5月の雪が止む頃に、君が本当の笑顔を取り戻せるように。



しばらくして、俺を抱きしめていた海緒の腕の力が、ふっと緩んだ。

名残惜しそうに、けれど少しだけ気恥ずかしそうに、彼女はゆっくりと俺から体を離していく。

さっきまで感じていた彼女の体温が消え、急に夜の静寂が保健室に忍び込んできたような気がして、
俺は無意識に胸のあたりを掌で押さえた。


『……いまは、お父さんとおじいちゃんとも、普通に話せるんですけど。やっぱり学校の人と話すのは、先生も含めて怖くて。……あっ、翔先輩と佐原先輩は別ですよっ! 私を助けてくれた、恩人ですから』


俺たちの反応を伺うように、慌てて付け足す海緒。

その仕草に、俺も佐原も、心のどこかで張り詰めていたものが少しだけ解けるのを感じていた。

けれど、その後に海緒が零した言葉は、
それまでの安堵を一瞬で吹き飛ばすほど残酷なものだった。


『……もう、恋愛なんて、できないんじゃないかって……思ってるんです』

「海緒ちゃん。……どうして、そう思うの?」


すかさず、佐原がいつもより低い、真剣なトーンで問いかける。


『二人のおかげで、ちょっとずつ、男の人と関わることへの抵抗は、薄まりつつあるんです。ただ……』

「ただ?」


海緒は膝の上でシーツをぎゅっと握りしめ、
消え入りそうな声で続けた。


『……自分より、30歳も上の人に、体を汚されてしまったんです。……汚れた私なんて、欲しがる人なんて、もうどこにもいないと思うんです』


――30歳も、上。


その数字が、鉛のように俺の心にずしりと沈み込んだ。

自分の欲望のために、親子ほど年の離れた、こんなにも無垢な少女の未来を奪ったのか。

「汚れた」なんて、そんな悲しい言葉を、この子自身に言わせてしまうほどに。


俺の中で、あいつらへの怒りとはまた違う、
ドロドロとした暗い感情が渦を巻いた。

汚れたなんて、そんなことあるわけない。

お前は、誰よりも綺麗で、誰よりも真っ直ぐで……。

けれど、今の俺が何を言っても、彼女の深い傷には届かないような気がして、言葉が喉の奥でつかえて離れなかった。