5月の雪が止む頃に、君が本当の笑顔を取り戻せるように。



『……少しだけ、真面目な話、聞いてくれますか』


さっきまでの柔らかな空気は消え、
海緒の表情に緊張が走る。

何かに怯えるように、けれど逃げないように俺たちの顔を交互に見つめ、彼女は震える唇を動かした。


「うん。俺も佐原も、ちゃんと聞く。逃げないから」


俺が静かな声で応えると、海緒は迷うように視線を落とし、膝の上でシーツをぎゅっと握りしめた。


『……私の、過去について、なんですけど。……結構、重い話です。大丈夫ですか? 聞いたら、疲れちゃいませんか?』


そんなこと。

そんなことを、この状況で、この子はまだ心配している。
自分の心が一番ボロボロなはずなのに、俺たちの負担になることを何よりも恐れているんだ。

その健気さが、余計に俺の胸を締め付ける。

俺は佐原と顔を見合わせたあと、もう一度、海緒の真っ直ぐな瞳を見つめ直した。


「疲れるわけないだろ。お前のこと、もっと知りたいんだ。……だから、お前のペースでいい。話してくれないか」


俺の言葉に、海緒は驚いたように目を見開いたあと、堰を切ったように小さく頷いた。
保健室のカーテンの向こう、夕闇が迫る静寂の中で、彼女の本当の物語が始まろうとしていた。


『まず……その、男の人が怖くなってしまった理由が、前の学校にあって』


海緒の声は、今にも消えてしまいそうなほど細かった。
俺は呼吸をすることさえ忘れて、彼女の次の言葉を待った。


「……うん」

『……当時、美術の先生だった人に……襲、われたんです。今日みたいに助けが入ることなく、最後まで……』


――ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
目の前が真っ暗になるような、強烈な衝撃。

「最後まで」というその一言が、海緒の心と体をどれほど無残に、徹底的に踏みにじったのか。

想像しただけで、視界が血の気が引くように白くなっていく。

今日、あいつらにされたことは、彼女にとって「新しい恐怖」じゃなかったんだ。

あの暗い旧校舎で、彼女はずっと、その最悪な記憶の中に引き戻されていたんだ。

ふと隣を見ると、佐原も言葉を失い、
拳を白くなるまで握りしめていた。

俺は……叫び出したいほどの怒りと、
やり場のない後悔で狂いそうだった。

どうして、もっと早く。どうして、もっと早くお前を見つけてやれなかったんだ。


「……海緒」


声を出すのが精一杯だった。

今にも壊れてしまいそうな彼女を今すぐ抱きしめたかったけれど、今の俺は「男」だ。

その接触さえも彼女を怖がらせてしまうんじゃないかと、伸ばしかけた手が宙で震える。

けれど、海緒は逃げなかった。
涙で滲んだ瞳で、じっと俺を見つめ返していた。