも不気味で異様だった。
 嫌な……嫌な予感がする……。
 「なぁ、一ノ瀬――」
 
 「やっぱり私もそっちに行かないと駄目だよね、お兄ちゃん」
 
 その言葉を吐いた瞬間、一ノ瀬が突如走り出し、そして俺も同時に走り出す。電車の走行音はかなり大きくなっている。俺は無我夢中で一ノ瀬へと手を伸ばした。もう少し、もう少しで一ノ瀬の腕を掴める――その時だった。
 「天谷ぁああ!!」
 背後から思い切り腕を引かれた。俺の手はどんどん一ノ瀬から遠ざかっていき、一ノ瀬自身も俺から遠ざかっていく。そうして彼女は徐々に線路へと吸い込まれていき、やがて大きな音が鳴った。一瞬の出来事で何が何だか分からなかったが、気付けば目の前が赤で覆われ何も見えなくなっていた。
 「きゃあああああ!!!」
 「うわあああああ!!!」
 広瀬やその場に居合わせた人々の悲鳴が飛び交う。俺は声を上げる事も出来ないまま、ただ状況を確認するために、恐る恐る血で覆われた眼鏡を取った。だが、すぐさま眼鏡を取った事を後悔した。ぼやけていても分かる。辺り一面に広がる血の海と、散乱した肉の塊。それがさっきまで一緒に居た一ノ瀬だという事が、あまりにも信じられなかった。いくら飛び降り自殺を冷静に観察していた俺であっても、これには耐える事なんて到底出来なかった。
 「おぅええ」
 「あ、天谷……」
 放心状態で自らが出した吐瀉物(としゃぶつ)を眺めていた情けない俺に寄り添い、ひたすら背中を(さす)ってくれる広瀬。こいつも相当辛いだろうに、俺の介抱をしながら冷静に警察へ連絡していた。何も出来ない自分が不甲斐なかったが、今はもう何も考えたくなかった。

 ——

 真っ赤に染まってしまった駅に、別の赤が混ざる。赤色灯だ。どうやら警察や救急隊が到着したらしい。時間はあれから15分程経過していた。
 「通報したのは君か?君達は、亡くなった子の友人……なのかな?」
 数名の警察官の内、2人の警察官が俺達に近付いて来る。2人は、この異様な光景に僅かに顔を(しか)めつつ、しかし冷静に語り掛けてきた。
 「はい、そうです……。その子は私たちの友人で、通報したのは私です……」
 「辛いだろうけど、状況を説明して貰えるかい?」
 「はい……。私達、さっきまで3人で海へ遊びに行ってたんです……。それで、ここに帰ってきた途端、友達がいきなりおかしくなって……突然線路に走って行って……」
 「突然走り出した……つまりその友達は、自ら線路の方へ?」
 「はい、そうです……」
 「何か、直前におかしな様子とかはなかったかい?」
 「……少し、変な事を言っていました」
 「変な事って?」
 「……なんか……視えないって」
 「視えない……?」
 「本当に、よく分からないんです……。ただ、天谷……この子が"翔太"って呟いた途端、おかしくなっちゃって……」
 「翔太……?人の名前かな?」
 「天谷、翔太って誰?何で一ノ瀬さんはその人の名前を聞いておかしくなったの?」
 「……」
 何も言葉を発せない。どう説明すればいいのか分からない。俺だって困惑しているんだ。
 行きの電車の中で聞いた"お兄ちゃんがいたんだけどさ"という言葉。あの言葉に感じた違和感は、やはり間違いではなかったのだろうか。
 だって、一ノ瀬が線路に走り出す直前、俺が聞いたのは……

 "やっぱり私もそっちに行かないと駄目だよね、お兄ちゃん"
 
 という言葉だった。
 一ノ瀬の言うお兄ちゃんが翔太なら、やはり彼は……もうこの世には——……
 
 「天谷!」
 広瀬が俺の肩を心配そうに揺さ振る。ハッとして顔を上げれば、警察官達も心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
 「……今のは、答えにくい質問だったかな?」
 2人の警察官の内、少しばかり年老いた男性が俺にそう尋ねた。そういえば俺は質問をされている最中だった。
 「……翔太は、俺の子供の頃の知り合いで……その子と似ている子が、ここに居た気がしたから……それで翔太って呟いたら……何故か一ノ瀬は……」
 「……成程、君もあまりよく分からないんだね。」
 「ところで君、随分血を浴びているね……。もしかして、その子の近くに居たのかい?」
 若年の警察官が新たに疑問を投げ掛けてきた。その質問は、つまり……
 「……俺を疑っているんですか?一ノ瀬を線路に突き落としたんじゃないかって?」
 「……いや、そうではなくて……おい、もう少し質問の仕方に気をつけろ」
 「すみません……。君も、すまない。疑っているんじゃなくて、もしかして君は、友人を助けようとしたんじゃないかって思ってさ」
 「……」
 助けようとした……ああ、そうだ。俺は確かに一ノ瀬を救おうと必死に手を伸ばした。だが、こんな事になってしまったのは、元々俺が一ノ瀬の目の前で余計な言葉を吐いてしまったからだ。結果として、俺は一ノ瀬を死なせてしまったのだ。一ノ瀬を、救えなかったのだ。
 「……違います。……俺の……せいなんです……一ノ瀬が、死んだのは……。死なせてしまったのは……俺なんです……」
 その告白は、自分でも吃驚(びっくり)するような、とても俺の声とは思えない、まるで虫が鳴くような声音だった。
 「あ、天谷!?何を言ってるの!?」
 そしてその突然の告白に、広瀬が驚きの声を上げる。
 「ち、違うんです!天谷は本当に一ノ瀬さんを助けようとしただけなんです!一ノ瀬さんを救うために彼女の後を必死に追いかけたんです!自分も電車に轢かれるかもしれないのに、一生懸命一ノ瀬さんに向かって手を伸ばしたんです!でも、あたしがそれを止めたんです……。天谷が悪いんじゃないんです……。あたしが……一ノ瀬さんを見捨てたんですっ……!」
 「広瀬……」
 動揺しつつも気丈に振舞っていた広瀬が、等々嗚咽を漏らし始めた。先程の何も出来ない自分を恥じていた俺は、ただ黙って彼女の肩を抱いた。彼女を血で汚してしまうという懸念はあったが、そうする事しか今は考えられなかった。
 「……本当に、辛かったね。だけど、あまり自分を責めないであげてほしい。とりあえず、名刺を渡しておくから、何かあったらいつでも掛けていいからね。それから、親御さんに連絡は取れるかい?一先ず、迎えに来てもらおう」
 「はい……」
 その後、涙で声が出せない広瀬に代わり、俺が自分の両親と広瀬の両親、どちらにも連絡を入れた。俺の両親も広瀬の両親も僅か数分で俺達が居る駅に駆け付け、ただ黙って俺達を抱き締めた。それだけで、少し落ち着く事が出来た。
 だが、ゆっくりしてはいられない。一ノ瀬が死んだという事は、また7月27日がやってくるという事だ。今は何も考えられない状態だが、帰宅後、今日を終える前に彼女の自殺についてもう一度考えを整理しなければならない。
 「天谷……」
 両親の乗ってきた車に乗り込む直前、突然声を掛けられた。声の主は広瀬だった。
 「ねぇ、また明日……会えない?出来れば、なるべく早い時間に……。あたし……あたし、耐えられそうになくて……。だから、傍に居てほしくて……」
 「……」
 明日は、きっとまだ来ない。目覚めればまた"今日"で、そうすればあの元気な広瀬に戻っているだろう。
 「……分かった。明日9時、お前の家に俺が行く。それでいい?」
 「うん、いいよ……。あたしの家の住所、後で送るから……」
 「……うん、待ってる。じゃあ、また明日……」
 「うん、また明日……おやすみ」
 「おやすみ」
 だからこの"また明日"は、俺が広瀬に吐いた嘘だ。来ないはずの明日を約束して、彼女を騙したのだ。
 後ろめたさに尾を引かれながら、俺は帰路に就いた。

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自作アクションファンタジーゲーム「咎絆ぎ(とがつなぎ) Chapter1 体験版」を無事Steam等でリリースする事が出来たので、現在別のゲームを制作中です。
君が終わる夏共々、どうかよろしくお願い致します。