【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻

「本当のこと?」

怜央の声が、低くなる。

「正式な発表はまだでしたけれど、わたくしの家である高梨家と久遠家ではそういう話になっていました。来月には結納の予定もありましたし、指輪の調整も済んでいたでしょう?」

耳の奥で、何かが鳴った気がした。

やめて……。

梨音の心の叫びは、音にならない。

沙羅の言葉は丁寧なのに、刃物だった。
怜央にではない。私に向けての刃。

「……知っているのよ。あなた、借金返済のために久遠家に雇われたのでしょう?」

沙羅の声が甘くなる。甘いほど、痛い。

「まさか、本気で怜央様の妻のつもりでここに?」

私の喉が乾く。
目の前の景色が、少しだけ遠のく。
逃げたい。けれど逃げたら、怜央の世界が崩れる。

「今、怜央さんが妻だと思っているその方は、あなたの妻ではありません。久遠家に頼まれて、あなたの記憶が戻るまで妻の役を引き受けているだけ。期間限定の、契約の関係です」

契約。

それをこんな場所で、こんなふうに突きつけられるなんて思っていなかった。

血の気が引く、という表現がこれほど正確に体へ起きるんだなと、そのとき初めて知った。