裏社会のドンは私を人質にできない

 廊下の床板が軋む音さえも、かき消すような雨音。
 私は結局、彼の言うことを聞いている。

「ここが、おまえの部屋だ。好きに使え」
「分かった」
「仕事は明日からだ」
「え、面談は……?」

 まだろくに朱里ちゃんと話していない。
 なのにいきなり明日から仕事だなんて。

「言っただろ。おまえはもうここから出さねえ」

 その黒い瞳が私を苦く見つめる。

「だから……面談は、する意味がねえ」

 少し考えて、もう一度彼を見上げた。
 マリオの表情は変わらず冷たい。
 でも――。

「ダメでしょ。朱里ちゃんにはちゃんと、私がどういう人か知らさないと」
「あ?」

 びく。低い声に、肩が震える。
 首を傾けて私を睨むその目は、カタギのそれではなかった。

「……とにかく、全部明日だ」

 マリオは鼻先を掻きながら顔を背けた。

「トイレは突き当り。風呂は裏だ。入るときは札をちゃんと裏返せよ」
「わ、かった」

 喉が乾燥して苦しい。
 マリオが背を向けて部屋を後にする。
 その背を一度振り返ってから、私は反対に、部屋の中へ入った。

 荷物整理が終わって、することがない。
 好きに使えとは言われたけど、落ち着かないし。

 まさかこんなところでアイツと再会するなんて。
 マリオが高校を中退してから、一度も会うことはなかったのに。

 ――あれ? 襖が開いてる……。

 ぼんやり部屋を眺めていたら、部屋の襖が開いていることに気づいた。

「ベビシッタさんはオヤブンとお友達なの?」
「わっ」

 すると音もなく朱里ちゃんが現れて、思わず声がひっくり返る。
 彼女は頬を膨らませていた。

「お友達なの?」
「えっと、どうかな……?」
「オヤブンをいじめないでね」

 私がマリオをいじめると思ってるのか。
 朱里ちゃんの言葉に苦笑してしまう。
 アイツがいじめるのはあっても、私はそんなことできる立場でもないし。

「そんなことしないよ」
「……ほんと?」

 頷くと、朱里ちゃんは目を伏せてから微笑んだ。
 その顔は、いつかのマリオの笑顔と似ている。

「朱里さん、カシラに叱られます」

 また音もなく現れたのは、マリオをカシラと呼ぶ真城さんだった。
 彼は部屋に指先ひとつ入ることもなく朱里ちゃんに声をかける。

「カジさんまたね!」
「う、うん。またね」

 朱里ちゃんが勢いよく立ち上がり、部屋から出て行く。
 素直な子だなと思っていると、ふと気づく。

 ――あれ?

「泣かれなかった」