「行こう、向日葵」
太陽の声は、夜の路地の冷たさの中でも、はっきりと届いた。
私はうなずいた。
けれど、一歩目を踏み出した足はまだ頼りなかった。
古いビルの壁。
街灯に濡れたように光るアスファルト。
さっきまで黒い車が止まっていた場所。
そこに、もう橘蓮司はいない。
朝比奈絵里奈もいない。
ただ、夜の空気だけが残っている。
それなのに、私の目にはまだ運転席の男の顔が焼きついていた。
一度目の人生で、刃物を持って私に走ってきた男。
太陽を殺した男。
その男が、今の人生では朝比奈絵里奈のマネージャーとして、太陽のすぐ近くにいる。
「向日葵の家まで送っていく」
横から声がした。
太陽は、私に触れない距離を保ったまま、ゆっくり歩いていた。
近すぎない。
でも、離れすぎない。
私は反射的に顔を上げた。
「でも」
「あの話を聞いた直後に、向日葵を一人で歩かせることはできない」
その言い方が、強引ではなくて、ただ真剣だったから。
私は言い返す言葉をなくした。
「わかった」
そう返すと、太陽は少しだけ肩の力を抜いた。
けれど、すぐに真剣な顔に戻る。
「向日葵」
「はい」
「さっき話してくれたこと、もう一度だけ確認していい?」
胸がぎゅっと縮んだ。
でも、逃げなかった。
「うん」
「前の人生で、俺たちは結婚してた」
「うん」
「秘密の結婚だった」
「うん」
「橘蓮司が君を襲って、俺が庇って死んだ」
その言葉だけは、胸に刃が入るみたいだった。
私は、うなずいた。
太陽は目を伏せた。
その横顔が痛いほど静かで、私は思わず言った。
「ごめん」
「どうして向日葵が謝るの」
「だって、私のせいで」
「違う」
即答だった。
太陽は、まっすぐ私を見た。
「それだけは違う」
「でも」
「向日葵が襲われたのは、向日葵のせいじゃない。俺が君を庇ったのは、俺がそうしたかったからだ」
「そんなふうに言わないで」
声が震えた。
「そう言われると、余計に苦しい。太陽くんはいつもそう。自分で選んだみたいに言う。後悔してないみたいに言う。でも残された私は、どうしたらいいかわからなかった」
一度言葉が出ると、止まらなかった。
「血が止まらなくて、手が冷たくなって、あなたが最後に生きてって言って、それで目が覚めたらプロポーズの日に戻ってた。怖かった。嬉しかった。生きてるって思って、でもまた死なせるかもしれないって思ったら、もうどうしていいかわからなかった」
視界が滲む。
「私、あなたに生きてって言ったでしょう。子どものころ。私のために生きてって。あれが、あなたを縛ったのかなって。王子様にならなきゃって、迎えに来なきゃって、私があなたの人生を重くしたのかなって」
太陽の目が、静かに揺れた。
「向日葵」
太陽の声は、夜の路地の冷たさの中でも、はっきりと届いた。
私はうなずいた。
けれど、一歩目を踏み出した足はまだ頼りなかった。
古いビルの壁。
街灯に濡れたように光るアスファルト。
さっきまで黒い車が止まっていた場所。
そこに、もう橘蓮司はいない。
朝比奈絵里奈もいない。
ただ、夜の空気だけが残っている。
それなのに、私の目にはまだ運転席の男の顔が焼きついていた。
一度目の人生で、刃物を持って私に走ってきた男。
太陽を殺した男。
その男が、今の人生では朝比奈絵里奈のマネージャーとして、太陽のすぐ近くにいる。
「向日葵の家まで送っていく」
横から声がした。
太陽は、私に触れない距離を保ったまま、ゆっくり歩いていた。
近すぎない。
でも、離れすぎない。
私は反射的に顔を上げた。
「でも」
「あの話を聞いた直後に、向日葵を一人で歩かせることはできない」
その言い方が、強引ではなくて、ただ真剣だったから。
私は言い返す言葉をなくした。
「わかった」
そう返すと、太陽は少しだけ肩の力を抜いた。
けれど、すぐに真剣な顔に戻る。
「向日葵」
「はい」
「さっき話してくれたこと、もう一度だけ確認していい?」
胸がぎゅっと縮んだ。
でも、逃げなかった。
「うん」
「前の人生で、俺たちは結婚してた」
「うん」
「秘密の結婚だった」
「うん」
「橘蓮司が君を襲って、俺が庇って死んだ」
その言葉だけは、胸に刃が入るみたいだった。
私は、うなずいた。
太陽は目を伏せた。
その横顔が痛いほど静かで、私は思わず言った。
「ごめん」
「どうして向日葵が謝るの」
「だって、私のせいで」
「違う」
即答だった。
太陽は、まっすぐ私を見た。
「それだけは違う」
「でも」
「向日葵が襲われたのは、向日葵のせいじゃない。俺が君を庇ったのは、俺がそうしたかったからだ」
「そんなふうに言わないで」
声が震えた。
「そう言われると、余計に苦しい。太陽くんはいつもそう。自分で選んだみたいに言う。後悔してないみたいに言う。でも残された私は、どうしたらいいかわからなかった」
一度言葉が出ると、止まらなかった。
「血が止まらなくて、手が冷たくなって、あなたが最後に生きてって言って、それで目が覚めたらプロポーズの日に戻ってた。怖かった。嬉しかった。生きてるって思って、でもまた死なせるかもしれないって思ったら、もうどうしていいかわからなかった」
視界が滲む。
「私、あなたに生きてって言ったでしょう。子どものころ。私のために生きてって。あれが、あなたを縛ったのかなって。王子様にならなきゃって、迎えに来なきゃって、私があなたの人生を重くしたのかなって」
太陽の目が、静かに揺れた。
「向日葵」



