【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻

モニターには立体の心臓CTが映っていた。
十歳くらいの男の子の再手術症例らしい。
数人の医師が難しい顔で議論している。

「通常どおり胸骨正中切開で入ります」

「前回手術の癒着は強いでしょうが、時間的にはそれが最短で——」

そこで、怜央が静かに口を開いた。

「待って」

その言葉だけで、室内が止まる。

怜央は席を立つと、モニターの前まで歩き、画像の一部を拡大させた。

「右冠動脈の走行、ここ」

細い指先が示した先を、若い医師たちが息を呑んで見つめる。

「胸骨のすぐ裏に貼りついてる。先に大腿から送血ラインを確保して、体外循環を準備してから入るほうが安全だ」

「で、でもそれだと準備に時間が……」

「時間がかかるのと、開けた瞬間に冠動脈を損傷するのと、どっちがまし?」

声音は冷たい。
容赦もない。
けれど、その冷たさは誰かを責めるためじゃなく、迷いを切るために向けられていた。

「家族説明は私がする。術者は準備の見直し。麻酔科とも共有して」

返事が重なる。
さっきまで詰まっていた議論が、一気に流れ始めた。

私は、初めて取材で彼を見た日のことを思い出していた。
術衣のまま、少しもぶれない声で指示を飛ばしていた、あの冷たい名医。
医者としては尊敬できる。でも性格は冷たい、と勝手に線を引いた男。

目の前にいる怜央も、たしかにあの日と同じ顔をしている。
けれど今の私は、あのときより少しだけ知っている。
その冷たさが、人を見捨てる冷たさじゃないことを。

カンファレンスのあと、怜央はそのまま男の子の両親へ説明に向かった。
私は部屋の外で待っていたけれど、半開きのドアから声が漏れてくる。

「危険はあります。再手術なので、初回より難しい。ただ、その危険がどこにあるかは見えています。見えているなら、準備ができる。大丈夫とは軽々しく言えません。でも、できることは全部やります」

派手な慰めは一つもない。
曖昧な言葉もない。
それでも泣きそうだったお母さんの肩から、少しずつ力が抜けていくのが、外から見ていてもわかった。

この人は、やっぱりすごい。
ただ上手いだけじゃない。
怖さも誤魔化さないまま、人を前へ進ませる力がある。

そのぶん、自分のことは全部後回しにしそうで、見ているこっちが落ち着かないけれど。