どうして……なんでここに……。
心臓が一瞬止まったように、息が詰まる。隣にいた相原さんが、すぐに口を開いた。
「田中さん。僕は遠慮してください、とお伝えしたはずです」
その声音は穏やかでありながら、確かな拒絶を含んでいた。
「そうでしたか?」
田中さんは小首をかしげて、微笑すら浮かべている。
「でももう乗ってしまいましたし、今さら別のところに移動もできないので」
言われて周囲を見渡すと、満員というほどではないにしろ、朝の通勤時間帯でそれなりに混雑していた。確かに今さら移動するのは難しい。
そして田中さんは、当然のように相原さんの隣に立った。
「昨日は遅くまで、大変だったようですね」
田中さんは、まるで私の存在など最初からなかったかのように、相原さんに話しかける。
「特に大変ということではありません」
「ふふ、やっぱり頼もしいですね。……でも、相原さんが何でも背負ってしまったら、佐々木さんはいつまで経っても甘えてしまうのでは?」
軽い口調の中に、針のような皮肉が混じっていた。
「傍から見ればそう思えるのかもしれませんが、あれでも佐々木はできるヤツですよ」
二人のやり取りを聞きながら、私と相原さんの間に冷たいガラスの壁がすっと立ち上がるように感じた。声も、思いも、向こうには届かない。
ちらりと相原さんを盗み見ると、向こう側の田中さんと目が合った。と同時に、唇の端がわずかに吊り上がっていくのが見える。
田中さんが——くす、と笑った。
カーッと全身が熱を帯びる。馬鹿にされている。憐れまれている。相手にされなくて残念ね、と、言葉にはしない態度で突きつけられた。
その場に立ち尽くす自分が、ひどく惨めに思えた。
二人の世界に割り込んでいるのは私ひとり。相原さんはこちらをちらりとも見ない。
――逃げ出したい。
心の奥でそう願った瞬間、身体が勝手に動いていた。
電車が最寄り駅に滑り込む。扉が開いたと同時に飛び出し、そのまま走り去った。
「……っ! 桐島さん!」
背中に、相原さんの声が追いかけてきた。耳には届いていたのに、振り返る勇気はどこにもなかった。
ただ一目散に駆け抜けた。あれ以上、あの場所にいたら、壊れてしまいそうだったから。
田中さんと話したときの会話が蘇ってくる。
『私がその場に居合わせても構いませんよね?』
聞かれて私はこう答えた。
『私が決めることではありません。相原さんとご相談なさってください』
その結果が今日のあれなのだろう。相原さんと話し合って決めたのなら、田中さんが隣にいるのは当然だ。けれど、恋人でもない私がそこにいる理由はどこにもない。私はただ――居場所がないだけだ。
何かに追い立てられるように全力で走った。呼吸はすぐに乱れ、喉が焼けつくように熱い。風邪明けで体力が落ちているのに、それでも止まりたくなかった。
頭の中をぐるぐると駆け巡る。勝ち誇ったように笑った田中さん。冷たく見えた相原さん。そして、なにもできなかった自分の弱さ。
そのすべてが胸を締めつけて、足を止めることを許してくれなかった。
ようやく会社にたどり着いたところで、美咲先輩と顔を合わせた。
「ひより! もう大丈夫? 何、朝から走ってきてるのよ。始業までまだ時間あるんだから」
先輩は軽く笑っている。いつものことなら、その笑顔にこちらまで落ち着くはずなのに、喉の奥がつまり、言葉が出ない。。
「先輩……」
先輩に話しかけようとした瞬間、全身から力が抜けるように視界が揺れた。足元がおぼつかなくなり、先輩の顔がゆっくりと波打つように見える。
「ひよりっ!? 大丈夫?」
先輩の声が泡のように砕け、私は膝から崩れ落ちた。
「……ひよりっ!? ……!」
先輩が何か言ってる声が聞こえる。先輩、聞いてください。心の声は言葉にならない。美咲先輩が何か言ってる。でも段々とその声が遠ざかっていった。
美咲先輩、ダメでした。頑張ろうとしたけど、どうしたらいいのか分からないんです……。
心臓が一瞬止まったように、息が詰まる。隣にいた相原さんが、すぐに口を開いた。
「田中さん。僕は遠慮してください、とお伝えしたはずです」
その声音は穏やかでありながら、確かな拒絶を含んでいた。
「そうでしたか?」
田中さんは小首をかしげて、微笑すら浮かべている。
「でももう乗ってしまいましたし、今さら別のところに移動もできないので」
言われて周囲を見渡すと、満員というほどではないにしろ、朝の通勤時間帯でそれなりに混雑していた。確かに今さら移動するのは難しい。
そして田中さんは、当然のように相原さんの隣に立った。
「昨日は遅くまで、大変だったようですね」
田中さんは、まるで私の存在など最初からなかったかのように、相原さんに話しかける。
「特に大変ということではありません」
「ふふ、やっぱり頼もしいですね。……でも、相原さんが何でも背負ってしまったら、佐々木さんはいつまで経っても甘えてしまうのでは?」
軽い口調の中に、針のような皮肉が混じっていた。
「傍から見ればそう思えるのかもしれませんが、あれでも佐々木はできるヤツですよ」
二人のやり取りを聞きながら、私と相原さんの間に冷たいガラスの壁がすっと立ち上がるように感じた。声も、思いも、向こうには届かない。
ちらりと相原さんを盗み見ると、向こう側の田中さんと目が合った。と同時に、唇の端がわずかに吊り上がっていくのが見える。
田中さんが——くす、と笑った。
カーッと全身が熱を帯びる。馬鹿にされている。憐れまれている。相手にされなくて残念ね、と、言葉にはしない態度で突きつけられた。
その場に立ち尽くす自分が、ひどく惨めに思えた。
二人の世界に割り込んでいるのは私ひとり。相原さんはこちらをちらりとも見ない。
――逃げ出したい。
心の奥でそう願った瞬間、身体が勝手に動いていた。
電車が最寄り駅に滑り込む。扉が開いたと同時に飛び出し、そのまま走り去った。
「……っ! 桐島さん!」
背中に、相原さんの声が追いかけてきた。耳には届いていたのに、振り返る勇気はどこにもなかった。
ただ一目散に駆け抜けた。あれ以上、あの場所にいたら、壊れてしまいそうだったから。
田中さんと話したときの会話が蘇ってくる。
『私がその場に居合わせても構いませんよね?』
聞かれて私はこう答えた。
『私が決めることではありません。相原さんとご相談なさってください』
その結果が今日のあれなのだろう。相原さんと話し合って決めたのなら、田中さんが隣にいるのは当然だ。けれど、恋人でもない私がそこにいる理由はどこにもない。私はただ――居場所がないだけだ。
何かに追い立てられるように全力で走った。呼吸はすぐに乱れ、喉が焼けつくように熱い。風邪明けで体力が落ちているのに、それでも止まりたくなかった。
頭の中をぐるぐると駆け巡る。勝ち誇ったように笑った田中さん。冷たく見えた相原さん。そして、なにもできなかった自分の弱さ。
そのすべてが胸を締めつけて、足を止めることを許してくれなかった。
ようやく会社にたどり着いたところで、美咲先輩と顔を合わせた。
「ひより! もう大丈夫? 何、朝から走ってきてるのよ。始業までまだ時間あるんだから」
先輩は軽く笑っている。いつものことなら、その笑顔にこちらまで落ち着くはずなのに、喉の奥がつまり、言葉が出ない。。
「先輩……」
先輩に話しかけようとした瞬間、全身から力が抜けるように視界が揺れた。足元がおぼつかなくなり、先輩の顔がゆっくりと波打つように見える。
「ひよりっ!? 大丈夫?」
先輩の声が泡のように砕け、私は膝から崩れ落ちた。
「……ひよりっ!? ……!」
先輩が何か言ってる声が聞こえる。先輩、聞いてください。心の声は言葉にならない。美咲先輩が何か言ってる。でも段々とその声が遠ざかっていった。
美咲先輩、ダメでした。頑張ろうとしたけど、どうしたらいいのか分からないんです……。


