―海緒 side―
マネージャーの仕事にも少しずつ慣れてきて、
ようやく、翔先輩のサポートがなくても動けるようになってきた。
もちろん、まだまだ未熟なところばかりだけど……。
私を変えてくれた翔先輩や、明るく接してくれる佐原先輩に、ほんの少しでも恩返しがしたい。
だから、この温かな居場所を手放そうなんて、一度だって考えたことはなかった。
『……よし。スポーツドリンクの補充は、これでいいかな。あとは、替えのタオルも持って行こう』
鼻歌まじりにタオルの棚へ手を伸ばしたとき、背後で部室の扉が「ガチャリ」と重い音を立てて開いた。
『翔せんぱ……っ。あ、すみません、どなたですか……? ここ、部員以外は立ち入り禁止で……』
振り返った先にいたのは、翔先輩ではなかった。
私より背が高く、長い髪を揺らした女の子が二人。
彼女たちは私の姿を捉えた瞬間、獲物を追い詰める猛獣のような冷たい目を向け、一気に襲いかかってきた。
『いやっ……! なに!? 離して……っ!』
咄嗟に掴んだのは、作ったばかりのボトルと、抱えていたタオル。
けれど、そんなものは何の武器にもなりはしない。
ただ中身をぶちまけて、せっかく準備したもので部室を汚して、散らかしてしまっただけ。
「……っ、翔先輩、助けて……っ!」
心の中で叫んだ声は、乱暴に口を塞がれ、音にならずに消えていく。
「いいから来い!! つべこべ言わずに歩けよ!」
怒鳴り声と共に、細い手首が折れそうなほど強く掴まれる。
私は抵抗も虚しく、夕闇の迫る部室から、冷たい悪意の中へと引きずり出された。
「さっさと入れよ!」
乱暴に背中を押され、私はコンクリートの床に膝から崩れ落ちた。
『いっ……!』
鈍い痛みが走る。顔を上げると、そこは埃の匂いが立ち込める旧校舎の一室だった。
今はもう使われていない、誰も来ない放課後の死角。
「……あんた、マジで気に入らない。翔だけじゃなく佐原まで手懐けて? 何様なの、あんた」
見下ろしてくる彼女の瞳には、ドロドロとした黒い感情が渦巻いていた。
放課後のコートで、私たちが笑い合っていた時間を、彼女はずっと、あのフェンス越しにこんな目で見ていたのだろうか。
「ちょっと可愛がられてるからって、調子に乗ってんじゃないわよ。あんたみたいな得体の知れない転校生が、あの中に混じってるだけで反吐が出るんだわ」
嘲笑うような声が、冷え切った教室に響く。
私は恐怖で震える肩を抱き、必死に床を這って後退った。
……怖い。
男性への恐怖とはまた違う、同性から向けられる執拗で、容赦のない悪意。
翔先輩が「気をつけろ」と言ってくれたのは、このことだったんだ。
でも、もう遅い。
助けを呼びたくても、ここはあまりに遠すぎて。私の声は、夕闇に飲み込まれるように消えていく。
