5月の雪が止む頃に、君が本当の笑顔を取り戻せるように。



「そっか、男が怖いのか。ごめんね、あんな急に距離縮めちゃって」


事情を話すと、佐原はそれまでの浮かれた調子を一変させ、物凄く申し訳なさそうな顔をした。


『いえ……事前に伝えていなかった私も悪いので』

「俺、佐原 優大(さはらゆうだい)。ゆうちゃんとか、気軽に呼んでね!」


――おい。

さっき自分の距離感に反省してたんじゃないのか。

一秒前まで神妙な顔をしておいて、即座にこれだ。
こいつの辞書には「学習」という二文字が存在しないらしい。


『そんな、いきなり先輩をあだ名でなんて呼べないです……っ』

「お願いだから、海緒を困らせないでくれ……」


あまりの陽気さと切り替えの早さに、俺は思わずこめかみを押さえた。

さっき、こいつの空気の読めなさに感謝した俺が間違いだった。今の感謝をすべて、音速でキャンセルしたい。


「いいじゃん翔! ニックネームは友情の証だよ?」

「そういう次元の話じゃねーんだよ」


海緒を守るための壁になりたい俺の横で、
佐原は軽やかにその壁を飛び越えていく。

ため息しか出ない俺の横で、海緒が少しだけ、
困ったように、でも先ほどよりはリラックスした様子で口角を上げたのを、俺は見逃さなかった。


「まあ……こんな奴だけど、一応俺の友達で、何かあったら助けてくれると思うから。俺の時みたいに、少しずつ仲良くなっていけるといいな」

『永瀬先輩のお友達さんなら……頑張ってみようと思います』


――……っ。

今、なんて言った?

「永瀬先輩」

初めてだ。
彼女の口から、俺の名前が、俺という個人の名前が零れたのは。

ただ「先輩」と呼ばれるのも悪くなかった。

でも、俺の苗字をのせて呼ばれるだけで、
まるで彼女の世界の中に俺という存在が正式に登録されたような、そんな猛烈な優越感に襲われる。


「……あ、ああ。そうか。……おう、頑張れ」


危ない。
さっきよりも何倍も、口角がだらしなく跳ね上がりそうになる。

佐原がいなかったら、今すぐその場でガッツポーズをしていたかもしれない。


胸の奥が、熱い。

彼女のなかで、俺はただの「先輩」から「永瀬先輩」に変わった。
その小さな、けれど確実な一歩が、今は何よりも誇らしかった。