小悪魔と聖母

人は何故
暁に有りて
落日を
無窮に在りて
刹那を望む…

あの時君に
逢わなきゃよかった…

雨上がり
新緑と湿った土の薫りただよふ
路をひとりで歩いていると
一人の少女
春風をその身に纏ひて

時の流れが遅くなる…

花筏(はないかだ)
目の前の水の溜りを飛び越えて
櫻色したワンピースをば手繰(たく)し上げ
膝を曲げ腰を落としてこの僕に
優雅な貴族のお辞儀したんだ
子供のくせに
上品だけど露わになった
その太腿が艶めかしくて
想わず僕が目を背けると
悪戯っぽく微笑んで

あなたはとても運がいいわね
※ユビレイなのよ!
今日は私の!

※Юбилей(ユビレイ)
十歳毎の露西亜圏での祝事

そう叫び
ひらひらと泥の澱みを渡っていった
悪魔のように尻尾を隠し
それでいながら天使のような
その背中には羽が生えてた

時は流れて
十分の一は
二十四(にじゅうし)分の一つとなった…

未完成だがその場所は静かに息づき満ち足りていた
柱も梁も剥き出しで木屑が辺りに散らばっている
けれどそこには朝の食卓
昼のリビング
夜の寝室
家族の愛の居場所がそこに静かに優しく呼吸をしてた
片脇に角材抱えた大工の一人がこう言った
「なあ、ヨセフの旦那、建築士さんが現場で汗を流してるってこともあるめぇ!」
※玄能(げんのう)でのみを打ってた端正な顔立ちをした青年が
「『本当に優秀な大工は図面の前じゃなく現場にいるっ!』てね…」
快活に答えを返す
「そいつは※ジョゼさん、ガウディかい?」
大工が尋ねる
ジョゼと呼ばれた青年は、汗を拭って
「死んだ親父がいつも言ってた…!」
そう応えると、
「そろそろみんな、あがっていいよ!」
宣言を皆に叫んだ

※玄能 金槌の異称
※ジョゼ ヨセフの愛称

そうしてジョゼが家に帰ると…

何故だかソファに君がいた
無防備に横たわりたる君がいた
端正優美な顔立ちで
シャツワンピースに包まれて
細腕と艶美(えんび)な脚があらわになって
釦(ぼたん)の隙間肌がみえてた
それなのに妙に色気は失せていて
それがなんだか君らしかった
「鍵空いてたから」悪びれもせず君は語った
「お前なあ…」僕は溜息ついたけど
そんな自分が世界一幸せ者だと自覚していた
「いやまあ、これは…よく喰うな…」
「たんぱく質と炭水化物が※ミューズには必要なのよ」
「体内でビッグバンが起きちゃうぞ」
「そのビッグバンを藝術の糧にするのよ」
先生は…ルカ先生は元気かしらね?」
マリアはきっとあの頃のことを想いだしてた

「ヨセフ君、ビッグバンを識ってるな?」
「はい、ルカ先生。ビッグバンとはつまりは宇宙の始まりですよね」
「ああ、そうだ。
ビッグバンは、宇宙がものすごく小さく、ものすごく高温高密度だった状態から急激に膨張しはじめた、という考え方だ。
宇宙は、超高温超高圧の点のような状態から一気に広がり、とても熱い宇宙の中で粒子ができ、しだいに原子ができ、長い時間をかけて星や銀河ができて僕たち生命が生まれた……と考えられている。
それでは少し難しいかもしれないが、ヨセフ君、ヒートデスは識っているかい?」
「いや、ルカ先生、聞いたことがありません」
「ではマリア君、君はどうかね?」
「はい、先生。ヒートデスとは遠い未来に宇宙が冷えて凍りつくって…」
「マリア君、よく出来ました、けれど半分だけ正解かな。
こうしよう。
お湯の入っているコップと水の入っているコップがあるとするね。
…お湯の入ったコップと水の入ったコップを一緒くたにしてしまった時どうなるかね?」
「ぬるま湯になります」
マリアは答えた。
「そうだ、マリア君。その時、お湯からは熱が失われ、水は熱を得ている。その熱の動きがつまり宇宙の星の輝きなどの運動だ。
だが、一度ぬるま湯になってしまうと、そこからは熱の移動の動きがなくなる。それが、熱の移動という運動が止まり、宇宙が暗闇になり、あらゆる星の輝きが失われてしまう。
…で、ぬるま湯だけならまだいいんだが、今宇宙は膨張を続けていると考えられていて、つまりはお湯とお水を足して、それから延々と足し水をされているような状態だと考えられているんだ。
…つまりはビッグバンによって出来た、お湯と水のような宇宙の熱のかたよりが、ぬるま湯になり、さらに足し水されることによって均一化し、宇宙のあらゆる運動が絶対零度で停止してしまう、それがヒートデスだと考えられているんだ。
…ところでこのヒートデスを決定づけている宇宙膨張はフリードマン方程式によって記述されているんだが…」
ルカと呼ばれる教師は、黒板に難解な方程式を書き始めた。
「世界ではヒートデスの悲観的宇宙論が主流だがフリードマン方程式のスケール因子は誰も識らないっ…!」
無意識の緊張が指先に宿り、その圧力で方程式を描くチョークが脆く折れた。
「…先程のビッグバンにしても、宇宙に関して僕たちは主観でものを考えていて、客観的な宇宙を僕らは知る由もない…
先程のお湯とお水の例えじゃないが、人間はいい気なもので水辺(みなべ)立つ波紋を眺め世の始まりと想い違える…そういう事かもしれないな。
今日はここまで!昨日の宿題は先生の机の上に提出しておいてくれたまえ」

「先生は…そりゃあ元気に決まってるだろ
…取り敢えず珈琲のむか?」
「そうするわ…」
…いつものようにマリアの瞳はとろんとしてた…

人を殺した目をしてる
絵を書いてない君を見て僕は想った
魂を絵画の中に注ぐから
抜け殻みたいになるんだね  
藝術にその身を捧げ
美しきその手を汚し
自らが描いた貘にその身を喰われ
それでもひたに描き続ける
あなたは真摯な藝術家
そんなあなたが愛しくて
あなたに魂食べられる
夢をあなたの貘に喰われて
夢なき眠りに今日もつくのだ

こうやってかけがえなのない僕達の
いつもの気だるい午後が始まる…

※ミューズ ギリシャ神話の藝術の神

そうだマリアはだらしない
だらしないけどけどだけど…

「アトリエに行く…」
「ドローンがでたら危ない俺も行く…!」
アトリエへ行く道すがら

若草色の海原に
遊ぶが如き 
佇む君の神々しさよ
はにかむ脚のふくらみよ
無防備なデコルテからの
弾ける胸の膨らみよ
憂え気な目元に違う
甘えたような唇よ
アフロディーテも嫉妬して
僕はただただ立ちすくむのだ

マリアを送る
「リスパダールはきちんと飲めよ…エリーゼさんの様子をみてくる。
それとこれ…大丈夫だな…!
どうしてもという時以外は絶対撃つなよ…!」
銃を渡して街へ向かった…

『俺は嫉妬を感じてる…
露西亜に帰ったルカ先生をあいつは好きで
俺が好きじゃなく
俺でもいいと想っているのだ…
そいつが異様に気に喰わぬ…』
歩きながらに考える
エリーゼさんは
ミサイルで寝室が剥き出しになった
マンションのある一室で暮らしてた

インターホンを押してからしばらくするとマンションの部屋のドアが開く。
「やあ、エリーゼさん…元気でよかった…」
「ジョゼ君、いつも悪いわね…」
エリーゼさんは美しく、元気そうでもどこか気だるげだがそれがいい…
エリーゼさんは人のぬくもり、感情や思考の名前を識らない僕に韻を踏み言葉を紡ぎ詩を書くことを教えてくれた
浮気のような気もするけれど
キスとかしてるわけでもないし
あいつも好きな男がいながら
俺で妥協をしてるのだから
若干の俺の不貞も許されようぞ
今はただエリーゼさんと言葉を交わす
それでいい…
傍(そば)に飾った茉莉花(まつりか)が
控えめにだが目を引いていた
言葉には語りきれない憂鬱が二人を包む
じっと手をみる…

「僕の手が露西亜の人のそれならば…」
「もうそれ以上は言わないで…
そう言えば
お隣のおじいさんが今朝お亡くなりにね…」
「今日はまだミサイルもドローンだって…」
驚くジョゼに、
「病院が撃たれたじゃない…
透析が出来なくなって…
それもまた…」
「戦争…なのか…
…エリーゼさん、そういや一つ
詩を創ったんだ…」
「いいわ…聴かせて…」

祖国の為に捨てるほどあなたの命は軽くない

祖国の為に捨てるほど
あなたの命は軽くない
奇跡の地球(ほし)に命は芽生え
三十五億年という気の遠くなるよな時を経て
淘汰と進化の試練を超えて
あなたの命は受け継がれ
あなたの体は全力で
生の営み続けつつ
生きていたいと叫んでる
僕達に課された使命は戦場で
死に絶えてゆく事じゃなく
星でさえやがては滅ぶ
諸行無常の世の中で
滅びの運命(さだめ)に打ち克って
永遠を体現してゆくその為に
生まれてきたと確信してる
レミングの群れにはなるな
滅亡の同調圧力跳ねのけろ
祖国の為に捨てるほど
あなたの命は軽くない

「いい詩ね…
狂気は個人に於いては稀である。 しかし国家に於いては日常である」
「ニーチェですか…
…先生が来る日ね…」
「…マリアさんには、伝えてあるわね?」
「…ああ、ええ、はい、もちろん…」
「…そう…」
…伝えてなかった…
数学を、宇宙のことを、実存を、教えてくれた
先生を愛していたが、
マリアの事を恋に狂わせ、精神をおかしくさせた
先生を同時に嫉妬し憎悪していた

教室はお昼下がりの光をたたえ
静謐に古い記憶の底に淀(よど)んで
廊下の向こうの足音に気を張り詰めた
指先は冷えているのに
呼吸をする度
吐息の果てが奇妙に熱い

足音が聴こえた気がして
扉を開ける…
誰も居なくて
ため息をつく
気を取り直し
吸い慣れてない
煙草取り出し
口に咥えて
ジッポをこする

その時だった

頼りないかすかな音が
だがコツ、コツ、と
自然音とは異なっている
規則正しい人工音が
やがて乾いた床を打つ
確かな靴の足音となり
その足取りを刻一刻と確かに変えて
教室の前で止まって
静まり返った緊張が
扉一枚対峙をすると
ガラガラと
軋む扉が記憶をなぞり
先生が
僕に姿を現したんだ…

「ヨセフ君か…一人かね?」
元気そうだが
少しやつれた先生は、
「マリアはここには来ませんよ」
「ああ、そうか…深くは訊かんよ」
「どうしてここに帰ってきたんだ…?」
強がる僕へ、
寂しげにルカ先生は微笑むと、
「いい機会だな…ついてきたまえ…」

ルカ先生に連れられて
行き着いたのはエリーゼさんの部屋だった
「先生、ここは…」
そう言いかけたその時に
「おかえりなさい」
ドアを開いたエリーゼさんの足元を
「おかえり、パパ」
五つ六つの少女が一人膝に抱きつく
「紹介するよ、娘のアンジェラ…」
「先生、独身だったんじゃ…?」
先生はバツが悪そに頬を掻き
「いや実は、妻が妊娠した時に、ウクライナ事変がはじまり表沙汰には出来ずにね…」
「娘を入れる※ギムナジウムの手配が調い、妻と娘を迎える為にこうしてここに帰ってきたんだ…」
「内緒にしててごめんねジョゼ君…」
「なんだ、先生、そういうことなら言ってくれれば…」
「ヨセフ君、すまなかったね…」

※ギムナジウム 幼年学校の寄宿舎

その刹那、パンパンという乾いた音が背後で鳴って先生が地面に崩れた
エリーゼさんが悲鳴を上げる
視線の先で呆然とマリアが銃を床に落とした…

愛する人の死というものが
斯くも心を動かさぬのか
驚きながら…
先生の亡骸僕は荒れ果てた
集団墓地の片隅に…

失楽園を
贖(あがな)うように
無心になって
土を掘る

しばらくすると
どうだろう…
あれほどまでに
けたたましかった
鴉の声が不意に途切れて
色を失う絵のように
世界は徐々にくすみはじめる
鉛の雲が空に蓋をし
空を不穏な気配が漂い
突然に
稲妻光り
後を追うよに
雷鳴が耳をつんざく
降るというより
空が崩れて
落ちてくる
土砂降りの雨

ずぶ濡れの
スコップ握る
狂気の様が
時々にして
雷鳴と共に
闇に煌(きら)めく

ぬかるんだ
土が全てを
覆い尽くすと
張り詰めていた
息をつき

僕たちは
教会に
その身をやつす

君と僕嵐に打たれ
雨宿りたる教会で
君は突然外套を脱ぎ
雫に濡れた肌着を魅せて
君らしくもなく挑発的に
蠱惑な魔性の笑み浮かべ
上目遣いに僕を見つめた
神様も苦笑いして
僕達を祝福してると 想う事にし
自らの疼く鼓動が
伝わるまいか羞恥しながら
小悪魔を僕は優しく胸に抱いた
そしたら君は涙を浮かべ
「皆死んでしまえばいいの
それが世界の…」
嗚咽した
「馬鹿だなおまえ…そうはさせるか…」
ああマリア砂漠潤す涙を見給え
乙女の祈り聴き給え
おお神よ永遠の平和と静寂を
この天地(あまつち)に施して
この世を永遠に栄えさす
神の息吹を我に与えよ