──母は認知症があり、父も足が悪くなっていたから数年前に二人で老人ホームに入居していたけれど、父が水頭症で病院に入院するのを機に、一緒に病院に移った。
そうして、半年ほど前から食事がとれなくなり、点滴のみの対応となっていた。担当医から、そうなると長くても一年、大体は半年以内だと聞かされた。
色々と思う人はいるかもしれないが、危篤状態になったときの延命措置はしない。ということで担当医と話し合っていた。私が看取るためだけに、母を苦しめることは出来ない。
そんな状態だったから、覚悟はしていた。けれど──こうして、母の遺骨と共に暮らすようになって、少しだけど胸が痛い。
今までのことを思い起こし、これで良かったのかと考えてしまう。親孝行らしいことなんて、何一つできなかったんじゃないだろうか。
もっと色々、何か出来たのではないだろうか、いくら考えても結論は出ない。私はずっと後悔のし通しだった。
奇しくも、いま読んでいる本は主人公が亡くなった祖母との記憶をたどる物語だ。共通している部分はほとんどないけれど、ふとしたときに母を思い出す。
母は他の同級生の親と比べると、ひと回りほど高齢のうえ化粧っ気もなく美人でもなくて、頭が良い訳でもなく、それが嫌なときもあった。
母は田舎で産まれて、かなり苦労したからか、田舎を嫌っていた。無趣味で、動物も好きではなかった。でも、いつも明るく笑顔の絶えない人だった。
田舎を嫌う母だけど、寒天をテングサから作ったり、山で山桃をとって食べたり、海でニナ貝をとったり、母の田舎の生活がなければ私には体験できなかったことだから、私にとっては有り難いものだ。
山に関しては昔だから出来たことで、今は勝手に入っていい山はほとんどないだろう。
母の明るさは、老人ホームにいたときも、病院に移ってからも変わらなかった。面会に行けば、いつもニコニコして、認知症なのか元来のおおらかさなのか、無料で寝床と食事を提供してくれていると思っていた。
家にいるときよりも快適だと喜んでいる姿に、「違うんだけどな~」と苦笑いを浮かべたものだ。
母は、どこの島なのかまでは知らないけれど、九州の離島の出身だ。もしかすると、子供の頃に聞いたかもしれないが覚えていない。親戚に聞けば解るだろう。
子供の頃のことは、断片的にしか覚えていない。言われると思い出すこともあるけれど、大半は忘れている。小中高のときの先生の名前も、クラスメイトの名前も、ほぼ思い出せない。
私は実家にいたとき、あまり料理はしなかった。料理をするのは好きだけど、実家にいたときは母が隣で口を出すので、それが煩わしくなっていつしかしなくなった。
それでも、それなりに料理が出来ているのは、私は人の手元を見るのが好きで、母の料理姿をいつも見ていたおかげだろう。
私は、人と接するのが苦手で、それは家族にも同じだった。歳の離れた兄とも、兄が病気で他界するまで、結局は上手く接することは出来なかった。
私がもっとしっかりした人間であったなら、もっとちゃんと向き合えていたなら。何度も、何度も繰り返す後悔は、心の奥で溜まり続ける。
心が晴れる日は、きっとこないだろう。この想いを抱き続けて生きていくしかない。



