【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻

《怜央視点》

両親のことは思い出した。
母の声も、父の厳しさも、御堂の腹立たしいほど正確な仕事ぶりも。
手術の手順は、体が先に思い出していた。

なのに、梨音のことだけがない。

本来ならそこにあるはずの時間が、丸ごと抜け落ちている。
焦りより先に来るのは苛立ちだ。
思い出せない自分に対しても、平気な顔で隠しごとをする梨音に対しても。

廊下の向こうで彼女が壁に手をついた瞬間、胸の奥が冷えた。

あの程度で、と思う自分がいる。
同時に、あの程度になるまで黙っていたのか、と腹が立つ。

怒っているのは、放っておかれたからじゃない。
放っておかせた自分にだ。

記憶がなくてもわかる。
彼女のああいう無茶を、もう二度と見たくない。
笑っていてほしいし、できるならその理由が自分であってほしい。

これを恋と呼ばずに、何と呼ぶのか、もうわからない。