別れたはずのママとパパは、愛しの三つ子ちゃんに振り回されています

「もしよかったら教えましょうか?」と――。
 最初は社交辞令だと思った。だってそれまで彼とまともに言葉を交わしたことなどなかったし、私は彼を知っていても、彼は私のことを認識していないと思っていたから。
 だから真面目に返すのは失礼なのかもしれないと思い、私も「本当ですか? 機会があればぜひお願いします」と返した。
 これでこの話は終わるとばかり思っていたのだけれど、稔さんに別れ際に連絡先を聞かれた時は驚いた。
 どうやら彼は社交辞令ではなく、本気で私にフランス語を教えようと思っていたそう。
 その理由は、彼と交際してから知ったのだけれど、稔さんは以前から私の存在に気づいてくれていたようで、さらにびっくりしたのは一生懸命に働く私を見て好感を抱き、機会があれば声をかけたいと思っていたというのだ。
 戸惑いながらもお互い休みの日や、仕事終わりに時間が合えば会ってフランス語を教えてもらうようになった。
 最初は緊張でいっぱいだったけれど、稔さんの纏う空気が温かくて、一緒にいると不思議と落ち着けた。
 それに私の話を真剣に聞いてくれて、会う回数を重ねていくうちにお互い同じバンドが好きということがわかり、一気に距離が縮まった。
 仕事に対する思いも価値観も同じで、お互い片親ということで親近感も沸いた。
 稔さんは父親を幼い頃に亡くし、母親が女手ひとつで育ててくれたそう。母親をとても大切にしており、そういうところにも惹かれた。
 一方の私はというと、片親といっても彼の家庭事情とはまるで違う。両親は私が生まれて間もない頃から不仲だった。
 それでも離婚しなかったのは世間体を気にする父と、私の存在が大きかったようだ。
 だから私が高校を卒業して大学進学を機に家を出るタイミングで、両親は離婚。その後、父にはずっと愛人がいたようであっさり再婚した。
 母はこれからは自由に生きると息まいていたのだが、離婚後から一年後に癌が見つかり、進行性の癌で治療の術がなく半年で亡くなってしまった。
 両親の仲は不仲だったけれど、私には愛情をたくさん注いでくれた。とくに母は父以上に私を愛してくれて、いつも私を支えてくれた。そして自分たちのようにならないためにも、心から愛する人と結婚することを願っていた。
 そんな母を亡くし、悲しみに暮れる間もなく葬儀の準備を進めたのだけれど、葬儀に父の姿はなかった。
いくら離婚したといえど、一度は愛し合って結婚した仲なのに信じられなかった。父への不信感は大きくなり、今では絶縁状態。