【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻

「……御堂という秘書から、いろいろ聞いた」

真剣にリハビリ中の怜央が、歩幅を少しだけ調整しながら言う。

「事故のこと。仕事のこと。久遠家のこと……そして、君のこと」

「御堂さん、私の何をどこまで言ってるのかしら……」

怜央が楽しそうに笑った。

「助かってる」

「え……」

「俺、覚えてないことが多い。事故の衝撃も、細部も、穴があいたみたいに抜けてる。……でも」

怜央が、平行棒の中で立ち止まる。

「でも……?」

私が続きを促すと、怜央は少しだけ視線を落とす。
その表情が、取材の時の自信に満ちた怜央じゃなくて、どこか子どもみたいに不安げで、胸がぎゅっとなった。

私の腰を掴んでいた手が、ゆっくり離れて、代わりに私の薬指に触れた。指輪の上を、そっとなぞる。

「君が妻だってことは、忘れなかった」

息が止まる。

「……それ、は……」

笑みは、優しいのに、どこか確信めいていた。
その確信が、私の嘘をいっそう浮き彫りにする。

痛みを忘れるほどの妻。
私は、そんな存在じゃない。

契約で、ここにいるだけ。
借金を返すために、嘘を演じているだけ。

それを知ったら、この人は——。

軽蔑する?

怒る?

「奥様、呼吸、浅いですよ」

佐久間さんの声で我に返った。
私、息を止めてた。

「すみません……!」

怜央は、何も言わずに歩行を再開する。
一歩、また一歩。
そのたびに、私の心も揺れる。

「……梨音」

「な、なに?」

「3歩目で目が泳いでる。心配しすぎ」

「だって、転んだら大変だし……」

——本当は、私が支えちゃいけないのに。
でも、支えになりたい、と思ってしまった。