【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻

代わりに、怜央が言った。

「そう、俺の妻だ」

断言。
迷いがない。信じて疑わない目。

沙羅の瞳が、鋭く光る。

「妻?」

その一語に、嘲りが混じった。

「……おかしいですね。久遠怜央は、私の婚約者です」

凍った。

うそ……。
婚約者がいたなんて、聞いてない……。

言葉が、落ちて割れたみたいに、静かに響いた。

「婚約者……?」

怜央が呟く。
その瞬間、怜央の瞳が揺れた。揺れ方が、危うい。
私はわかってしまう。これは、混乱の前触れだ。

「桐生梨音さん」

「……はい」

返事をした自分の声が、情けないほど小さかった。

「事故から怜央さんを助けてくださって、ありがとうございました」

綺麗に頭を下げられて、私は逆に逃げたくなる。

「いえ、そんな……」

「そのあとのことも、大変だったでしょう」

沙羅は微笑む。

「慣れない役目を、急に頼まれたのですもの」

空気が、さらに凍る。

怜央が私を見る。

御堂が一歩前へ出て「沙羅様。この件は、場を改めて——」と言ったが、沙羅は笑ったまま、その言葉を遮る。

「御堂さん、あなた本当に昔から容赦がないのね。でも今回は、いくら有能な秘書でも止めないで。怜央さんご本人だけが何も知らないままなんて、あまりにひどいでしょう?」

「現在の怜央様には刺激を避けるよう指示が出ています」

「まあ」

沙羅が小首を傾げる。

「では、私の存在そのものが刺激だと?」

「統計上、かなり」

沙羅は、その言葉に小さく笑った。

「安心して。騒ぐつもりはないわ。事実を、静かに確認したいだけ」

そうして、また怜央へ向き直る。

「怜央さん。私は、あなたを困らせたいわけではありません。ただ——本当のことを知ってほしいだけです」