【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻

《怜央視点》

目を開ける前から、頭痛がしていた。

天井。
消毒液の匂い。
病院だと、すぐわかった。

次に来たのは、記憶だった。

父の声。
母の泣きそうな横顔。
御堂の顔。

沙羅。
高梨家との縁談。正式発表前の、家同士の話。
断ろうとしていた自分。
少なくとも彼女を愛していた記憶はない。

そして、事故の夜。

雨。
ワイパー。
なぜか御堂にも告げず、どこかへ向かっていたこと。
交差点の手前で、ブレーキを踏んだ感触が、ありえないほど軽かったこと。

ただの事故じゃない。

その確信だけが、嫌に鮮明だった。

そこまで思い出したところで、もう一つの記憶が胸を締めつける。
雨の車内。
冷たい手に触れた温度。
梨音の顔。

契約だった、と分かっても、あの時間が嘘だったとは、どうしても思えなかった。
自分が彼女に惹かれたことも、彼女の声で安心したことも、眠るとき、いてほしいと願ったことも。
全部、俺の感情だ。

だからこそ、終わらせなければならないと思った。

契約で縛りたくない。
借金と恩で、彼女の人生をこちら側につなぎとめたくない。

それに――もし事故が人為的なものなら、俺のそばにいる人間が狙われる可能性がある。

梨音だけは、巻き込んではいけない。

それが、目を覚ましたばかりの頭で、最初に下したいちばん冷静な判断だった。
そしてたぶん、いちばん残酷な判断でもあった。