シンデレラ・ララバイ

 
 
 
 
次の日以降、徹は一花を露骨に避けていた。
最近は二十一時前には帰宅することが多くなっていたのに、一花と目を合わせない。心の寝かしつけが終わると、すぐに書斎や自室に戻っていく。

徹の夕食だけダイニングに用意しておき、一花が自室に戻ると、こっそりリビングに戻ってきて食べているらしい。洗われた食器が翌朝、シンクの隣に重ねてある。

仕事が忙しいのかもしれない、と二日ほどはあまり考えないようにしていた一花も、何なの、と、いい加減腹が立ってくる。

「徹さん」
「はいっ」

今日も心の寝かしつけが終わったあと、リビングに用意しておいた夕食を徹が食べている間に、一花は自室から出て、リビングの入り口から声をかけた。

「あっ、ご飯、美味しいです」
「よかったです」

徹は口を動かしたまま、振り返って一花にそう言った。
今日は中華飯とわかめスープ、ほうれん草ともやしのナムルだ。
心も食べられるものをと思うと、どうしても子どもが食べやすいメニューになるが、徹は残したことがなく、いつもたくさん食べてくれる。

「なんでそんなに避けるんですか?」
「えっ」

早食いされてまた逃げられては意味がないと思い、一花は食事中の徹の正面に座り、声をかけた。突然の一花の問いに、徹は戸惑った声を出す。

まだ食べ始めたばかりの食卓には、中華飯からは湯気が出ている。
そこに突っ込まれたレンゲの柄を、徹は握りしめたままだ。

「すっごい露骨に避けてません?」
「えっあっ」
「さすがに気付きます」
「えっ」

気づかれていないとでも思っていたのか、一花は徹の返事にため息をついた。
目の前の徹は、レンゲを握りしめたまま、視線を泳がせている。


「こないだの件でしたら、…気にしてませんし、いつも通りにしてもらえれば、心ちゃんの話も」
「えっ!きっ、気にしてください」

本当は、心ちゃんの話もしたいのに。
今日はなにで遊んで、なにで喜んでくれて、どんな話をしたか、聞いて欲しいのにその時間くらいは取ってくれてもいいんじゃないのか。

遮られた言葉の続きは、もう出てこなかった。

一花は中華飯に落としていた視線を、思わず徹に向ける。

「え?」
「…気にしてください」
「…え?何ですか」
「一花さんに、…意識して欲しいです」

一体、私は何を言われているんだろう。
気まずさ全開で、話しかけられたくないオーラを纏っていたはずの徹は、いつの間にか少し照れた様子に変わっている。
中華飯から立ち上る、湯気の奥に見える顔が、心なしか赤い。

「な、何を…」
「かっ、彼氏はいますか?」
「はい?」
「いますか?」

徹は視線を合わせようとせず、斜め前を見ている。
視線の先にあるのは、紫陽花だ。
買い物帰りに一花が花屋に寄って買ってきた。

朝よりも少し開いているように見える。心に季節を感じて欲しくて、徹に少しでも癒されて欲しくて、用意するようになったこれはとても好評だった。ただ、今はそんなことはどうでもいい。

「い、…ません…けど…」
「わっ良かったっ」
「良か…???」

徹は大きな身体を少し左右に揺らして答えた。
大きな身体の、三十五歳の男が、いったい何をしているんだ。
そして私は、なんで身体が固まっているんだろう。思わず椅子に背をつける。

「ま、待ってください」
「はいっ」
「……いや、やっぱいいです」
「えっそんな」

何も考えず口から出た言葉だが、自分が何を言おうとしていたのか、何を言うべきなのかまで辿り着いていない。泳いだ視線の先に、逃げ場が見つからない。

「…今日はもう寝ます」
「あっはい、おやすみなさい」

目を合わせないまま、一花は立ち上がった。手をついた大理石のダイニングテーブルがひんやりと手のひらの温度を下げる。

視界の隅で、徹がニコリと笑うのが見えた。
ここ数日とは異なる雰囲気を一気に醸し出す徹についていけず、一花は足早に自室に戻る。

廊下に少しだけ響く、パタパタというスリッパの音だけが耳に残り、自室のドアを閉めたところで一花はその場に崩れ落ちる。

え?なに?おやすみなさいって、送り出されたけど、どういうこと?
私、何を言われた?どういう意味だった?
なんか、すっごい乙女な社長がいなかった?あれは誰?

部屋の空気が少しだけひんやり感じるのは、頬の熱のせいか。

「…え?」

思考だけでは処理しきれなくなった疑問が、口からこぼれ落ちた。
その音を捉えたかのように、部屋の空気清浄機が急に稼働しだして、一花の身体は余計に強張ることになった。