【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻

《怜央視点》

沙羅の変化に気づいたのは、その少し前だった。

最初は些細な確認だった。

「今日は誰と会うの?」

「何時に戻るの?」

「その会食に女性はいるの?」

婚約者として気にしているだけだと、自分に言い聞かせた。多少の独占欲くらい、責めることではない。そう考えた。

だが、確認は次第に命令に変わった。

予定を事前に共有することを求められた。返信が遅れると、理由を問われた。
会う相手を選別されるようになった。仕事上必要な相手でさえ、沙羅の気に入らない人物なら不機嫌になった。

秘書を通した連絡を嫌がった。

俺のスマートフォンに直接連絡を入れ、出なければ何度も鳴らした。

「婚約者なんだから、当然でしょう?」

その言葉は、いつも柔らかく響いた。

柔らかいのに、逃げ場がなかった。

俺はそのたびに、自分を納得させていた。これも婚約の一部だ。
家同士の関係を円滑に進めるためには、波風を立てないほうがいい。感情的になる必要はない。

けれど、違和感は消えなかった。

俺の予定は、俺のものではなくなっていった。俺の交友関係も、俺の時間も、俺の判断でさえも、少しずつ沙羅の手の中に移っていく。

結納の日取りが近づくほど、その束縛は強くなった。
俺が何かを断れば、沙羅は悲しそうな顔をした。俺が距離を取ろうとすれば、彼女は笑って言った。

「怜央さんは、私の婚約者でしょう?」

その言葉を聞くたびに、胸の奥が冷えていった。

婚約者。

便利な言葉だと思った。

それを掲げられると、こちらの不快感はわがままになる。拒絶は非礼になる。息苦しさは、相手への配慮不足になる。

俺は久遠の人間だから耐えるべきだ。家のためなら、これくらい当然だ。

そう思っていた。

いや――そう思おうとしていた。