「汚れてなんかない。俺もそう思うし、翔も同じだよ」
佐原は、まるで「今日の天気はいいね」とでも言うような気軽さで、けれど断固とした拒絶を許さない強さで言い切った。
『……でも……』
「でも、じゃないよ。海緒ちゃんには幸せになる権利がある。こんなに美人で、俺たちに気を遣うくらい性格がいいのにさ。あのクソ教師のせいで自分の未来まで諦めちゃうなんて、勿体なさすぎるよ」
……悔しい。
海緒を想う気持ちなら、負けていないはずなのに。
海緒が今、一番欲しかったであろう言葉を、
一番まっすぐな形で届けたのは佐原だった。
あいつの言葉には、不思議な説得力がある。
「汚れた」という海緒の言葉を、ただの勘違いだと笑い飛ばすような強さ。
俺が「男」という存在に怯え、言葉を選んで足踏みしている間に、佐原は土足で彼女の心の闇に踏み込んで、その闇を強引に照らし出したんだ。
「……本当だ。勿体ないなんてレベルじゃない」
俺は、ようやく動いた喉で、佐原の言葉を追った。
隣で立ち尽くす海緒を見ると、彼女は佐原の言葉を頭の中で反芻するように、何度も瞬きを繰り返している。
「海緒。お前を汚したあいつのせいで、お前自身が自分を嫌いになる必要なんて、どこにもないんだ」
俺がそう付け加えると、海緒の瞳から、また一粒、大きな涙がこぼれ落ちた。
それはさっきまでの絶望の涙ではなく、ずっと誰かに言ってほしかった言葉を肯定された、安堵の涙に見えた。
『……そ、その、今すぐ付き合うとか、恋愛するとか、いい返事は……いま、すぐには、できない、です……』
海緒は真っ赤な顔をして、視線を彷徨わせながら絞り出すように言った。
……おい、佐原。
お前のせいで、俺はまだ自分から一言も告げていないのに、なんだか盛大に振られた気分だぞ。
胸の奥がチリッとして、情けない溜息が漏れそうになった。
やっぱり、急ぎすぎたか。
まだ彼女には、恋愛なんて早すぎたんだ――。
そう、諦めかけた時だった。
『でも……ちょっとずつ、翔先輩の気持ちに、向き合いたいなって思ってます。だから……これからも、お昼休憩の時間は一緒にいたいし、テニス部のマネージャーも続けたい……です』
海緒が顔を上げ、潤んだ瞳で真っ直ぐに俺を見つめた。
今すぐには無理かもしれない。
けれど、彼女は俺の気持ちを拒絶するのではなく、時間をかけて受け止めてくれようとしている。
「……海緒」
止まっていた心臓が、今度はさっきよりも激しく、
歓喜の音を刻み始めた。
振られたどころか、これは……
俺に「待っていていい」という許可をくれたってことか?
「……お前が嫌だって言っても、お昼も部活も、俺の方から会いに行く」
俺が少し照れ隠しに笑って言うと、
海緒は安心したように、ふにゃりと柔らかく微笑んだ。
佐原の方をチラリと見ると、あいつは「ほらね?」と言いたげに肩をすくめて、満足そうにニヤついている。
あいつの強引さには腹が立つけど、今日だけは、この最高の結果をくれたことに感謝してやってもいいかもしれない。
