天然で眼鏡な彼は、まだ恋を知らない

《真一side》
 きっぱり断ったはずなのに、なかなか諦めてくれなかった田中さんのことを思い返すたび、大きなため息が漏れる。

(いや、あれだけはっきりと言ったんだ。もう終わったはずだ……)

 自分にそう言い聞かせても、どうにも気持ちが晴れない。昼休みのやり取りがこたえたのか、午後は業務にまったく集中できなかった。

 そんな僕の様子に気づいたのだろう。定時になると、小野がデスクに近づいてきた。

「おい、仕事は終わったか? この後、予定あるのか?」
「いや、特には……」
「じゃあ、ちょっと付き合え」

 有無を言わせぬ口調に押され、僕は素直に頷いた。小野に連れて行かれたのは、会社から少し離れた居酒屋だった。

「ここなら、社内の人もそういないだろ」

 小野の言葉に軽く頷きながら、二人でカウンターに座る。落ち着いた照明と、活気がありながらも騒がしすぎない店の雰囲気に、少しだけ肩の力が抜けた。

「で、一体何があったんだ?」
「いや、何も……」
「何もないわけないだろ。午後になって明らかに顔色悪かったじゃねーか」
「……」

 返事に詰まり無言になる。

「昼休みに総務の彼女のところに行ったんだろ?」
「ああ」
「そこで謝罪してきたんじゃねぇのかよ」
「ああ、してきた」
「だったらそれで終わりだろ? なんでそんな困り切った顔してんだよ?」
「……終わらなかったんだ」
「は?」
「……謝って、それで終わるはずだったんだ。なのに――終わらなかった」

 僕はため息をつきながら答える。小野はジョッキをぐいっと傾け、泡を口の端でぬぐいながら怪訝そうに僕を見る。
 小野は訳が分からないという顔をしていたが、それは僕も同じだった。何がどうしてああなったのか、自分でも理解できない。できることなら、一から誰かに説明してほしいくらいだ。

 全く理解ができないという表情の小野に、僕は田中さんとの一部始終を包み隠さず伝えた。

「ちょっと、待てよ。なんでそんなことになってんだよ」
「そんなのこっちが聞きたいくらいだ」

 軽く苛立ちながら小野に言い返す。すると、「いや、そうじゃねぇよ」と言われ、何が違うんだと言い返そうとすると、小野が先に言葉を繋げる。

「そうじゃなくて、なんで『好きな人はいるのか』と聞かれて、お前は『いません』って答えてるんだよ。そこで『いる』って答えてたらこんなことにはなってなかっただろ。だいたいお前、桐島さんのことが好きなんじゃないのか」

 小野の言葉を頭の中で何度も反芻してみるが、やっぱり理解できない。僕にとって桐島さんは、朝一緒に通勤する人でしかない。公言して許されるなら友達と言いたいところだが、それはさすがに図々しすぎるだろう。
 ​僕がそう説明すると、小野はなぜか少し呆れたような顔をした。

「……お前、それマジで言ってんの?」
「……? 本気だが?」

 ここまでの会話でいったいどこに冗談や嘘が含まれていたというのか。僕は至って真剣に言ってるというのに。

 小野が盛大なため息をつく。

「はああぁぁぁぁぁぁ~……」

 酸欠になるんじゃないか、と思った瞬間、彼は言った。

「お前、自分の気持ちに鈍感にも程があるだろ」

 何故だ。僕の頭に疑問符が浮かぶ。

「桐島さんとのやり取りを休憩中に嬉しそうに眺めてたのは誰だ? 会えない、連絡も返ってこないってなったときに、落ち込んでたのは誰だよ?」

 そこで小野は指を突き付けて言い切った。

「それって彼女のことが好きだからじゃないのか?」

 僕にはよく理解できなかった。新しく知り合った人と仲良くなれたら嬉しくなるものだし、急に会えなくなったら心配にもなるだろう。それだけのことだ。

 僕の理解できないという顔を見て、何かを察したのか、小野は言葉を探すように一瞬黙り込んだ。

 二人の間に沈黙が落ちた。その静けさを破ったのは、隣の席から聞こえてきた声だった。

「ははっ、相変わらず変わんねーな」

 驚いて声の方を見る。

(さかき)……!」
「久しぶりだな、相原」

 そこにいたのは大学時代の同期、榊だった。

「お前、なんでここに……」
「なんでって、酒飲みに来たんだけど?」
「いや、そういう意味じゃなくて。お前の会社は、この辺りじゃなかったはずだろう?」

 ゼミが同じで、そこまで親しいわけではなかったが、内定が決まったときに互いの職場の話をした記憶がある。そのときの記憶が正しければ、榊の勤務先はここから離れた場所だったはずだ。

 思わず問い返していた。なぜ、ここに?

「取引先との打ち合わせが終わったところだったんだよ。今日は直帰予定だったからな」

 そう言ってグラスを傾ける榊を見つめる。……やっぱり、こいつはかっこいいな。