【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻

その言葉を聞いた瞬間、私は思わず、間抜けな声を出してしまった。

「……は?」

「契約期間は三か月。怜央様の記憶が戻った時点で終了。報酬は一千万円。住居、生活費、衣類、警備、医療関係者への説明はすべてこちらで手配します。あなたの借入整理も並行して行う」

一千万円。

頭の中で数字がうまく形にならず、私は思わず書類を覗き込んだ。ちゃんとゼロが並んでいる。見間違いではない。

「いっせん……?」

「聞き取りづらければ、数字のほうをご覧ください」

「見えてます。余計に怖いです」

怖い。正直、ものすごく。
ほしいと思ってしまった自分も、同じくらい怖い。

「私、お金で人を騙すみたいなこと……」

「騙すのは我々です」

会長が言った。

「責めは久遠家が負う。君に背負わせない」

「でも」

言い返しかけて、言葉が止まる。
事故車の中で、離れるなと言って掴んだ手。
さっき、縋るように妻と呼んだ声。

私は、あの人のことを冷たい名医だと思っていた。
医者としては尊敬できる。でも、人としては冷たい。そう決めつけていた。
なのに、記憶を失くした彼が最初に確かめたのは、自分の立場でも家族でもなく、私の存在だった。

それが妙に、胸に残っている。

「……今すぐは、答えられません」

絞り出すように言うと、夫人が小さく頷いた。

「ええ。もちろんです」

「ただし」

御堂が淡々と口を挟む。

「考える時間は、夜が明けるまで」

「短くないですか!?」

「怜央様は待ってくれません」

まったく慰めになっていない。
でも、反論する元気も、もう残っていなかった。