【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻

私は鏡に映った自分を見た。
見慣れないワンピース。見慣れないリング。見慣れない家。
なのに顔だけは、いつもの私だ。

嘘をついている顔には、ぜんぜん見えない。

午後、特別室の前で私は一度深呼吸した。
ノックをすると、中から短い声が返る。

「入って」

ベッドを少し起こした怜央が、書類を閉じるところだった。患者のくせにもう何か読んでいる。さすがというか、落ち着きがないというか。

私の姿を見た瞬間、その目つきがほんの少しだけやわらいだ。

「見舞いに来てくれたのか?」

開口一番、それだった。

「……ええ」

怜央は私の左手を見て、視線を止めた。
指輪。
それを認めると、彼はどこか当然みたいな顔をした。

「そうか」

たったそれだけなのに、胸がやけにうるさい。

「体調、大丈夫ですか」

「大丈夫じゃない。だが死ぬほどでもない」

事故の夜と同じことを、同じ顔で言う。
思わず少しだけ笑ってしまった。

すると怜央は、無言で右手を差し出した。

「……え?」

「こっちへ」

「何でですか」

「そこじゃ遠い。妻なら隣だろ」

心臓に悪いことを、そんな当然みたいに言わないでほしい。
でも契約上、ここで躊躇うことはできない。私はそろそろとベッド脇の椅子に座り直した。

次の瞬間、彼の指が私の左手を取る。
薬指の指輪に、長い指先がそっと触れた。

「……お揃いだな、俺のと」

「……そうですね」

「朝起きて一番に確認したんだ、自分の左手薬指を」

「……」

「事故で壊れてなくてよかった……」

低く言われて、息が詰まる。

彼は私の手を包んだまま、しばらく黙っていた。
空白を埋めるみたいに、指先だけが確かめるように動く。

「梨音」

名前を呼ばれる。
それだけで、契約書よりも、指輪よりも、この嘘が本物みたいに迫ってくる。

「はい」

怜央は私を見た。
まっすぐで、逃げ場のない目だった。

「愛している」