5月の雪が止む頃に、君が本当の笑顔を取り戻せるように。



「……やけに観客が多いな。鬱陶しい」


フェンス越しに突き刺さる視線の群れを睨み、
俺は低く毒づいた。

今日のテニスコート周りは、いつも以上にギャラリーの数が多い。
女子生徒たちのひそひそ話が、風に乗ってコートの中にまで紛れ込んでくる。


『……皆さん、翔先輩や佐原先輩を見に来ているみたいですね』


隣に立つ海緒が、少し不安そうに眉を下げて笑った。

けれど、彼女はもう以前のように立ち尽くしたりはしない。腕に抱えた清潔なタオルの山を、部員一人ひとりのもとへ一生懸命に運んでいく。

男が苦手なことに変わりはないはずなのに。

「お疲れ様です」と小さく声をかけながら、丁寧にタオルを手渡していく。そんな彼女の成長を実感する瞬間が、ここ何日かで目に見えて増えていた。

……強くなったな、本当に。

夕日に照らされたコートを、パタパタと走り回るその後ろ姿。
彼女が勇気を出して自分の居場所を広げようとしていることが、自分のことのように誇らしかった。

だが――。

眩しい西日の中で目を細めた瞬間、俺の背筋を冷たい何かが通り過ぎた。

賑やかな黄色い声に紛れて、どこか異質な、執拗にこちらを射抜く視線が混じっている気がして。

フェンスの向こう側、逆光で顔の見えない「誰か」が、じっと海緒の動きを追っているように見えたのは、俺の気のせいだろうか。


『スポーツドリンク、無くなりそうなので補充してきますね!』

「……っ、おい、海緒!」


駆け出そうとした彼女の背中に、思わず鋭い声をぶつけていた。海緒は驚いたように足を止め、不思議そうに首を傾げる。


『はい? どうしましたか、翔先輩?』


……何かが起きる。
そう確信できる具体的な根拠があるわけじゃない。

けれど、心臓が警鐘を鳴らしている。なんとなく、今ここで彼女を一人にしてはいけない気がして、喉の奥がヒリついた。


「……いや。……なんでもない。けど、気をつけろよ」


「何も起きない」と言い聞かせながら、震えそうな声をなんとか整える。海緒はいつものように、パッと花が咲いたような笑顔を見せた。


『はい! ありがとうございます!』


タタタッ、と軽やかな足取りで遠ざかっていく後ろ姿。

いつもなら、弾むように揺れるそのポニーテールに釘付けになって、独り占めしたいような愛おしさに浸っているはずなのに。

今は、その揺れる髪が視界から消えてしまうことが、怖くてたまらない。

拭いきれない不安が、夕闇のようにじわじわと俺の足元を侵食し始めていた。