裏社会のドンは私を人質にできない

 依頼人の家の門前に立ちながら、私の足はすくんでいた。

「組……って、かわいい方のじゃないよね」

 大きな表札。立派な日本家屋。
 分かりにくいインターフォンの位置は、来客を待つ家には見えなかった。

「……いや。自分で選んだんだから、ちゃんとこなさなきゃ」

 逃げ出したくなる胸を叩き、先ほどようやく見つけたインターフォンを睨んだ。

「大丈夫、大丈夫」

 インターフォンに指先を近づける。
 その瞬間、鈍い衝撃音が響いて、私は伸ばしていた指をひっこめた。

「きゃあああ!」
「ウオオオ~ッ!」

 子供の悲鳴と男の叫び声が聞こえて、心臓が一拍遅れて跳ねる。

「虐待!?」

 気付いたときには飛び出して、門をくぐっていた。
 悲鳴の主を探して廊下を駆けていると、突き当りの部屋の襖が開いていた。

「オヤブン、ごめんなさい」
「うぐう……」

 その中で、幼い少女が畳に突っ伏してうずくまる男の尻に、保冷剤をあてがっていた。

「き、きみ。大丈夫……?」

 状況が分からなくて、身体が硬直する。
 戸惑いながら声をかけると、女の子は私を見上げて笑った。

「あ。オヤブン! ベビシッタさんだよ!」
「もうそんな時間かよ……朱里(あかり)、眞城を呼んできな……ぃってて」
「はぁい!」

 元気に返事をした朱里ちゃんが廊下を走りだす。
 すると男が立ち上がった。

「……嘘」
「いや、ぐ、すいません。娘とじゃれてたらちょっと……覚えたてのカンチョーしてきたもんで」

 男の声、その体型に、息が止まる。

「マリオ……?」

 見間違えられるはずのない、一番思い出したくない男だ。
 乱れたスーツはどこか、学生時代の面影を残している。
 けれど、襟首からは入れ墨が覗いていて、昔とは違うと突き付けられるようだった。
 一歩近づくと、男が私を見上げる。

「……花日音(かひね)?」

 その目と視線がぶつかると、私の胸に落ちている鉛が重く揺らいだ。

(やっぱり)

 あの頃と変わらない低い声が、耳に落ちた。
 その声、その目つきは、忘れられるはずがない。

『遊びだった』

 散々人を振り回して、弄んで、突然冷たく私を捨てた、その男を。