その日の夜から、徹はまた露骨に一花を避けた。
心がいる手前、話さないなどはないのだが、目が合わない。
近くを通らない。
料理を渡す時も、指が触れないように気をつけている。
自分が意識しているから気にしすぎかと思うも、次の日になっても同じような態度だったので、一花は心が寝た後、徹の部屋をノックした。
「徹さん」
「えっ」
扉の奥から驚いたような声が聞こえた後、数秒の静寂。
何が、えっ、だ。と一花は思いながらも、徹がドアを開けてくれるのを待つ。
「どうしたんですか…」
「話したいんですけど」
扉をそろりと開けて、こちらを覗いてきた徹の表情はなんだか怯えているようで、なんで私が怯えられなきゃいけないんだ、と一花は少し力を入れてドアを開けた。
「あっ、ちょっ」
徹の声が聞こえるも、そのまま部屋に入り、ドアを閉めた。
そのままドアに背をつけ、もたれた。
初めて入った徹の部屋は広かった。
左側に置いてある大きなベッドには、ネイビーを基調とした寝具でまとめられていた。
書斎もあるが、今日はこちらで仕事をしていたらしい。
開かれたパソコンが、小さなサイドテーブルの上に置かれていた。
徹のベッドの上に置かれているプリンセスのぬいぐるみは、心が好きなキャラクターのものだ。ここで遊んで忘れていったのだろう。
「何かした後に、露骨に避けるのはやめてください」
「だっ…て、ぼく、一花さんには加減できなくなるんですよ」
じり、と一花から少し距離を置くようにして離れた徹は、一花と目を合わせないようにしてベッドに腰掛けた。
「加減?」
「昨日みたいに…。僕、本当にそんなにちゃんとした恋愛してきてないんですよ…どうしたらいいか分からなくなります…」
「そうなんですか?モテそうなのに?」
「だからそれは…若い頃は、適当なお付き合いばっかりで…前妻もお見合いみたいなものだったって言ったじゃないですか…」
徹は、ベッドに座ったまま、項垂れるようにしてポツリと言葉を落としている。
部屋に置いてある加湿器が、音もなく空気を押し出している。
静かすぎる部屋で、自分の呼吸の音だけが浮いている気がした。
「ふふっ」
「なんで笑うんですか…本当に、知らないですよ一花さん。そんな余裕でいて」
「え?」
徹は項垂れていた顔をあげて、ちらりと一花を見上げた。
そうして立ち上がり、一歩ずつ一花にゆっくりと近づく。
「こんな時間に、そんな無防備なパジャマのままで僕の部屋に入ってきて」
「あ…いや…」
そう言われて初めて、自分の今日のパジャマが、Tシャツにショートパンツのセットだったことに気づく。だって、最近、暑いから。長ズボンは、暑いから、衣替えをしただけのことで。
「自分で、ドアも閉めたんですよ」
徹はゆらりと一花の前に立ち、一花の顔の両脇に、ゆっくりと手をついた。
逃げ場がないと気づいた瞬間、心臓の打ち方が変わった。
先ほどよりも身体に力が入り、ひんやりとしたドアの感触が、薄い布越しに伝わる。
「…ほら、だから言ったじゃないですか」
ふぅ、と息を吐いた徹が、そう言って一花から離れて、ベッドに戻っていった。
先ほどと同じ姿勢に戻り、項垂れたまま徹は言った。
「…無理やりどうこうしたいわけじゃないので、僕」
「……」
一花は、一歩前に進んだ。
背中に触れていたドアの冷たい感触と温度が離れていく。
隣に腰掛ける勇気は出なかった。
一花は、項垂れたままの徹の前に立った。
「……一花さん、さっきのは、部屋を出ていいですよって意味なんですけど」
徹は視線を上げない。
ふわりと立ち上がった髪の毛が、空調の風が攫って泳ぐように揺れていた。
なんとなくそれを触りたくなる気持ちを抑えて、一花は徹の目の前にしゃがみ込んだ。
「…別に、いいかなって思いまして」
「……知らないですよ?僕、都合よく、勘違いしますよ?」
体勢が変わらない徹の視界に入りたくて、一花はしゃがんだまま、もう一歩前に近づいた。徹の身体が、びくりと少し揺れる。
「…勘違いじゃないので」
「え?」
徹の顔が上がった。
あ、やっと、目が合った。
「からかってますか?」
「からかって、ないです」
「…今日は僕、避けませんよ?」
「……いいですよ」
一花がそう言うと、徹は目を見開いたまま、少し呆然としながら、静かに言葉を落とした。
「僕のこと、…好きですか?」
オレンジ色のライトが、ゆるく部屋を照らしている。
サイドテーブルに置かれたパソコンの青白い光が、異質に輝いていた。
「…好き」
するりと、言葉が音になった。
頷きながらそう言った自分が、自然と笑みを浮かべていることが分かる。
なんだ、もっと早く言えばよかったのかもしれない。
しばらくの沈黙の後、
「…はぁ」
徹がため息をつくように息を漏らし、一花に手を伸ばした。
抱きかかえられるように力が入り、一瞬でベッドの上に視界が反転する。
目の前には、徹の顔と、高い天井。
熱を持った徹の瞳が、射抜くように一花を見つめている。
そのままゆっくりと顔が降りてきて、一花はそのまま目を瞑った。
唇が合わさり、顔の横に置いた手に、徹の手が重なる。
「ん、」
置かれたように触れただけだったそれが、だんだんと角度がつけられて深くなっていく。ぴちゃりという水音は、この部屋のどの音よりも大きい。
「ふ、」
たまに溢れていく自分の息の音が、恥ずかしくて少し顔を横に向けるも、唇を掬い取られるようにして正面に戻される。
優しかったそれがどんどん深くなっていき、音が大きくなっていく。
繋がれた手に力が込められ、もどかしそうに何度も繋がれては布と擦れていく。
きっとまだ、徹は遠慮している。
そう思った一花は、手が離れた隙に、それを徹の首に回した。
徹の身体がびくりと強張り、一瞬の間があった後、受け入れるように柔らかく、キスが再開されていく。
離れた徹の手が、ゆっくりと肌に触れる。
世界が近づいて、遠ざかっていくような感覚と、音に、身体を委ねた。

